NAISTに入るまで
NAISTに来る以前の私のバックグラウンドは数学で、学部では応用数学を学んでいました。卒業研究のテーマは気象学に関連するもので、大気中の重力波を扱っていました。博士前期課程はハルツーム大学で計算・産業数学(Computational and Industrial Mathematics)を専攻しました。このとき使っていた手法が、神経科学と数理モデリングに興味を持つきっかけになったのだと思います。
当時、奨学金の情報を得るために雑誌「Scholarship Positions」を購読していて、そこでNAISTに出会いました。私はNAISTに来た最初のスーダン人だと思います。
NAISTのウェブページには研究室の指導教員の情報が載っていて、はじめに池田先生にメールで連絡を取りました。最初の入学試験は研究計画に重要な部分が欠けていたためか不合格でした。その後、先生の指導のもと再挑戦し、合格して日本に来ることができました。
日本に来られたことは、私の人生で最良の出来事だと思います。ずっと日本に来たいと思っていました。もともと日本文化——進んだ技術や自然、倫理観、礼儀作法やお互いを尊重し合う姿勢——に惹かれていました。大学時代に日本人や日本にルーツを持つ友人を通じて文化やアニメへの関心が深まり、日本語の先生(スーダン人男性と結婚し、スーダンに20年近く住んでいた方)を見つけて学び始めました。その後大使館にかけあった結果、ハルツーム大学に日本語専攻ができ、正式なクラスを受けられるようになりました。
特に興味があるのは、日本人が仕事をどう大切にしているかということです。誰かが見ていなくても常に全力を尽くす姿勢、そして高齢になってもそのエネルギーを保ち続けられる点に驚かされます。スーダンでは平均寿命が40〜60代ほどで、糖尿病や高血圧などの遺伝性疾患も多く、50歳を過ぎると「生きること」より「死」を意識するような文化があります。だからこそ、日本人が長年にわたってモチベーションを保ち、自分の役割に感謝し続けられる姿はとても新鮮です。
指導教員のような年配世代と、研究室の若いメンバーとの違いも感じます。若い世代にも責任感や自律性はありますが、60歳を超える日本人には、仕事への献身や活力の面で何か特別なものがあると感じています。
現在の研究内容と研究生活
博士前期課程を修了後、ハルツーム大学工学部で1年間チューター(tutor)として勤務しました。その後、「国立風土病研究所(National Institute of Endemic Diseases)」でリサーチアシスタントの職に就きました。これは、研究環境の中で実務的な研究スキルを身につける貴重な機会となりました。しかし研究資金は非常に限られており、制度も不安定でした。研究者が論文を発表して初めて報酬を得られるという場合もあり、6か月以上働いても給料が出ないこともありました。研究の経験自体は貴重に感じていたものの、研究だけを収入源にするのは経済的に難しい状況でした。
生活を支えるため、数学教師、家庭教師、私立学校やインターナショナルスクールでの講師業など複数の仕事を掛け持ちしながら、さらに別のフルタイムの仕事も抱えていました。教えること自体は嫌いではなく、むしろ多くの面で楽しんでいました。しかし、本当にやりたいのは研究なのに、経済的により安定しているという理由で教える仕事に引き戻され続けているという感覚が常にありました。
子どもが1歳と3歳の頃は、これが特に大変でした。同時期、夫はサウジアラビアに単身赴任していたため、仕事・育児・家事のほとんどを一人で担っていました。あまりに多くのことに追われていたため、その頃の記憶はほとんど残っていません。
仕事を掛け持ちしても貯金がほぼできない生活を2年ほど続けた後、NAISTの入学試験に合格することができました。夫に伝えると彼はサウジアラビアから帰国し、ビザ申請などの手続きを経て、2022年11月、秋学期開始からすでに6週間ほど経った時期に家族全員で来日しました。今ようやく自分が本当に興味のあった研究の道に進めている実感があります。
現在の研究テーマは精神医学関連のモデリング研究ですが、ここに行き着いたのは、精神的な健康問題で命を落とした友人や家族が何人もいたことがきっかけです。博士前期課程では、双極性障害の気分モデルに最適制御を適用することをテーマに、治療を受けても健康だった頃に戻れないのはなぜかという問いに取り組みました。
NAISTに来てからは「依存する脳」をテーマにしました。精神疾患を抱える人は、生活が改善しても薬をやめられず、やめれば離脱症状が出るため、一定の状態を保つために薬を使い続けてしまう。この循環に関心を持ちました。やがて「依存する脳」から、ある特定の障害を持つ人々のストレス管理を数理モデルで表現することへとテーマを発展させました。薬や治療を減らすのが難しいのはどの国の精神保健分野にも共通する課題です。がんの場合は回復して治療をやめられる人もいますが、精神保健にはまだブレイクスルーがないと感じています。
学部の頃から数学史にも関心があります。数学史を追うことで、あるトピックがなぜ特定の分野(経済や医療など)で生まれ、数学とともに発展してきたかが見えてきます。新しい数学的手法が他分野の課題解決に使われ、科学と数学が段階的に統合しながら発展していく——その過程が新たな解決策や課題の発見につながるのだと思います。
課題の発見や解決のためにはまだまだ努力する必要があり、もっと良いモデルが必要です。でも未熟なものでもまず形にしなければ改善の機会は訪れません。自分のアイデアがあまり良くないものだと感じることもありますが、口に出して取り組み始めなければ何も改善しません。まず一歩踏み出すことが大切だと思っています。
初めて指導教員にスライドショーでアイデアを見せたときのことを覚えています。池田先生、吉本先生、久保先生は、テーマをより面白くするための問いや、それを解決していく方法についてアドバイスをくれました。これが私がNAISTで得ているサポートです。
研究環境の課題
NAISTの立地は大阪などへの買い物には不便ですが、私は静かな場所が好きなのでこの環境をとても気に入っています。にぎやかな場所には長くいられないので、繁華街などが恋しくなったら1日大阪に出かければ十分満足できます。
来日当初は英語でコミュニケーションが取れるか心配でしたが、関西空港到着時から多くの人が私たちを助けてくれ、空港を出るまで一人にされることはありませんでした。来日後も、研究室が手配してくれたチューターが市役所への同行や各種手続きを手伝ってくれて、とても助かりました。
NAISTに欲しいと思うのは、毎年開催される国際的なイベントです。修了生や在学生だけでなく、交換プログラムに関わる指導教員や研究者、さらに様々な分野・背景を持つ人々も招き、自分たちの研究を紹介し合ったり、アイデアを交換したり、日頃の学術コミュニティを超えたつながりを築けたりするような場があるといいと思います。万博のようなものではなく、もっと対話やネットワーキングに重点を置いた場——若い世代、たとえば自分の子どもや高校生・中学生も含め——が研究者や専門家と出会い、科学や技術、そして自分たちの将来にどのような可能性が開けているのかについて視野を広げられるようなものをイメージしています。既存の交換プログラムに加えてこうした場があれば、留学の機会がない学生も含め、異なる国・文化・分野の人々とつながり、それまで出会うことのなかった視点やチャンスに出会える機会になると思います。
まだ本格的に取り組み始めているわけではありませんが、今後、何らかの形で母国とNAISTのつながりを作っていきたいと考えています。ご存知のように、2023年4月、スーダンで戦争が始まりました。私が勤めていた研究機関は、1991年から疫学関連の膨大なデータを大切に守ってきましたが、戦争が始まると施設は乗っ取られ、長年の貴重な研究成果の多くが失われてしまいました。教育制度全体が影響を受け、大学の図書館はすべて焼かれてしまいました。人々は大切なものを失い、深く打ちひしがれています。私自身も恩師を一人亡くしました。「自分の個人書庫は大学の図書館より大きい」といつも言うほど本を愛していた方でしたが、首都の自宅で襲撃されたのです。こうしたことで、多くの人が研究を再開する気力を失っています。戦争が終わらない限り、本当の意味での研究の立て直しは難しいと思います。
私は学内のカウンセラーのところに通って、ストレスを溜めないようにしています。母国では、私と夫の家族全員が、銃で脅されて自宅から強制的に避難させられました。これは本当に耐え難い経験でした。多くの人々が避難を余儀なくされ、教育も仕事もすべて止まってしまったためスーダンを離れざるを得ませんでした。子どもが学校に通っている友人たちは、教育を続けるために湾岸諸国やエジプトなど、国外へ移らざるを得ませんでした。私たちは2022年11月にこちらに来てから、一度も帰国できておらず、今も家族や友人のことを常に心配しています。ただ、最近ではスーダンの一部地域で治安が改善しつつある兆しもあり、それが将来への希望につながっています。この改善が続き、人々が少しずつ自宅に戻り、家族が生活を立て直し、子どもたちが学校に戻れるようになることを心から願っています。私自身にとっても、いつか母国に帰り、スーダンが再び平和になった姿を見ることができる可能性は、これからも持ち続けたい希望です。