平成11年度学位記授与式

___ 学長式辞 ___

 このたびの修士学位取得者は,情報科学研究科125名,バイオサイエンス研究科116名,物質創成科学研究科97名であり,博士の学位を受けられる方は情報科学研究科20名,バイオサイエンス研究科24名であります。学位を授与される皆様おめでとう。皆様の修士課程2年又は博士課程5年の成果がここに実ったことを教職員一同本当に心から祝福し,お祝いいたします。

 最近私の感じたことをお話しし,私の祝辞といたします。昨年初冬北海道函館を初めて訪ねました。たった一晩の短い滞在でありましたが多くのことを学びそのことから現在まで色々と考えさせられました。

北辺の地の開幕はアメリカ特使,マシュー・ペリーによるアメリカの開国要求に対する安政2年(1855年)3月の箱館開港であります。長年の鎖国に対し,箱館,下田の開港は我が国の政治の大転換でありました。勿論,この開港はアメリカの力によるものでありましたが,この圧力は内政的にも幕府の弱体化を示し,12年後の慶応3年(1867年)10月の徳川幕府終焉の大政奉還につながります。そして同年12月9日の王政復古による新政府樹立により,新政府の蝦夷地開拓となりました。このことは蝦夷地北海道のもつ豊富な資源の開発と,ロシアの侵略に対する防衛を意味していました。岩倉具視は新政府の中心となり明治元年2月清水谷の蝦夷地開拓の建言を入れ,箱館に裁判所を設置し,地方統治の拠点としました。しかし,同年4月江戸城引き渡しと共に幕府海軍の榎本武揚らが軍艦にて東北に到り,更に箱館地方は旧幕府軍に占領されました。

 新政府は王政復古を内外に宣言しましたが実質的な日本の新政権としての確立のための財政的基盤は全くありませんでした。そのため討幕を徹底し領地の確保に努めました。そして会津藩を筆頭に桑名藩を朝敵とし,その対決は政治的より武力闘争となり,会津藩,仙台藩,米沢藩,庄内藩等東北雄藩を相手の東北戦争となり遂に箱館戦争に及びましたが,この戦争が奇しくも北海道近代史を積極的に促進する結果となりました。東北藩諸の領土は会津28万石没収を始め仙台藩,庄内藩,盛岡藩の厳しい削封,転封となりました。そこで起った大きな問題は領地没収によって藩士とその家族の処置であります。そこで政府はこれらの藩士,家族を蝦夷地へ開拓民として送ることを決定しました。

 仙台藩62万石が28万石に半減されましたので,領主伊達は北海道開拓に自ら先頭に立ちました。ここに藩主,藩士の死活問題としての北海道開拓への心情があり,岩倉具視の開拓思想とは異なるものであり,この心情が開拓への不屈なエネルギー源となりました。

 明治3年新政府の実力者黒田清隆が開拓次官に就任すると開拓方法の一新をはかり,外国人を雇いいれ,洋式の新しい開拓法を導入しました。また自らも渡米し,農務局長ホレス・ケプロンを開拓顧問に招き,北海道大学に今も残る有名なクラーク博士はじめ専門家を多く雇用し10年計画の大開拓事業を開始しました。この北海道開拓を近代的拓殖への展開に旧公家,大名の華族にもこの新しい開拓の参加が現れました。

 ここまでの箱館に始まる北海道開拓を歴史的にみる時,一つの大きな時代の流れがあり,それがアメリカ,ロシアの外敵圧力によって大きな影響を受け,国家存亡の危機から近代国家としての新体制が確立される過程を歩みました。その結果,組織構造の大変革によって,旧藩士たちが死活問題に直面しましたが,明治維新の中核となった人物たちの適切な指導によって新天地開拓の活路を切り拓いていきました。そしてその開拓の努力は藩主も家臣も共に考えられない程の困苦の上に成立っており,開墾地では粟,稗,ジャガイモなどが主食で頑張ったと伝えられています。そこには素朴で従順な領民とよき為政者がうまく協力し開拓の忍従困苦の生活に耐え,我が国の外国による植民地化も防ぐことが出来たと思います。封建的社会制度から近代国家としての民主化への移行には人々の強い国家意識と目的完遂への精神的強固さが大きく役立ったのです。この様に一つの目的に向う人間の心と力ということに感銘を受けていた時,アメリカの連載漫画「ピーナッツ」の作者チャールズ・シュルツ氏の逝去が報道されました。「ピーナッツ」の主人公はチャーリー・ブラウンという少年で,何をやってもうまく出来ないがそれでも彼はあきらめずにまた努力する子供であります。この漫画は世界75ケ国で21の言語に翻訳されています。チャーリー・ブラウンは50年間で野球に勝ったのはたった一度丈,しかし常に挫折から立ち上がっていく姿は我々に強い共感を与えるのであります。またチャーリーは人々が互いに助け合い,平凡な幸せが大切であることを教えてくれます。チャーリーの生き方は極めて個性的であり,この漫画に出てくる犬のスヌーピーはスヌーピーで自信家であり,チャーリーの妹のルーシーはちょっといじわるであり,チャーリーの蹴ろうとするサッカーボールをいつもとってチャーリーに失敗させる個性派であります。しかし,チャーリーは本当に思いやりの深い子供で敗者をいたわる心をもっており,絶望した友の肩をたたいてなぐさめます。この様な小さないたわりの心が人間社会で大切であることを教えてくれます。

 北海道開拓精神とチャーリー・ブラウンの心に共通することは挫折にめげずに努力することであり,希望をもって自分の信じた道を歩んでいくことです。国籍が日本人であろうと米国人であろうと人間である限り,お互いを思いやる気持ちは同じであり,の心で幸とは何かを考えながら生きることこそ大切であることがこれらの話にはつらぬかれているのです。

 本日学位を授与され社会に巣立っていく諸君は今後また幾多の絶望や挫折に打ち負かされる時があるかもしれません。その時北海道の開拓精神とチャーリー・ブラウンの心の優しさと強靱な努力を思い出して下さい。誰にでも困苦,挫折はあります。そこからどの様に立上がるかでその人が決まることを本学を巣立つまたは更に進学する諸君にはなむけの言葉としておくります。

 平成12年3月24

     奈良先端科学技術大学院大学

         学 長  山 田 康 之

  ※ 参考文献

    「明治維新と北海道開拓展」

       昭和59年6月 社団法人霞会

答  辞

 

◆ 情報科学研究科修了者代表挨拶

 情報科学研究科修了生を代表して,ご挨拶させていただきます。

 本日は,ご多忙のところ,学位記授与式に多くの方々のご出席を賜りまして,誠にありがとうございます。

 本日をもちまして,私たちは奈良先端科学技術大学院大学情報科学研究科博士前期課程及び博士後期課程を修了することが出来ました。ここに至るまでには,山田学長をはじめ,本学教官,事務局の皆様方,支援財団の方々に,並々ならぬご支援を賜りましたことを,修了生一同心からお礼申し上げます。

 近年,国内の各大学で大学院の拡充が図られておりますが,大学院におきましては,研究分野・技術の専門化・細分化に伴って研究室間の垣根は益々高くなり,そこに学ぶ学生は,狭い視野を持ってしまう傾向があります。そういった動きの中で,本学では,多種多様なバックグラウンドや職歴をもった学生が集まっておりますし,教官として広く国内外の大学・研究機関・企業の研究所などから研究者が集まっておられ,常に様々な視点から物を考えることが出来る環境があります。私自身,在籍中に大学の枠を越えて,他の研究機関・企業の方々とコンタクトをとり,また,国境を越えた交流・コラボレーションを図るという貴重な経験を数多く体験することが出来ました。これらの経験は,私の財産であり,今後,有形・無形の形で役立つものと考えております。

 本学は学生を受入れ,未だ10年に満たない歴史しかもっておりませんし,所在しております学研都市も,まだ発展途上であることは否めません。しかし,既に各研究科において多くの修了者を輩出し,既存の枠に捕らわれない大きなポテンシャルと実績をもっていると感じております。この環境の中で学ぶことが出来ましたことに深く感謝するとともに,私たちの後輩諸氏におきましても,同様あるいは更なる研究環境の発展を享受されることを期待いたしております。

 最後になりましたが,本日お集りいただきました皆様方の,今後のご健康とご活躍,並びに本学のますますの発展をお祈り致しまして,修了生一同の感謝の言葉に代えさせていただきます。

   平成12年3月24

    情報科学研究科 修了生代表

              安 室 喜 弘

 

◆ バイオサイエンス研究科修了者代表挨拶

 バイオサイエンス研究科修了生を代表して,ご挨拶させていただきます。

 本日は,公私なにかとご多忙のところ,学位記授与式に多くの方々のご出席を賜り,誠にありがとうございます。

 我々は本日をもちまして奈良先端科学技術大学院大学バイオサイエンス研究科博士前期課程及び博士後期課程を修了します。我々が研究を無事遂行し,この授与式の場に立つことができますのも,山田学長を始めとする本学教官,事務局の皆様方の並々ならぬご支援があったればこそであり,この場を借りて感謝申し上げます。さらに,長い学生生活の中で家族や親類の暖かい援助が,如何に重要であったかを再認識しなければなりません。

 我々が過ごしたこの5年間を振り返ってみますと様々なことが思い出されます。5年前本学に入学した当時は,まだ研究科や研究室の立ち上げの時期であり,研究を行うにしても手探りの状態で,ままならないことも多くありました。しかし,博士後期課程に進学する頃には,バイオサイエンス研究科の施設も全て完成し,実験を行うにも満足な環境が整ってきました。そして研究科として研究成果が現れてきたのも3年前位からであったと思います。こうして振り返りますと,研究の種を播き,それを育て,実を結ばせるという非常に貴重な体験をしてきたと言えるのではないでしょうか。今,バイオサイエンス全体を見ると,研究の流れが大きく変わろうとしています。モデル生物においてゲノムプロジェクトが次々と終了し,膨大な量の情報が我々の目の前に集められ,より独創的な研究が求められています。また,クローン技術や遺伝子組み替え技術が日常生活の中に導入され始め,一般の関心を集めることも多くなってきました。そのような中で,本学で得た経験,培った研究への取り組み方や倫理観が,今後の研究に貴重な財産になると確信しています。

 来年,バイオサイエンス研究科は7年目を迎え,その実力が世間に問われる時期に差し掛かってきたと言えます。それは我々,修了生に向けられる視線も同じです。我々は様々な道に進みますが,いかなる分野に進んだとしても全力を出していくことが,本学で得た様々な恩恵に報いることであると考え,精進して行く所存です。

 最後になりましたが,本日お集りの皆様方の,今後のご健康とご活躍,並びに本学のますますの発展をお祈りして,修了生一同の感謝の言葉に代えさせて頂きます。

   平成12年3月24

    バイオサイエンス研究科 修了生代表

              友 田 紀一郎

 

◆ 物質創成科学研究科修了者代表挨拶

 物質創成科学研究科修了生を代表して,ご挨拶させていただきます。

 本日,我々は物質創成科学研究科博士前期課程を修了します。偶然ですが20世紀最後の修了生でもあります。この偶然は我々に20世紀がいかなる時代であったかを思い起こさせ,21世紀はどう進むべきかを考えさせます。

 20世紀は人類史上かつてない科学技術の進歩の時代でした。その進歩の背景には,悲しい歴史的事実として,2つの世界大戦による激しい競争が存在したことは否定できません。競争の無い社会に新しい発展はなく,徐々に衰退していくのみです。20世紀末の日本は,多くの面でこの衰退が目立っているように思われます。教育研究機関である大学も例外ではありません。近年国立大学の独立行政法人化が声高に叫ばれているのは,国家の財政難という理由だけで無く,このような背景があることも見逃せないでしょう。確かに研究成果の評価は非常に難しく,この点に大学が不安を持つのは当然でしょう。しかしどのような形にしろ,大学が個性を発揮し,競争社会に身を置かねば,日本の科学技術の衰退が大学から始まってしまう恐れがあります。本学のように,その設立から個性を持つ大学こそ,このような時代に率先して進むべきではないでしょうか。また,この事は決して大学とその関係者だけが努力することで解決する問題ではなく,我々修了生にも大きな責任があるといえます。大学の評価というのは研究成果のみならず,いかなる人材を社会に供給するかということにも懸かっています。本学の修了生であることを自ら,そして後輩たちが誇りに持てるように,我々自身も今後大きな努力をしなければなりません。そしてそれが21世紀の日本,そして人類の科学技術の更なる進歩につながると私は考えます。

 21世紀は情報科学の時代,バイオサイエンスの時代と良く言われています。しかし先頃アメリカが今後の重点分野としてナノテクノロジーを挙げたように,物質科学が21世紀においても最重要分野の一つであることは間違いなく,この3分野が強く連携していく重要性が,今後益々大きくなるでしょう。20世紀は専門化が進み各分野が大きく発展しました。専門化が進めば進むほど分野間の障壁は大きくなります。しかしその分野間の障壁にこそ新しいテーマが潜んでいるように思われます。我々はそのような新しい未知なるものに大いなる好奇心を持つとともに,それらが人類を取り巻く環境に対して,どのように活かすことが出来るかを考えねばなりません。それが科学技術の世界に身を置くものの使命と思います。

 新しい研究を行うのは,口で言うほど容易なことではありません。全てをゼロから始める難しさには並々ならぬものがあります。我々は物質創成科学研究科の一期生であり,また多くの学生が本学において,大きな研究分野の転換を行いました。また,今なお校舎が建設中であることに象徴されるように,研究設備も教官もそして研究のノウハウなども無い中でのスタートでした。多くの事を手探りの状況の中で行い,何とか研究を進めてきました。時には他の研究機関では出来て当然のことが,思うように進まず,苦しい思いをする事もありました。しかし,新しい分野を開拓していく時には,我々が経験したことより更なる困難が待ち構えていることでしょう。この経験は,今後科学技術者として生きていく我々に,非常に有意義であったと思います。また,物質創成科学研究科は,物理,化学,生物という分野をすべて含んでおり,分野外へ触れる機会が多分にあり,分野間の障壁は非常に小さい環境でした。講座だけではなく,学生自体はさらに様々な分野の出身者からなり,また非常に大きな個性の変位がある人物の集合でした。この環境は直接的にも間接的にも,今後の我々に大いに役立つであろうと私は考えます。そして私個人に関しては,学部生時代に身につけた理論的素地と,本学で身につけた実験技術を融合させる事で,「理論から実験へ」そして「実験から理論へ」という相方向の思考形態を獲得できた事が,最も大きな成果であったと思います。

 最後に,2年間指導していただいた先生方,そして苦楽を共にした同僚,後輩へ深く感謝の意を表すると共に,決意を新たに科学技術者としての道をすすんでいこうと思います。

 本日お集まりの皆様方の,今後のご健康とご活躍,並びに本学のますますの発展をお祈りし,修了生一同の感謝の言葉に代えさせていただきます。

 

   平成12年3月24

    物質創成科学研究科  修了生代表

               末 崎   恭

NAIST学旗が決定

 

    国際的な飛躍をイメージした空色を基調とし,本学のゲートを模した真中の三つの三角は,

万葉集で謳われた大和三山(香久山,畝傍山,耳成山)と本学が持つ情報科学,バイオサイ

エンス,物質創成科学の3つの研究科,すなわち,最先端科学技術を担う三つの研究分野を

表しています。古都奈良から世界へ向けて,最先端の「Science」と「Technology」に関す

る情報を発信し,本学が国際的に飛躍することをイメージしています。