せんたん Jan.2013 Vol.21

せんたん Jan.2013 Vol.21 page 7/28

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勲章受章Interviewインタビュー山田康之Yasuyuki Yamada元学長既成の枠を越えた自由な研究を文化勲章を受章した山田康之元学長は、京都大学時代に植物細胞分子生物学という新たな分野の創造と探求に挑み、学問を築き....

勲章受章Interviewインタビュー山田康之Yasuyuki Yamada元学長既成の枠を越えた自由な研究を文化勲章を受章した山田康之元学長は、京都大学時代に植物細胞分子生物学という新たな分野の創造と探求に挑み、学問を築き上げるとともに、多くの優れた研究者を育てた。その経験と研究哲学を踏まえ、奈良先端大では草創期の2代目学長として、世界をリードする前例のない大学院を築くため、研究・教育本位の柔軟な体制づくりを目指し、「本学からノーベル賞学者を輩出する」という夢を実現した。山田氏は、京都大学大学院農学研究科修了後、1960年から同大助手となり、栄養素が葉の表面から吸収される仕組みを調べていた。研究の転機になったのは、62年から3年間の米国ミシガン州立大学農学部でのフルブライト研究員としての研究生活である。「科学の先端を拓く一人一話集」に掲載の山田氏の「私の研究遍路」によると、「もっと活発な研究討論や切磋琢磨する場所が欲しかった」と記している。米国での研究生活から、「大きな視野で物事を洞察し、もっと豊かな人生観を持つこと」を学び、「人にはそれぞれの独自性があること」に気づく機会が与えられた、という。そこで植物細胞を無菌状態で培養するという新しい研究の手法を修得し、米国流のチャレンジ精神を身につけたことが、帰国後の京大での研究の大きな発展につながった。なかでも、不可能といわれたイネなど主要穀物の組織培養に成功したことは世界を驚かせ、その成果は権威ある英科学誌「Nature」に掲載された。さらに70年代中頃から、植物の培養細胞はさまざまな異なった機能を持つ細胞から成立っていることを認め、その認識に基づき、有用物質を高産生する細胞を選抜することにより、有用物質を大量生産する道を世界で初めて確立した。これにより、色素のアントシアニン、抗菌剤のベルベリン、鎮静剤のスコポラミンなど有用な物質の大量生産という応用の道が開けた。こうした大きな業績は高く評価され、これまで日本学士院会員、米国科学アカデミー外国人会員、スウェーデン王立科学協会外国人会員、文化功労者などに選ばれている。本学とは、設立計画がスタートした87年ころから構想調査委員として関わった。開学後も教授、本学遺伝子教育研究センター長を歴任、97年から学長を務めた。その間、研究の活性化を図るため、入学試験制度の多様化、学生・教職員宿舎やミレニアムホールの建設などキャンパスの設備を拡充、国際化についても積極的で、留学生後援会を設立し、事務局の中にインターナショナルセンターを設け、事務系職員の海外派遣を積極的に進めた。文化勲章受章後に開かれたバイオサイエンス研究科20周年記念祝賀会で登壇した山田氏は「構想の時点から、若い研究者で構成する大学院大学の創立を強調し、ノーベル賞受賞者を輩出するという気概を持っていました。本学の存在意義は、立派な学識・技術を持った研究者の育成にあり、そのためには、教員が絶えず学生と接触して伝授することが重要です」と強調した。――文化勲章の受章、おめでとうございます。山田氏本当に今回は思いがけなくいただきました。内定を知らされたときに、驚きと感動で涙ぐみました。――山田先生が学長の時に、本学に採用された山中伸弥先生と同時受章でしたね。山田氏山中先生が本学遺伝子教育研究センターに来られる前のセンター長を務めていました。そのときに教授と助教授が(それぞれ独立したテーマを持ち)研究者として同格であるように整備しておいたことがよかった。山中先生が「好きなことをやれと山田先生に言われたのが、今日のおかげ」と話されることにつながった、と思います。既成の制度にこだわらず自由に研究できるのが大学です。――これからの奈良先端大の役割は山田氏奈良先端大の意義は、立派な研究者の芽を育てることです。この大学は小規模なので、旧帝国大学のような大規模な大学のまねをしなくてもいい。小さな船でも船長が優秀で操縦を過たなければ、大きな船をしのぐ成果をあげることができます。だから、教員は立派な「研究者をつくる」教育に集中しなければ。そのために、できるだけ会議を少なくし、代わりに学長が全権限を持って決裁しなければならない。僕は学長の4年間、学術関係の学会にも出席せず、常に学長室にいました。そうすれば、残念ながら自分の研究は断ち切られますが、大学の管理運営に目がとどき、研究科や事務局は活性化します。――最後に研究者に贈る言葉を教えてください山田氏若手には、サムエル・ウルマンの「青春」です。「年が六十であろうと十六であろうと心に美しさ、希望、歓喜、勇気、活力を持つ限りその人は青春にある」。SENTAN06