せんたん Jan.2014 Vol.22

せんたん Jan.2014 Vol.22 page 4/24

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パネルディスカッション決めるのが良いかどうかという質問に対して、大震災前は、肯定的な答えが8割ぐらいあったのが5割弱に減っている。自分たちも決定に関与していかなきゃいけないと考える人が増えたということ....

パネルディスカッション決めるのが良いかどうかという質問に対して、大震災前は、肯定的な答えが8割ぐらいあったのが5割弱に減っている。自分たちも決定に関与していかなきゃいけないと考える人が増えたということ。小笠原氏国民が自分で考えなければならないとき、次に来てほしいのは、今度は科学者、技術者に対するリスペクト(尊敬)が復活して、科学技術のことは専門家に任せようとならないとまずいと思う。それを戻すような努力を大学も産業界も一緒にしていかないといけない。尾関氏日本の科学技術の現状という意味では、2000年代に相次いでいるノーベル賞の受賞者の仕事は1960年代~80年代の仕事が果実であることが多い。2000年代に入って、全体的に停滞感があるという感じは避けがたい。なかでも、エレクトロニクス分野の停滞が顕著で、柘植さんがお持ちになったデータでは、半導体の素子のなかでも基本的なDRAMメモリー素子の世界シェアは、1987年頃は80%に近い70%台だったのが2003~04年は10%を切っている。柘植氏一言でいうと従来、日本が強みを持っていた製品分野でシェアが縮小している。10年から15年のタイムスパンで、しかも、それが加速度的に急勾配でシェアが落ちている。液晶パネル、太陽光発電パネルも瞬く間に落ちてしまった。つまり、このまま放っておくと、沈みゆく日本と言っても過言ではない。真の科学技術立国への道として、教育側も産業側も一体になって、どのような組み立て方をするのかということに対し、極めて大きな警鐘であるととらえている。尾関氏エレクトロニクスでは、カセムさんは、外国人の比率が高い立命館アジア太平洋大学(APU、大分県)の学長を務められたさいに、地元に日本のシリコンバレーをつくる構想を提唱された。カセム氏この大学にはこれまで百数十カ国から若者が来ていて、すごく創造豊かなクリエーティブな環境がある。地域の基盤に貢献する方策として、熊本モンテカセム氏県と大分県が国内シェアの約20%を占める高品質半導体で、たとえば熊本大学の優秀な技術者とAPUの若い創造力のある者が一緒になれば、何かそこから生まれてくると思った。日本は優れた技術をつなげて社会化し商業化して付加価値を高め、それを次の基礎技術に循環するところが少し下手な気がするので、創造豊かなルネッサンスの人間を育てる環境をつくる必要があると考えた。尾関氏日本は新分野への進出が非常に鈍っている一番の例として、ソフトウエア系の科学技術が遅れていた。つまり、米国のシリコンバレーは、シリコン素子をつくると同時に、それを使ったシステムや社会を視野に入れているからダイナミズムがあると感じる。中小路氏産業の材料としてのソフトウエアとは何か。たとえば製品の性能の枠組みの中にうまく入るように作るのがDRAMなど部品系や要素技術。それに対してソフトウエアは、枠をつくり、その中にどれだけの人が参加してくれるかの想像力とシミュレーション、どれだけのコストと時間を製作にかけるかといった戦略を持ってつくるものと考えられる。そこで決定的に欠けていると感じるのは、想像力やスキルを持つ人はいるのに、きちんとその価値を見られる人がいないということだ。産業的にソフトウエアが難しいのは、社会全体として描いたビジョンを、企業、大学の中で共有してワクワクしながらつくりあげる文化がないことではないか。柘植氏産業側の課題と、教育側の人材育成という二つの面で話したい。まず、産業側はソフトウエアの問題だけではなく、多数の優秀な人材が時間をかけて柘植綾夫氏共同作業しないとできない製品とか、インテグラル(摺り合わせ)型、統合型などビジネスのアーキテクチャーの視点を強く取り入れるべきだ。一方、教育する側は、産業側のモノづくりを支える人材として、ビジネスのアーキテクチャーを基礎から研究して開発し、世界の市場に出していくことをめざせるようなイノベーションリーダーである「Σ(シグマ)型統合能力人材」を養成すべきだ。小笠原氏大事なのは、完成するのには時間がかかるが革新を起こすようなもの。機械でいえば、最近、感激したのは、DNAの新しい解析装置(シーケンサー)で個々人のゲノムの塩基配列を安価に簡単に決められるようになり、日常的な健康診断などに使えるようになる時代が来ている。1970年代の初めにDNAの塩基配列を決める原理が提案されてから、実は40年間同じ原理で動いていた。ところが、2、3年前に、ついに全然違う原理でのシーケンサーが出てきた。それは、DNAの塩基配列が酵素により合成される過程をCCDカメラでモニターするシステムを同時並行に行うという機械。どうしてこんな原理を発想し、実現し得たのか不思議なほどだ。日本でそのような新しい技術を切り開いてくれるような人材を育成するためには、シェアを広くしろという言葉だけでは不足で、そのモデルを見せる必要があると思う。カセム氏私もよく虫の目(微細な視点)と鳥の目(俯瞰する視点)を往復できる科学者をつくるべきだと思う。異なった目を持つ複数の方々の協同体を受け入れる環境があり、そこに高い志の課題を与えて協同させることが一番いいと思う。それには、日本の大学のゼミなどがすごく向いている。一方、企業環境の中ではゆとりがなくなっているという気がするし、もう一方では、日本の組織は気まぐれな人間を受け入れづらい体質だ。だから、そういう人間を大学に置いて、企業に給料を払ってもらえばいい。その恩恵は企業も受けられると思う。柘植氏しかし、それを教育、人材育成という場に落とし込んだときに、気まぐれではなく多様な発想ができる人が必要だ。シーケンサーもディストラクティブ・イノベーション(破壊的技術がもたらす革新)と言っていいが、ライフサイエンスの最先端を知っている人が仲間にいて、一方ではエレクトロニクス、制御、システム全体をインテグレーションできる人もいるし、発明した人は、その人たちの発想を理解し、活用する能力があった、といえる。このような人材が育つ環境を日本の高等教育では与えているだろうか。中小路氏そういう人材は多分、放っておいても育つ。一番重要なのは、そういう人たちの邪魔をしないという努力をすることだと思う。例えば、どう役に立つのかがよくわからない評価を出せとか、研究者を振り回すことになるような要因を除いてあげたい。私が奈良先端大にいたときに、30年後に30人の中から一人か二人凄い人が出たらいいと考えているといっていた、「さきがけ」の研究費を受けて、伸び伸びと研究させていただいた。今、その制度の名前は残っているが、国家戦略に合うかどうかでチェックをするような制度となっている。研究成果としてでき上がってくるものは絶対違ってくると思う。山中伸弥・京都大学教授は、私と同じ時期に「さきがけ」の研究助成を受けてノーベル賞を受賞された。そういった、何かに賭けてみるという文化を許容してあげることを、せめて大学の中では守っていかないと、ますます平均的なものばっかりを作っていくような社会になってしまうのではないか。尾関氏今のお話を伺っていて感じるのは、日本の科学技術の停滞というのは、日本の社会の投影であって、何かガチガチに官僚主義的になって自由度が失われてという、そういう雰囲気がやっぱりあるのかなと思う。それでは、後半は主にこれからの人材育成をどうしていくかというような話で進めていきたい。中小路氏私の研究分野はヒューマン・コンピューター・インタラクションなどと言われる分野で、人間がより創造的になるようなコンピューターシステムを考えることを研究テーマにしてきた。そうすると、研究成果としてつくるのがアプリケーション(応用)システムをつくることになるが、私の中では人間と計算機の環境を考えるというところの基礎研究をしていると常々考えている。人間が使うものは応用と思われているが、人間に近いところの基礎科学が必要だと思う。特にソフ03無限の可能性、ここが最先端-Outgrow your limits-