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コラム
タイトル:制度設計なくして効率化なし
著者:情報科学研究科 コンピューティング・アーキテクチャ 中島康彦 教授

 本コラムを読んでいる方の背中越しに、上司が遊んでないで仕事しろという目で見ているかもしれない。使える人件費が決まっている上司にとって「効率化=同一コストで部下が沢山の仕事をこなす」である。一方、時間雇用の部下にとって「効率化=単価の高い職場で働く」である。月給一定で「効率化=なるべく働かない」は論外とする。
 さて、仕事の効率化を男女共同参画というコンテクストにおいて考えた場合、収入を減らさずに個人/家庭の時間をどのように捻り出すかが最終目的であり、達成のために仕事の評価尺度を変えることが効率化であると推測する。ここまで正しければ、上司と部下のベクトルが揃う解は、誰もが一度は考え付く「月給も時給もやめて出来高払いにする」ことであろう。上司は予定された仕事量分の給料を払うだけで損はなく、部下は同じ給料なら早く片付けるほうが単価が上がり余剰時間も増える。
 同じ話は研究にもあてはまる。研究費も出来高払い(研究者になって最初の研究費だけは貸与)にすれば、税金の無駄と言われないし、出来高払いの一部を次の研究費に充てたり、失敗して投資が回収できない時の保険に積み立てたりできる。企業と同じく、リスクの高い研究は稼ぎ頭の研究とセットにする必要も出てくるので、ポートフォリオ設計も重要になる。近い将来、研究費運用コンサルタント会社ができるかもしれない。
 さて、賢明な読者は、以上の効率化には本質的困難があることにお気付きのはずである。従業員にせよ研究者にせよ、その成果がいくらに換算されるかを公平に鑑定できる人材はいない。楽々こなしているように見える仕事が、実は相当の対価をもって酬われるべきと判定することは容易ではない(某国のように評価のノウハウを蓄積すれば可能であるが現状は無理)し、工夫して効率化すると楽な仕事に見られてしまう。また、体力が十分になければ達成困難な目標を立てにくいという力学も働く。企業が競って採用した成果主義が行き詰まった理由は、この2点にあったことは言うまでもない。
 結論めいたことは何もないが、以上の裏返しとして「教育も研究も効率化を目指すとダメになる」ことは概ね正しい。最後に強調しておきたい点である。なお、以上の拙文は所要時間100分である。出来高払いにならないことを祈る。

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