平成12年度春入学式

___ 学長式辞 ___

 新入生諸君、御入学おめでとう。平成12年度4月大学院博士前期課程入学者は情報科学研究科120名、バイオサイエンス研究科125名、物質創成科学研究科102名であり、博士後期課程入学者はそれぞれ29名、40名、27名であります。激戦の入試を克服して入学された諸君の入学を教職員一同心から祝福し、お祝いいたします。

 昨年1日だけでしたが函館を訪ねました。その時、新島襄が江戸時代の終末、ここ函館からアメリカに密出国をしたことを知り、その当時の青年の志について少し調べましたことを祝詞としてお話しいたしたく思います。

 函館港に面する旧外国人居留地埋立地に新島襄海外渡航記念の石碑が立っています。新島襄は藩江戸藩邸で1843年(天保14年)生まれました。主君の命で10歳の時、漢籍を学び、14歳からは蘭学を学びました。1853年(嘉永6年)、ペリー艦隊の来日によって時代は大きく移り変わりはじめていた時代に、新島は向学心止みがたく、藩の許可を得て幕府の軍艦操練所に入学し、航海術を学び、またアメリカを紹介する書物やキリスト教に関する漢訳聖書を読み始めました。そして海外への熱い情熱とキリスト教に対する関心が高まり、備中松山藩の洋風帆船海風丸に乗り函館に到り、海外脱出の機会を探りました。海外脱出は国禁を侵すことであり、アレクサンダー・ポーター商会の福士卯之吉の挺身の努力とアメリカ船ベルリン号のセーボリー船長の厚意により、新島襄21歳、1864年(元治元年)6月、ひそかにベルリン号に乗船、上海にてアメリカ船ワイルド・ローバー号に乗り換え、1年後にアメリカ、ボストンに到着しました。その後の新島襄の勉学とキリスト教に対する信仰は多くのアメリカ人の心を動かし、多くの心暖かい人々に助けられ、フィリップス・アカデミーのA.ハーディ氏の大変な世話でアーモスト大学を卒業しました。新島襄は正規にアメリカの大学を卒業した最初の日本人とされています。函館の海外渡航記念碑には「男児志を決して千里をす、自ら苦辛をむるも家を思わんや。って笑う春風雨夜に吹くを、む故園の花」という新島の詩が刻まれています。私はこれを見て当時の若者の青雲の志に強く心を打たれるのです。

 このようなことから江戸時代末期の若者の海外への留学について少し調べてみました。まず1854年(安政元年)吉田松陰とその弟子金子重輔の二人は下田港停泊中のペリー艦隊旗艦ポーハタン号に密航を試みましたが拒否され失敗、松陰と重輔は投獄され、重輔は安政2年獄中で病死しています。しかし松陰の外国を知ることが如何に大切であるかの考えが、後の松下村塾での教えにつながっていくのです。

 また、明治新政府にもっと大きな実際的な影響を与えた青年の密航は、1863年(文久3年)井上馨(明治政府外務大臣)、伊藤博文(同、総理大臣)、井上勝(同、鉄道庁長官)、山尾庸三(同、工部卿)、遠藤謹助(同、造幣局長)らが長州藩の助けによってイギリス・ロンドンに密航した例です。この渡航費は5千両であり、藩にとっても大きな経費でありましたが、彼らは「この金は飲食などに使うのではない。生きた機器を購入するものと思ってほしい」と手紙に書き残しています。果たして明治維新後、明治新政府のもとで彼ら密航者5名が工部省の重職を掌握し、近代日本の科学技術の発展にどれ程役立ったか計りしれません。まさに彼らは「生きた機器」となりました。彼らが密航した年の5月、長州藩は関門海峡で外国艦船を砲撃、攘夷実行の最中でありました。しかし同時に、長州藩が鎖国の国禁を犯して、敢て5名をイギリスに密航させ、海外の科学、技術の粹を学ばせた、その先見の明のある人物が長州藩にいたことに敬服するのです。

 更に1865年(慶応元年)薩摩藩もイギリスのグラヴァー商会の汽船オースタライエン号で五代友厚は関研蔵、森有礼は沢井鉄馬、寺島宗則は出水泉蔵と変名させて密航させています。皆20才代の若者でありました。その後、貧乏漢方医士族前田正名は藩主に留学を願い出ましたが許されず、長崎への国内留学が許可されました。海外留学の意志止みがたい前田は、同志3名と英和辞書を編纂し、これを売って金をつくり、さらに大久保利通、大隈重信の推薦でついに1869年(明治2年)コント・モンブラン伯と共にフランスに向かいました。その後7年間パリに在住し、1881年1年間ヨーロッパ各国の経済事情を調査しましたが、その結果、日本はヨーロッパに、すべてについて及びがたいことを知り、我が国の将来に絶望的となりました。しかし、彼はその後この挫折感を乗り越え、日本の農業制度と技術の向上を計り、地方産業の近代化に大きく貢献しました。

 以上の話から、私が皆さんに伝えたいことは、この20才代の青年らが大志を抱き、日本の将来を憂い、国禁を侵してまで外国の進んだ科学・技術を学び、日本のために尽くしたことであります。これらのことはわずか150年前におこった事実であります。我が国は江戸幕府の鎖国政策によって海外との交渉を禁止してきました。異なる国の文明、文化と接することなく自己の殻に留まることはその文化の純粋さを守るためには役立つかもしれませんが、自分らの文明、文化を大きく発展させていくことは困難でしょう。そのような状況にあって諸君と同年齢の先輩は生命をかけて自分の信念と学問への思いを遂げる努力をしました。若者には逡巡に打ち勝つ激しい勇気と安易に流れる心を自制する強い意志があります。

 諸君は本日、本学の大学院学生として入学されました。現在の日本は江戸末期の状況とは大いに異なり、我が国の科学技術は欧米と比肩できる立場にあります。それは諸君の先輩が必死になって、努力した結果今日があることであって、無為にして成ったのではありません。諸君にお願いしたいことはこれら先人達の学ぶことに対する強靱な心と、熱い情熱を我がこととして受け止めて頂き、今日から本学において広く人類に役立つ研究に打ち込んで頂きたいことです。本学教職員一同諸君の入学を心から慶祝すると共に我々と精進されること願っております。

平成12年4月6日

奈良先端科学技術大学院大学

学 長  山 田  康 之