「ナノの世界を電子ホログラムで覗く」

2007/03/13

−触媒反応などの表面での反応現象の可視化に向けた新技術の開発−

財団法人高輝度光科学研究センター(以下「JASRI」という。理事長吉良爽)は、電子ホログラムから、立体的な原子配列を計算する新たな理論を考案し、 SPring-8で、放射光励起による電子を使った電子ホログラムを測定して、理論の検証に成功しました。ホログラムとは、平面内に立体情報を記録するも のですが、放射光励起による電子を使えば、原子サイズの立体情報が記録可能になります。今までの理論では、膨大な数の電子ホログラムを測定しても、ほとん ど原子配列を可視化できませんでした。新たな理論は情報理論を利用することで、たった1枚の電子ホログラムから立体的な原子配列を求めることを可能にしま す。
この理論の検証のために、JASRIは国立大学法人奈良先端科学技術大学院大学(学長 安田國雄)と共同で二次元表示型電子エネルギー分析器を開発し、得 られた1枚の電子ホログラムから、原子配列を求めると、102個もの原子配列が得られることが分かりました。これは、従来の約10倍の数に相当し、新理論 が非常に有効的であることが確認できました。また、開発された電子ホログラムの測定装置は、測定時間が 0.1秒程度と、従来の同様な装置に比べて数百万分の1にまで短縮でき、原子の立体的な移動をリアルタイムで観測することが可能になりました。本分析器の 開発は、科学技術振興機構戦略的創造研究「ナノ構造解析のための立体原子顕微鏡の開発」の成果の一部です。
これにより、触媒反応や微細構造生成を、原子レベルでリアルタイムに立体映像化できるようになり、触媒の性能向上や半導体の品質向上などに役立つと考えられています。
本研究は、文部科学省の科学研究費補助金[若手研究(B) 課題番号16710076]、SPring-8の利用研究課題[2004B0482-NM-np]において、松下智裕(JASRI 副主幹研究員)、大門 寛(奈良先端科学技術大学院大学 教授)らの共同研究で得られたもので、アメリカの雑誌 Physical Review Bに3月15日に掲載されます。

【研究の背景と目的】
ホログラフィーとは、立体像を写真に記録、再生する方法で、立体像を記録したものをホログラムといいます。光のホログラムは、すでに実用的に使われていま す。例えば、クレジットカードに印刷されているホログラム(銀色の部分)に光を当てると、立体的な映像が浮かび上がってきます。これは、光が波の性質を持 つことを利用して、平面の中に立体的な映像を記録しているのです。同じように、電子もナノスケールぐらいの極小領域では、波のような性質を持ちます。この 波の性質を使って電子のホログラムを作ることができます。電子の波のサイズ(波長)は原子半径よりも小さいので、電子ホログラムには、原子の配列(並び 方)を立体的に写すことが可能になります。立体的な原子配列は、物質科学にとって非常に重要な情報です。これは大きく区分すると2つの種類があります。物 の「内部の原子配列」と「表面の原子配列」です。同じ物体でも、ほとんどの場合は内部と表面で原子の配列が大きく異なっています。表面の原子配列を測定す ることは、さらに重要です。例えば、触媒反応では、触媒の表面に分子が付着し、触媒表面上を原子が移動しながら、反応が進んでいきます。表面上の原子の位 置を知ることが、触媒機能向上のひとつの手がかりになります。
電子ホログラフィー以外にも、原子を測定する方法が幾つかあります。SPring-8でよく使われている、X線回折法は硬X線を使いますが、硬X線はレン トゲンのように物質を透過してしまい、表面を見るには大変な労力が必要になります。ほかにも研究室で利用される、「走査型トンネル電子顕微鏡」という、表 面を鋭い針でなぞりながら測定して、表面の凹凸から原子配列を測定する方法があります。しかしながら、表面の1層分の情報しか分からず、それより下の層は 分かりません。
その点、電子ホログラムでは、表面の原子配列を高感度、高精度で立体的に測定できます。というのは、1000電子ボルト(eV)以下の電子は、ほとんど物 質を透過できず、表面から1ナノメートル(nm)程度の領域からの信号しか出てこないためです。測定方法は単純で、試料に放射光を照射し、出てきた電子の 数、速度、方向を分析するだけです。詳細に説明すると、物質に放射光(軟X線)を照射すると、電子(光電子やオージェ電子(用語1)が飛び出してきます (図1)。電子はナノの空間では波のように振舞います。電子の波は物質内部では、周囲の原子で散乱され、波同士が干渉をおこします。その後、物質の外に出 てきます。この電子を、「電子エネルギー分析器」を使って、狙っている速度の電子の数をいろいろな方向で測定します。得られた電子数の分布は電子の波の干 渉の結果できたものであり、原子の立体配列を反映した電子ホログラムになります。光で励起した電子は光のエネルギーと観測する電子の速度を調節すると、任 意の元素から出てきたものを選別することが可能です。これを利用すると、物質中の狙っている元素に起因する電子ホログラムを独立に測定でき、その元素の周 囲の原子配列を選択して観察することが可能になります。
この究極の表面の原子配列測定法は1986年ごろから研究がはじまり、20余年にわたって研究されてきましたが、今までの測定方法では1枚を測定するのに 数時間もかかっていました。というのは、従来の「電子エネルギー分析器」は、特定の方向しか測定できないため、サンプルを回しながら、測定する必要がある からです (図2) 。しかも、電子ホログラムから、原子配列を得るには、観測する電子の速度を変えながら、数十枚も測定する必要があり、すべての測定には何日もかかっていま した。そして、数十枚も測定したホログラムから、原子配列に変換しても、せいぜい10個程度の原子しか見ることができませんでした (図3) 。これは、原子配列を求めるための理論の精度が悪かったためです。このため、実用的な原子配列を測定方法として使うことができませんでした。

【研究手法と成果】
JASRIの松下副主幹研究員は従来の困難を克服するために、新しい理論を考案しました。従来の方法では、ホログラムから原子配列を計算するために、 「フーリエ変換」という計算法を使っていましたが、電子が原子によって散乱される過程の近似式が悪いのが原因で、原子配列を求めるのが困難だったのです。 松下研究員は、「フーリエ変換」を使わずにより正確な原子配列計算法として、「最大エントロピー法を利用した散乱パターン分解アルゴリズム」という計算法 を考案しました。「最大エントロピー法」という情報理論と「量子力学」の(電子の)「散乱理論」を組み合わせた計算法です。この方法は原理的には、たった 1枚のホログラムから原子配列を求めることが可能であると予測しました。
この理論の検証実験を奈良先端科学技術大学院大学の大門教授のチームと共同で行いました。実験には波長を自由に変えられる高精度かつ高輝度な軟X線が必要 になるため、大型放射光施設(SPring-8)の軟X線固体分光ビームラインBL25SUに、「二次元表示型電子エネルギー分析器」という、電子ホログ ラム測定装置 を共同開発して、実験を行いました。共同開発した測定装置は、電子ホログラムを一度に撮影できる独自の構造になっています(図4) 。この装置を用いると、SPring-8の放射光が高輝度であることとも相まって0.1秒の露光で電子ホログラムを得ることが可能です。これは従来の方法 に比べ約10万倍も高速です。
この装置を用いて、高精度な電子ホログラムを撮影しました(図5左) 。検証に用いたサンプルは銅の結晶です。放射光を用いて、運動エネルギーが914eVのオージェ電子を使いました。この1枚の電子ホログラムに理論を適用 した結果、102個もの原子の立体配列を見ることができました(図5)。また、得られた空間分解能は0.05〜0.02ナノメートルと高分解能であること が分かりました。

検証の結果、この方法は従来の理論に比べ、
●ホログラムの測定枚数は、数十分の一
●得られる原子の数は、約10倍
という、驚くべきものであることが分かりました。
さらに、開発した測定装置と新理論を組み合わせれば、従来に比べて、測定時間を数百万分の一にまで短縮でき、今まで、何日もかかっていた測定が、わずか 0.1秒で完了します。これを利用すれば、特定の元素に対して原子レベルの変化をリアルタイムで立体映像化できるようになります。したがって、ほとんど実 用的でなかった、電子ホログラフィーが、実用的な表面の立体的原子配列のリアルタイム測定法として利用できる道が開けたのです。

【今後の展望】
今回新たに開発され、その有効性が実証された「電子ホログラフィー」を使えば、ナノテクノロジーの一つの重要なキーテクノロジーである「表面のナノ構造」 を直接、立体的に観察できるようになります。この技術は、さまざまな試料に対して応用が可能です。特に、狙っている元素を選択して、その周囲の原子配列を 可視化できるのが、従来の方法には無い大きな特長になります。
例えば、先に述べた触媒反応では、分子が触媒の表面に付着し、反応が進んでいきます。ある特定の元素が触媒反応にかかわるような場合、反応分子を含んだ原 子構造を電子ホログラムを使って見ることで、触媒と反応分子の状況を知ることができます。その結果、より効率的な触媒反応をおこす表面構造を設計する事も 可能になります。したがって、排気ガス中の有害物質を分解する触媒等の性能向上への応用が期待できます。
また、従来のX線回折法などでは、純粋な結晶が必要とされ、結晶中に含まれる不純物の原子配列の測定を行うことは難しいとされています。ところが、半導体 の特性などは、不純物によってコントロールされており、不純物が結晶中にどのように入っているかが、半導体の性能を左右します。この場合でも、電子ホログ ラムを使えば、不純物の原子配列を測定することが可能です。したがって、半導体の性能向上への応用も期待できます。
また、この測定手法は、いろいろな方法と組み合わせることが可能です。例えば、細く絞った放射光と組み合わせれば、半導体などの表面上に作られたマイクロ デバイスの構造を、原子レベルで、元素を特定しながら観測できようになります。したがって、ナノテクノロジーの原子レベル制御を飛躍的に向上させることに 貢献できるようになると考えています。
日本発の新理論と新装置は、同様の実験が、近い将来世界中で展開され、今後の物質・材料科学の発展に大きく寄与していくものと思われます。
なお、本研究は、文部科学省の科学研究費補助金[若手研究(B) 課題番号16710076]、SPring-8の利用研究課題[2004B0482-NM-np]において遂行されました。
また、本分析器の開発は、科学技術振興機構戦略的創造研究「ナノ構造解析のための立体原子顕微鏡の開発」の成果の一部です。

(用語1)
オージェ電子: 光などで原子が励起されたのち、励起状態にある原子が、電子を1つ放出することで、より安定なエネルギー状態へ遷移する現象がある。この時に放出される電子のこと。

【本研究に関するお問い合わせ先】
財団法人高輝度光科学研究センター ビームライン・技術部門 副主幹研究員 松下 智裕
TEL: 0791-58-0831 FAX: 0791-58-0830 E-mail: matusita@spring8.or.jp

【本研究の装置に関するお問い合わせ先】
物質創成科学研究科 物質創成科学専攻 凝縮系物性学講座 教授 大門 寛
TEL: 0743-72-6020 FAX: 0743-72-6029 E-mail: daimon@ms.naist.jp

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