せんたん Jan.2014 Vol.22

せんたん Jan.2014 Vol.22 page 5/24

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トウエア研究の周りは、人間にはこういう性質や特徴があり、情報によってこのように行動する、などといった基礎科学として研究する必要があると考える。尾関氏カセムさんは、都市工学、建築の分野が専門だが、若いこ....

トウエア研究の周りは、人間にはこういう性質や特徴があり、情報によってこのように行動する、などといった基礎科学として研究する必要があると考える。尾関氏カセムさんは、都市工学、建築の分野が専門だが、若いころは微生物の研究者で、専門を移られた理由が、人の姿が見える学問をやりたかったということですね。カセム氏私が1966年にスリランカの大学に入ったとき、微生物の研究は新しい分野で華々しかったが、実際、研究室に入ってみると面白くない。試験管を見るか、遠心分離を使うかで、優れた顕微鏡もない。ほとんど想像するしかない。このとき、隣に建築学科ができて、見える方に行きたいと、そちらへ移った。そのときわかったのは、微生物の研究での想像力が建築学科に入ってすごく役に立ったということ。つまり、いろんなデザインの発想が人間の中に潜在的にある。基礎教育として、それを生み出せるような努力を、もう少し意識的にやったほうがいい。尾関氏微生物学のような基礎の科学が、人間が見える学問としての都市工学に生かされた。この辺に従来型の基礎科学と、求められる新しい科学との関係性が見えてくるかなと思う。柘植さんの言われたΣ型統合能力人材もこの文脈で語れると思う。柘植氏Σ型統合能力人材を一言でいうと、我々が科学と技術の革新を社会的な価値、経済的な価値にするという能力を持った人です。この人材は3つの能力を持っている。1つは複眼的エンジニアリング能力。自身の専門にとどまらず幅広い工学知識を有して、こうあるべきだという設計科学を実践する能力。自分以外の人間に対する愛情や理解力がなければできない。2つ目は、テクノロジーを社会価値化するという一種の技術経営能力と言える。これも複眼的なエンジニアリング能力を基盤として、自分の属する組織、人間の持つ知識資源を核として社会的な価値化をするという、一種のマネジメント能力だ。3つ目は、あえてメタナショナル能力で自分の国を基盤にして世界の国々、あるいは文化に対する理解能力を持つことだ。いずれも人間力が求められ大学院教育には必要なこと。尾関氏柘植さん、山中京大教授にはΣ型の部分がかなりあるのでは。柘植氏そう思います。ただ、Σ型統合能力人材というのは、ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんとか、要は何かの分野で必ず勝てる技術を生み出す能力の人じゃないと駄目だ。小笠原氏何で山中さんの研究が奈良先端大でスタートできたのか。そのプロセスを考えると、もちろん山中さんは医師で人の病気の治療に関心があった。それで本学に来て新しいテーマを立ち上げるさいに、いろんな臓器に分化できるES細胞は倫理的な問題もあるという医学界の重要問題について、きちんと認識していた。そこで、人の細胞の一番初期の段階にどんな遺伝子が動いているかをデータベース化する。そのとき、本学はゲノム解析プロジェクトのメッカの一つで、そういう情報があった。一方で、そういう膨大なデータベースの情報の中から、この最初の細胞の中だけで動いている遺伝子を抽出するというバイオインフォマティクス(生物情報科学)の技術が必要で、実は、その分野を担当する情報生命科学専攻が本学にできたときだったので相談相手がいた。さらに、この遺伝子をこの細胞に入れてES細胞のようなものにする実験のためには、細胞に外から遺伝子を入れて動かす技術が必要で、それも本学が持っていた。世の中で何が動いているかをサーベイし、自分が想定している問題を解くために、こういう組み合わせが面白いという発想ができた。そこが非常にポイントであったし、本学でできたのは、周りにそういう発想があり、技術的にもディスカッションがあった。尾関氏Σ型の人材は、結局、人間社会との接触点をわかっていて、それを知りながら、うまく自分自身の研究をオーガナイズしていくような人と言い換えてもいいと思う。柘植氏大学院の使命である未来の創造に、間違いなく不可欠なのは、先端科学を切り開く人材育成。「Σ型」の人材を育てるために、複線的なカリキュラムを選択できる場を設け、学生にチャンスを与えるべきだと思っている。小笠原氏バイオサイエンス研究科の理学系に近い研究室でも、博士を取ったあと企業に就職する人も増えているし、企業の方からも採ってくれている。理工系の学生を修士まで大学院で鍛えて教育してもらい、企業で研究職として採用し、職場内訓練してというのが、今までの日本のビジネスモデルだった。だが、グローバル化すると、欧米の企業では博士の学位がないと研究者として扱ってくれないので、修士で修了というのはグローバル視点ではちょっと不十分な面が出てきた。だから、今後、その問題にどういうふうに日本の企業が対応していくのか。大学側の博士課程の指導も、そのような視点で考えていくことが必要になってくる。一方で、博士課程を修了した博士号取得者の評価を日本も世界のグローバルスタンダードに合わせてほしい。尾関氏欧米はどうか。中小路氏私は博士号を米国で取り、学位はPh.D.、つまりDoctor of Philosophy、日本語で言うと哲学博士となる。自分のアプローチがいかに正しくて、問うているテーマが社会から見ていかに重要で、それがいかにプロミシングな解決策か、そうなると世の中はどうなるのか、中小路久美代氏といったことを語って初めて、ドクターをもらえるような教育を受けた。尾関氏つまり研究の中に、自分のしていることを説明する、語るという方向性が内在しているということか。中小路氏はい、それが入っている。その意味では、研究領域の知識に加えて、例えば、論点の整理と解決のアプローチをデザインする能力、といったものは、博士に必須のものという感じがする。それができるから欧米の企業ではPh.D.が重宝されるのだと思う。日本では、専門知識をもっている博士号という認識が強く、ちょっと違っているように感じることがある。カセム氏日本は、他人に自分の考えを伝えて説得するということよりも、職人みたいにデータを集めたり、分析したり解析したりする中で、無口でも人に評価されるという文化だ。だから今、日本の博士号研究は、欧米型になろうとして中途半端になっている。日本の高等教育の上流にある博士号養成は、この日本型、職人型の良さをもう一回分析しながら、Ph.D.の良さをどう取り入れるかということを考えないといけない。小笠原氏大学院の教育論で、特に博士過程をどう考えるかという問題になってくると、大学院教育改革プログラムなどさまざまなプログラムの中で、研究小笠原直毅氏だけではなくて、コミュニケーション能力なりグローバルな対応力なりの博士をつくろうとの取り組みがあると思う。今は、大学の一つのシステムとして、積極的に研究開発に授与する博士人材を世界に送り出すという使命になっているわけで、学位論文は何をどう狙うか、主体的に研究を進める能力とかクリエーティブシンキングとか、その辺が同時に身に着いていないとおかしいということになる。それをどのように評価するのかを、もっとはっきりさせていく必要がある。かつて、大学の自治という言葉で象徴されたような大学の運営から、今、がっしりと社会の中の一つの重要なファクターになっている大学をどのように考えるか。大学とは何かという問題の現代版を確立することが、一つの大きな課題と思っている。尾関氏今、小笠原さんのほうから、現代の大学論についての提起がなされたと思う。奈良先端大は大学院大学なので、大学院とは何か、それから博士号とは何かということを、もう一度、根底から考え直してもいいときなのかもしれないという感じがした。尾関章氏SENTAN04