せんたん vol.21

せんたん vol.21 page 4/24

電子ブックを開く

このページは せんたん vol.21 の電子ブックに掲載されている4ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
巻頭対談ー研究のアイデアや方針などについても、女性のパワーは発揮されていますか富﨑氏とくに女性だから能力が発揮できたというのは、いまのところ私は感じたことがないのです。そういう意味ではあまり男女の違い....

巻頭対談ー研究のアイデアや方針などについても、女性のパワーは発揮されていますか富﨑氏とくに女性だから能力が発揮できたというのは、いまのところ私は感じたことがないのです。そういう意味ではあまり男女の違いはないのだろうと思います。強いて言えば、私の専門の数学の分野では、紙と鉛筆で研究する世界ですから、計算の緻密さの点では時々感じます。徹底的に計算します。自身と性が合うのか、その計算に取りつかれてしまうほどで、そこには性差があるかもしれません。片岡氏そうでしょうね。ただ、女性の方がいい意味で粘り強いというか持続力があるということがあります。高名な植物学者、古谷雅樹・東京大学名誉教授は、フィトクロムという植物の成長に関係する光受容タンパク質の研究をされていた。赤の光を当てると発芽しなくなり、赤外線を当てると発芽することを確かめる実験で、男性は2回、3回ぐらいですませる。ところが、ある女子学生は、その実験を100回繰り返し、再現性を本当にきっちりと確かめた、と聞いたことがあります。興味を持続する能力は女子学生の方があるかもしれない。私の研究室でも、反応を15分見て終わるところでも1時間まで見るのは女子学生です。それはどちらがいいということではなくて、私のような実験科学者は、理屈を考えてから実験という段取りだけれど、まずとにかく実験をやり、そこで課題を出そうというタイプは女子学生の方があるかもしれない。個人の資質によるかもしれないが、これと思ったら本当にやってくれるというのはありますね。富﨑氏確かに、それは感じます。ー全国の大学で取り組んでいる男女が対等の立場で参加する「男女共同参画プロジェクト」。奈良女子大の場合は、どのように富﨑氏ジェンダー(文化的・社会的につくられた性別)や女性学の研究が学問として認められるようになって、大学に研究センターが設立されました。そのようなジェンダー的な考えから、男女共同参画が生まれてきたのだろうと思います。一方で、自然科学分野における女性研究者の比率が低いという意見が、平成16年、17年頃から盛んに出てきました。奈良女子大でも、当時の理学部の女性教員の比率が約16%であり、全学の女性教員比率と比べて非常に低いこともあり、男女共同参画推進室が設置される際に、理系の私が室長を引き受けることになりました。男女共同参画推進室として、子育て支援等に関する学内アンケートを取りましたら、「学内で一時的に子供を預かってくれる専用の部屋があったらいい」という意見が多かったので、まず、その点から女子学生、女性研究者の支援を考えるようになりました。いろいろな問題が出てきました。例えば、実験系ですと、実験が計画通りに運ばず時間が延びることがあります。そのときに、保育所に自分の子供を迎えに行く必要がある場合、実験の後片付けの支援をしてくれる人がいれば子供を迎えにいくことができるとか、あるいは、自分のかわりに子供を迎えに行ってくれる人がいれば実験を続けることができる、ということなどです。ちょうどその頃、文部科学省科学技術振興調整費「女性研究者支援モデル育成」というのが始まりましたので、いくつかの支援策を提案して採択されました。平成18年度後半に女性研究者共助支援事業がスタートしました。これまで、具体的には子供の一時預かりや送迎制度の整備、一時預かり専用の部屋の整備、育児・介護に携わる女性教員に対して実験などをサポートする人員の配置などを行いました。ー片岡先生は所属の学会の男女共同参画のプランにタッチなさっていた片岡氏はい。いま富﨑先生が言われたのと環境づくりを」ー富﨑氏断念しないですむような「研究の意志を同じようなかたちで、育児や出産のときの支援をするということでした。やはり子育てなどの必要ができたときに、研究か家庭かという選択を迫られる。それが女性だけに集中することを何とか避けるような方策をつくれないかというのがポイントでした。富﨑氏そうですね。片岡氏本学では、妊娠、出産、育児の支援は「学内託児」「出張保育」の形でしていて、これを受ける人に対して研究をサポートする研究技術員をつけるなどの支援もしています。私は特区の構想が出た平成12年頃に、当時の学長に、本学で保育所をつくることを提案しましたが、そのときは女性の学生や教員の数が少なく、育児は必要とする期間が限られているという問題がありました。時代によって課題が異なるので、ただ保育所をつくればいいというわけではないのです。私の所属する生物物理学会は、比較的多くの女性学者が活躍していますが、やはり人数が少ないということは感じていました。助手になりたての頃、高エネルギー物理学研究所で、高エネルギーの電子を加速した時に出る放射光を用いて、物質の微細な部分を観察するための装置開発研究を手がけました。高エネ研には共同宿舎があったのですが、トイレからすべて男女共同でした。しかし、当時の女子学生はがんばっていて、そのような研究環境を全然気にしない。大きな装置を一人でかつぐというたくましさもありました。その後、設備が充実し、女子学生が増えてくると問題になり、きちんと男女別になった。最初の設計時に男女の別を全く考慮しない日本のシステムにこそ、問題があったのではないか、と思うのです。ーそれぞれご自身の理系での研究体験から、男女の学生のあり方について聞かせていただけますか片岡氏私が京都大学理学部に入学した69年は、250人のうち女子学生が5人でした。当時、薬学部は6~7割が女性という時代で、何か特徴のあるところには女子学生がたくさん行くということがあったのかもしれない。女性は英語が強いから文系というステレオタイプの考え方があり、学校や家庭で教育されていた。いまでもその考えは残っていて、女03 SENTAN