血管拡張の鍵となる酵素の三次元構造を決定し、作用の機構を解明
〜高血圧、心筋梗塞、脳卒中などの治療薬の開発に拍車〜

 
  情報科学研究科 情報生命科学専攻 構造生物学分野の箱嶋敏雄教授らの研究グループは、高血圧、心筋梗塞、脳卒中など循環器系疾患の治療薬の開発に応用される酵素の三次元構造を決定し、作用の機構を解明しました。
  この研究は、箱嶋教授と科学技術振興機構CREST 山口寛人研究員が、名古屋大学大学院 医学研究科の貝淵弘三教授と共同で、血管収縮・拡張を調節する細胞内シグナル伝達の鍵酵素であるRho-キナーゼ(リン酸化酵素)の三次元構造をX線結晶解析という手法で決定し、その構造の解析結果からどのように活性が維持され、一方で薬物により阻害されるか、その機構を解明したものです。
  この研究に関する論文「Molecular mechanism for the regulation of Rho-kinase by dimerization and its inhibition by fasudil (和訳:Rho-キナーゼの二量体化による活性制御と薬剤ファスジルによる阻害の分子メカニズム)」が、米国セル出版の構造生物学雑誌である「Structure(Cell Press), Volume 14, Issue 3 : March 14,2006」に掲載されました。
  Rho-キナーゼは、高血圧などの血管系の疾患を治療する薬剤の有望な標的タンパク質として知られており、その三次元分子構造の決定は、効率的な治療に役立つため世界中の医学・薬学界から切望されていた。今回の研究成果で標的タンパク質の活性部位がわかるので薬物の設計が極めて容易となり、高血圧、狭心症、心筋梗塞、脳卒中、くも膜下出血など循環器系の疾患の治療薬の開発に拍車がかかる。また、 Rho-キナーゼ阻害剤は、脳損傷などの神経系疾患への応用も最近注目されており、脳・脊髄損傷、炎症性脱髄、アルツハイマー病、神経痛などの治療薬の開発も加速すると考えられます。

【論文要旨】
  タンパク質キナーゼのひとつであるRho-キナーゼは、細胞の形態変化や収縮・伸長を調節する鍵酵素であり、血管系や神経系疾患の治療における有望な薬物標的タンパク質である。Rho-キナーゼは、他のタンパク質キナーゼと異なり、アミノ酸配列上、酵素活性をもつべきキナーゼ本体に加えて、余分なペプチド(タンパク質の断片)領域が酵素本体の活性に必須であるという固有の特徴をもつ。しかし、なぜそれらが活性に必要なのかは全く不明であった。今回まずこの謎を解くために、余分なペプチド領域を含むRho-キナーゼの三次元構造をX線結晶解析で決定した(図1)。
  決定された構造では、2分子のRho-キナーゼが、余分のペプチド領域を介して相互作用することにより、二量体を形成していることがわかった。さらに詳しく構造を調べてみると、この会合によって初めて、酵素活性に重要なアミノ酸残基が触媒としての活性を発揮できる構造を保てる機構がわかった。このRho-キナーゼ特有の活性維持機構の解明は、Rho-キナーゼに特異的な全く新しい機構で活性を阻害する薬剤の設計を可能とする。
  本論文では、くも膜下出血時の薬剤として既に臨床応用されている阻害剤であるファスジルが結合した状態でのRho-キナーゼの構造を決定している。その結果、ファスジルはRho-キナーゼの触媒活性部位に結合して、酵素活性を阻害している詳しい様子が明らかとなった。更にファスジルも、また、ファスジルが結合したキナーゼの触媒部位自体も、局所的な構造変化を引き起こしていた(図2)。
  Rho-キナーゼ分子の三次元構造
図1 X線結晶解析で決定された
2分子のRho-キナーゼ(それぞれ、緑色と青色)が会合して二量体を形成している。阻害剤ファスジル(赤色)は、それぞれの分子の活性部位に結合している。
  今回の研究では、この微細な構造変化を誘起する分子の柔軟性が、薬剤の特異的な結合を可能にするという機構の詳細も解明された。この研究成果は、薬剤の改良等を含んだ優れた新規薬剤の開発に貢献するであろう。
誘導適合:柔らかい「鍵と鍵穴」    
図2 誘導適合(induced-fit):柔らかい「鍵と鍵穴」
薬剤とRho-キナーゼの薬剤作用部位は、ともに構造を微妙に変化させてピッタリと(特異的に)結合する。

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【解説】
  豊かな社会(科学技術基本計画の言うところの「生涯はつらつ生活」)の実現のためには、治療薬の十分な開発は必要条件である。我々が何かの疾患に罹ったとき、その様々な症状を和らげたり、治癒したりすることを助ける治療薬が色々あれば安心である。多くの薬剤は、タンパク質の構造を認識して特異的に結合することによって、タンパク質の働きを抑えたり、亢進したりする。タンパク質は薬物の優れた標的であり、医学・薬学上優れた働きをもつタンパク質を選択すれば、有用な治療薬が開発できるのである。
  Rho-キナーゼは、タンパク質キナーゼと呼ばれる酵素の一種である。活性化すると血管を収縮させるという薬理学的に極めて優れた作用がある。我々の血管中には血液が流れているが、これはポンプとして働いている心臓から勢いよく押し出されている。そのために血管には圧力がかかっている。この圧力に抗して、血管を一定の太さに保つためには、血管に収縮する力を与える必要がある。これがRho-キナーゼの血管生理作用である。一方、血管が細くなったり,硬くなったり、あるいは血液が固まり易くなったりすると、血管が詰まってしまうことがある(梗塞)。また、詰まらなくても血圧は高くなる。この血圧に血管が耐えられなくなると、血管が破れて出血する(溢血)。このような症状を抑えるには、血圧を下げる必要がある。Rho-キナーゼの活性を阻害剤で抑えると、血管は拡張して、内径が太くなるので、血圧は下がる。これが、Rho-キナーゼ阻害剤が血圧を下げる作用のある優れた治療薬になる可能性をもつ科学的な根拠である。実際、世界中の研究者・製薬企業が治療薬候補を開発中である。今回のファスジルは、くも膜下出血時の脳血管攣縮を緩和する薬剤として既に臨床応用されている。

  Rho-キナーゼの阻害剤による血管系の疾患への治療効果は極めて広い。高血圧症、心臓の冠動脈の疾患である狭心症や心筋梗塞、あるいは脳血管の疾患である脳溢血(脳卒中)、くも膜下出血などで確認されている。これらの動脈硬化性疾患は、我が国の死因の大部分を占めており(約40%)、その効果的予防および治療法の開発は社会的見地からも極めて重要な問題となっており、今回の成果はまさに朗報である。これらの治療薬の開発が加速されるであろう。
  一方、最近の研究では、Rho-キナーゼの阻害剤の神経系の疾患への応用が注目されている。この一つは、Rho-キナーゼの活性が実は神経細胞を退縮させる効果があり、阻害剤によってこの効果を抑制することで神経細胞の伸長を促進して、神経組織の再生を促すという効果があることがわかってきている。脳・脊髄損傷、炎症性脱髄、アルツハイマー病、神経痛などの治療薬の開発も加速するであろう。

  今回の成果は、薬物設計を実験的に支援する基礎技術として、Rho キナーゼとその相互作用を有する物質との複合体結晶」として特許申請(特願2005-064010;2005年3月8日)してある。
【背景】
  我々の生命の設計図はDNAからできている遺伝子に書いてあるが、既にヒトの全遺伝子(ゲノム)のDNA配列は決定されている。このポストゲノム時代の生命科学研究として期待されているのがタンパク質の構造と機能の研究である。ヒトゲノムの中の情報で最も重要なことは、どのようなタンパク質を作ればよいかが書かれていることである。ヒトゲノムの解読によると、ヒトがひととして健康に生きていくには、様々な働きをする約2万個のタンパク質が必要であることがわかった。タンパク質は、生命体を正しく調節するのに必要な「シグナル伝達」と呼ばれる制御システムを担っている。生体内の指令を受けて、複数のタンパク質が作用して情報を目的の場所に伝達するもので、それぞれのタンパク質の働きは、タンパク質分子の三次元構造が決めているため、構造を明らかにすることはタンパク質の働きを理解するために必須であり、基礎生物学として重要である。また、多くの疾患がタンパク質の様々な働きに帰因することがわかっており、医学・薬学としての重要性も極めて高い。この分野は「構造生物学」と呼ばれており、世界中の研究者が鎬を削っている。
  日本では、科学技術振興機構(JST)が戦略的創造研究事業(CREST)として、「タンパク質の構造・機能メカニズム」という研究領域(研究総括:共和化工株式会社環境微生物学研究所  大島泰郎所長)を 2000年から開始している。箱嶋教授は、研究課題「タンパク質の動的複合体形成による機能制御の構造的基盤」の研究代表者としてこのCREST研究の支援を得て研究を推進している。また、文部科学省も、タンパク3000プロジェクトとしてタンパク質構造研究をサポートしており、タンパク質の個別的解析プロジェクト「細胞内シグナル伝達」(研究代表:北海道大学大学院薬学研究科  稲垣冬彦教授)が進行中である。本研究は、このプロジェクトの一環として進められた研究の成果でもある。

      (独)科学技術振興機構  戦略的創造研究事業(CREST)
      文部科学省タンパク3000プロジェクト
      タンパク質の個別的解析プロジェクト「細胞内シグナル伝達」

【用語解説】
  細胞内シグナル伝達:細胞内情報伝達ともいう。外界からの刺激や、生体内の他の細胞からのシグナル(多くの場合、ホルモンやサイトカインとして受け取る)に応答するために、その情報を細胞内の必要なところへ伝えること。ヒトなどの多細胞生物に高度に発達しており、その異常は多くの疾患の原因になるが、逆に、治療薬の標的としても重要である。伝達機構として、Gタンパク質の分子スイッチ、タンパク質キナーゼによるリン酸化、タンパク質どうしの会合、ならびに他のタンパク質に結合する低分子化合物(セカンドメッセンジャーと呼ばれる)の生成の4つがある。
  Gタンパク質:GTP結合タンパク質ともいう。ヌクレオチドであるGTP(グアノシン3リン酸)に結合して、活性型に自らを変換して、細胞内の情報を伝達する分子スイッチとしてはたらく。一般には、細胞の増殖を制御する情報のスイッチであるRasが有名。Ras の機能異常は癌と密接な関係がある。今回の研究Rhoも極めて重要なGタンパク質の一つであり、平滑筋収縮(血管の収縮は、血管平滑筋が収縮している)などを指令する情報の分子スイッチであり、この情報を受けて活性化するのがタンパク質キナーゼのRho-キナーゼである。
  タンパク質キナーゼ:他のタンパク質をリン酸化する酵素である。リン酸化されたタンパク質は、活性化されたり、不活性化されたり、働きが変換されたりする。Rho-キナーゼはアクチンミオシン系の制御タンパク質をリン酸化して、血管平滑筋を収縮させる。あるいは、神経細胞が伸長した先端の突起を退縮させる。


【本件に関するお問い合わせ先】
奈良先端科学技術大学院大学 情報科学研究科 情報生命科学専攻 構造生物学分野 箱嶋 敏雄
TEL: 0743-72-5570   E-mail: hakosima@bs.naist.jp

このトピックにつきましては、以下のとおり報道されました。
2006年3月15日  日本経済新聞、朝日新聞、産経新聞、日刊工業新聞、日経産業新聞、京都新聞、奈良新聞
2006年3月17日  科学新聞



情報科学研究科  情報生命科学専攻  構造生物学分野

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