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研究者紹介 vol.11 バイオサイエンス研究科 応用免疫学(新藏研)新藏 礼子 教授

京都大学大学院医学研究科外科系専攻博士課程修了。博士(医学)。専門分野は、免疫学、分子生物学。

研究者への道のり

京都大学の医学部を卒業して、26歳で結婚し、27歳で1人目、30歳で2人目を出産しました。その間は麻酔科の医師として働いていました。外科医の夫の仕事の関係で、結婚後は九州で仕事をしていましたが、昔から研究をしたかったので、一生に一回しかチャンスはないと思い、2人目を出産した2ヵ月後に大学院試を受けました。妊娠中、病院の休憩時間に教科書を開いて勉強したことを覚えています。そして、産後半年で京都大学の大学院生になりました。博士課程修了後は、京都大学のポスドク~准教授、その間のアメリカへの留学を経て、長浜バイオ大学で教授を勤め、昨年本学に着任しました。

今でも感謝しているのは、大学院に戻るときに、夫が自分の京都での勤め先を確保し、一緒に移ってくれたことです。夫には、何年も前から大学院に戻りたいと言っていたので、これ以上遅くなるといけないと思ったのでしょうね。夫は私よりも後に大学院に進みましたが、当時の夫の決心には感謝しています。

もともと子どもの頃から研究者になりたいと思っていました。例えば、白雪姫の本を読むと、ふつうはお姫様になりたいと思うじゃないですか。でも私は魔女のほうに興味があった。こうやってフラスコ振って何かをつくる、あれはおもしろいだろうなって。そういう子どもでした。だから、高校生のときは医学部ではなく理学部に進もうと思っていました。けれでも、今も現役で医師をしている父親に、研究が人間に悪く影響することのないように、人間のことを勉強してから研究者になったほうがいいと助言され、医学部に進みました。医学部に入るための勉強も、医師の国家資格のための勉強も、暗記が中心でしたので決しておもしろいものではなかったけれど、麻酔科医になってからは、患者さんの命を守る重要な仕事だと痛感して患者さんがどうしたら痛がらずに目が覚めるか、真剣に取り組んでいました。 

だから仕事に不満があったわけではないのですが、私の好奇心がね・・・ この麻酔をこう変えたらおもしろいかも、とか思うのだけど、それは実際に人間ではできない。そういう疑問を最後まで突き詰められる基礎研究をしたくて、やはり研究の道に進もうと思いました。当時から抱いている「免疫の抗体をつくっている遺伝子がどうなっているのか」ということへの好奇心は今も続いていますね。

仕事と子育ての両立 認識を変えたできごと

大学院に進学した時に、子どもたちは大学構内の保育所に入りました。とてもお世話になったので、何か役に立とうと保護者会の会長もしました。会長を何年か務めるなかで、全国の保育園連合の大会にも行きました。そこでいろいろな話を聞いたことは、私の子育てへの認識を変えましたね。

一番大きかったのは、男女共同参画がテーマのセッションに参加したときのことです。そこにはお父さんたちも来ていました。彼らが言ったことで印象に残っているのが「医師や看護士、学校の先生をしている女性は責任感が強すぎて、家のことも仕事のことも全部ひとりで解決しなきゃいけないと思っている、それは間違いだ。女性一人がやるものではなくて、同じ家族である父親もやるべきものだ」でした。自分の考えが変わりましたね。私の世代の女性はおおかたそうでしたが、それまでは全部自分でやらなきゃと思っていた。でもほんとにそのお父さんのいうとおりだと思いました。

学位を取った後、アメリカに3年半留学をしたことも、この認識をさらに強めました。私が見たのはほんの限られた部分かもしれませんが、アメリカ社会はほんとに男女の差がないと感じました。ボストンのビジネスマンが平気でベビーカーを押して保育園に行く。こうあるべきだって。ボストンでは、私が仕事で忙しいときは夫が子どもの送り迎えをしてくれました。その頃から、子どもは家族で育てるものだから、父親も母親も関わるべきで、できるほうがやればいいというのが確立されたかな。ラボのメンバーも、子どもがいて早く帰らなければいけないことをわかってくれていて、たとえば実験設備の予約も17時までに私が仕事を終われるようにと順番を譲ってくれました。「自分は子どもがいないから後でもいいが、おまえは先にやるべきだ」と。本当に感謝しました。これまでずっと、私が「助けて」シグナルを出したら、周りの人が事情をわかって助けてくれたので今の私がいると思います。家族やラボのメンバー、学生たちに支えられて研究者を続けてこられたと思います。「助けて」シグナルは恥ずかしいことではない、と若い人たちに伝えたいです。

ずっと一番大切に思ってきたのは、子どもの健康です。研究の目的が病気を治したいということなのに、自分の子どもが病気になったら、なにをやっているのかわからない。だから子どもの健康だけは損なわないようにと思ってやってきました。それは夫もよくわかってくれていて、子どもが生まれてすぐベビーシッターを確保しました。自分のお給料以上にベビーシッターと保育園代に払ってきましたが、それをずっと支えてくれたのが夫です。夫も私も、家族がみな健康でいることが大切という同じ方向を向いていたからできたことだと思います。

本学に求められる研究者支援

ベビーシッター利用を経済的に補助する制度があればと思います。私の経験上、子どもは体力がないので、連れまわすのではなくなるべく家で休ませるのが一番です。現状では、研究補助員の支援制度があるから十分ということのようですが、それは不十分だと思います。子育てをしたことがない男性教員が決めた制度ではないか、と感じています。子育て中の若い研究者の実情にあった支援が必要です。
研究には、自分でやらないと信じられない部分というのがあります。もし家にベビーシッターがいて、保育園・学校と家庭とのつなぎの時間(30分くらい)を任せられたら、実験を自分の目で見極められるところまで終えられる。その30分くらいのお迎えの時間を気にせずにベビーシッターにつないでもらう。それでずいぶん研究環境が変わります。バイオの研究を続けてきた私の場合はそうでした。もちろん、それぞれ事情は違うから、使いやすさが一番大事で、そのためには、スタートアップ研究費のように、制限の少ない、経済的な補助があるとよいと思います。大学の中で雇う研究補助員と全然違うのだけれど、ベビーシッターは個人によってはものすごく大きい研究の支援になると思います。子育ては、基本的には親に頼るのではなく、経済的なことを含めて夫婦でなんとかするものだと思うので、大学が支援するというのであれば、本人にとって役に立つことに使える制度が必要です。

(平成29年6月)

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