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コラム

タイトル:「仕事の効率化」はだれがする?
著者:バイオサイエンス研究科 植物発生生物学 中島敬二 准教授

私には2歳と4歳の息子がいます。妻も同業ですが本学に勤務していますので、同居さえできない研究者夫婦が大勢いることを考えると、恵まれた環境と言えるでしょう。それでも、わがまま盛り2人の幼児を育てながら仕事をこなすのは、時にかなりのストレスとなります。もちろん、子供たちのちょっとしたしぐさや言葉が、そのストレスを癒してくれるのもまた確かなのですが。

研究者の常で私も結婚が遅かったため、子育ての時期と仕事が増える時期が重なってしまいました。独身時代は、1日24時間のほとんどが自分のものでしたから、「仕事の効率化」など特に考える必要もなく、また仕事のほとんどは学生の実験指導や自分の研究でしたから、夜遅くまで研究室で仕事に没頭する毎日でした。ところが、子供が出来て生活が一変しました。朝、子供を保育園に預け、夕方迎えに行きます。子供が寝てくれれば、家で夜半まで仕事をしますが、それでも仕事に使える時間は1日10時間ほどです。こうなると「仕事の効率化」について、いろいろな意味で考えるようになります。

大学教員の「仕事」は、学生の指導や講義などの「教育」、大学や研究室の「管理業務」、論文の査読など「外部からの依頼」、そして予算申請や論文執筆などを含めた「自身の研究」、と多岐にわたります。これらを並行してこなすのですが、「自身の研究」以外にはなんらかの「〆切り」がありますから、相手に迷惑がかからない程度に守らなければなりません。そうして優先度の高いものから順に片付けているうちに、自分の研究がどんどん後回しになってゆきます。研究には厳密な「〆切り」がありませんから、何とかしたいと思っても、現実的にそちらに手が回らなくなってしまうのです。

国立大学の法人化や競争的環境の導入で、大学教員の仕事のうち「教育」と「管理業務」の量が飛躍的に増えてしまいました。そして、この傾向は今後さらに強まってゆくと思います。限られた時間でそれらをこなすには、「研究を犠牲にする」あるいは「家庭を犠牲にする」という禁じ手を使う日が近づきつつある実感があります。仕事のひとつひとつを効率化するとしても、現実には個人の努力で出来ることは限られていますし、そもそも「教育」や「研究」では、効率という尺度自体が意味をなしません。本学の研究者が「研究力の高さ」と「ワークライフバランス」の両方を維持するにはどうしたら良いのか、その方策を組織全体として真剣に考えるべき時期が、そろそろ来ているように感じます。

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