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研究者紹介 vol.21 物質創成科学領域 分子複合系科学研究室(上久保研)物質領域領域 藤間祥子准教授

2001 年お茶の水女子大学大学院人間文化研究科修士課程修了後、同年大阪大学大学院理学研究科博士後期課程入学、 2003年5月に退学し、6月より熊本大学大学院医学薬学研究部助手。2006年3月大阪大学大学院理学研究科にて博士(理学)の学位取得。同年4月から東京大学大学院薬学系研究科助教(助手)。2018年10月から奈良先端科学技術大学院大学准教授。専門分野は構造生物学。

なぜ研究者に?

私は子どものころから夢があったとかはなく、割と現実主義で、いろいろなタイミングが重なって現在に至っています。
高校生のころから、論理的な思考が得意でした。それが文系か理系かと分けて考えたこともなかったですが、科目としては数学、物理、化学は理解がしやすかったし、点数も取れました。島根県の出身で田舎だったということもあり理系の女の人のイメージも周りにもなかったのですが、化学は自分の中でいちばんつぶしがききそうな気がして、大学の学部は化学科を選びました。それまでは割とどの科目が点数が取りやすいかなとか、これは苦手だからやめておこうということしか考えていませんでしたが、大学生になって教養科目で先生が基礎的なことを丁寧に教えてくれて、そこで初めて化学は面白いと思いました。

現在の私の専門となる構造生物学の今野先生との出会いも学部時代にありました。基礎になる有機化学や無機化学などを勉強するなかで、生体分子で化学の議論できるということを知り、修士課程はそのまま構造生物学の研究室に進学しました。周囲の友人には、やりたいことをみつけて修士課程進学の時点で他大学に進学する人もいましたが、私は様子をみたいと思っていました。もちろんその時に行っていた研究を続けたい、という気持ちもありました。研究活動を行っているうちに、博士後期課程では、同級生がたくさんいて規模も大きな研究室に行きたいと考えて、大阪大学蛋白質研究所の中川先生の研究室に異動しました。

博士後期課程を終えたら企業に入ろうかなと思っていたD3のとき、熊本大学薬学部で助手を探しているけどどうですかと声をかけていただき、こんなチャンスはないと思って、中退をして仕事に就きました。在籍中は、学位取得に向けた実験をしたり論文執筆を行いながら、ラボの立ち上げに関わったり、学生の指導をしたりしました。皆さんのサポートがあって数年間在籍した後に、論文博士の学位を大阪大学で取得できました。この時期いろいろあって東工大に着任した夫と結婚するために東京に移ることにしました。できれば研究を続ける方向で仕事を探しませんかと熊本大学での研究室主催者であった山縣先生に言っていただき、東京大学でまったく同じ分野のポジションを紹介され、ダメもとでアプライしたところ採用されました。そこから子育ても含めて10年以上東京にいました。この間、所属研究室主催者が佐藤先生から清水先生に変わったのですが分野は変わらず、そのまま自分の研究も続けることができました。
研究をしていく中で、どういう生命現象を研究するのかということと、それをどういう手法でやっていくのかに悩んでいた時期もあって、そのときに上久保先生の専門領域の蛋白質の溶液散乱を組み込んだ研究を少し行いました。論文を書けるようなデータも取れましたし、勉強もかねて関連する研究会に参加したりしていました。上久保先生が出席されていた研究会で発表をしたこともあって、現在のポジションについて声をかけていただきました。年齢的にも次に移らないといけないなという思いもあったのでチャレンジし、採用していただきました。
ですので、振り返ると大阪大学に進学するときだけ自分で決めて、そのあとは割と流れでここまできたといえます。熊本大学も東京大学もパーマネントのポジションで、今の状況を考えると恵まれたポジションでした。折々のライフイベントとの兼ね合いもあってこれまでキャリアを重ねてきましたが、研究も自分なりの方向性が見えてきて、子どもたちのことも落ち着いてきた不惑の年のころに迷いがなくなり、もうやると、がんばると決めました。

本学に着任したときは下の子が小3、上の子が小6でした。上の子は受験のタイミングに合わせていっしょに関西に引っ越し、下の子は夫と東京に残りました。夫は同じ分野の研究者ですが、上の子どもが産まれた年に私の前所属と同じ東京大学に移っていて、去年、京都大学に異動しました。いまは関西で家族一緒に暮らせています。私は運がいいですね。運は自分の力じゃどうしようもできないし、年をとるほどタイミングは重要だなと思います。周りの人に支えられて今があると思っています。
上の子が生まれたときは半年間育児休業を取りましたが、復帰しようにも預けるところがなく、夫が東工大から東大に移った時期でもあったので引っ越しもして、新しい場所で保育所を探すことになりたいへんでした。東大にはまだ保育所はできておらず、お茶大が卒業生向けに保育所を利用できるサポートをしていたので保育料は高額でしたが半年間利用しました。1歳になったときに家の近くの保育所に移りました。下の子は1月生まれなのですが、育児休業は1ヶ月間だけ取って4月に復帰しました。最初はだいじょうぶだと思ったのですが途中で体力がなくなって苦しくなりました。仕事の効率も悪いし、夜泣きをするから眠れなくて。もうちょっと休めばよかったとふとした時に後悔しましたね。当時夫とは朝4時までは私がみて夫にバトンタッチするというふうに分担をしていました。また、夫の実家は広島で私は島根なんですけど、出張や測定のときは両方の親に来てもらいサポートしてもらいました。ひとりだと面倒をみれないので何回も東京に来てもらいましたね。本当に感謝しています。私たちの親世代って専業主婦世代じゃないですか。色々と用事は抱えていたようですが、時間をやりくりして田舎から来てサポートしてくれました。でもこれから私の子どもたちが子育て期を迎えたとき、私は親がしてくれたようにフットワーク軽く子どもたちをサポートできるのだろうか。これから社会的な制度が整ってくるだろうとは思いますが、どうなるのだろう、どういうことがしてあげれるのかなと考えたりします。

一日のスケジュール

5時半か6時くらいに起きて上の子の弁当をつくって、洗濯をしたり食事の用意をした後、8時くらいに家を出て9時くらいに職場に着くという生活をしています。covid-19以降は家を出る時間を少し遅らせているので朝の間に掃除をしたりもします。そして18時半くらいに職場を出て19時半とか20時に家に着きます。帰りにだいたいスーパーに寄って夕飯の買い物をして夕飯をつくります。夫は洗濯物の取り込みや洗い物をしています。

残っているデスクワークを家ですることもありますが、最近は少なくなりました。子どもが保育園に通っていたときは絶対に18時に迎えにいかないといけなくて仕事が終わらないので、家で資料作成などしていたのですが、最近はだんだん体力もなくなってきました。メールチェックはしますが、期限がわかっている書類仕事はできるだけ家に持って帰らないようにしています。可能な限り期限を聞いて、いつやるか考えて、職場で済ますようにしています。土日は予算書や報告書などのデスクワークをしています。日曜は「今日はなにもやらない」と決めてのんびりするときもあります。

本学の研究環境と両立支援について

良い研究環境だと思います。不自由を感じたことがほとんどないです。あんまりこだわりがないのかもしれませんが。技術員の方もしっかりしていらっしゃるので、機械類へのアクセスもよいです。 大学のロケーションとしても、最近共同研究を始めた奈良医大、立命館大や測定でお世話になっている阪大へも行きやすいですし、東京にも出やすい場所だと思いますね。
効率良く研究を進めるという点は子どもが小さいときに追い求めたのですが、いまは子どももある程度大きくなって、ライフイベントにかかる負担は軽くなっています。たとえば19時20時に職場を出ても問題ないですし。よく考えたら子どもたちの勉強はぜんぜんみれていないですけれど(笑)、以前ほど大変ではない。また、私の場合は子どもが小さかった頃も今も、時間に自由のある研究室にいるので、自分の裁量で研究と生活を回してこれたと思います。

年末から年明けにかけて1ヶ月間ほど親の介護と看取りをしました。年明けから2週間程度はcovid-19の在宅勤務制度を使って論文を書いたり学生指導をしたりしたのですが、親の傍で仕事をして、穏やかな時間を過ごしました。私の親は余命を告げられたので、期限を区切られていない介護とは異なると思うのですが、あと1ヶ月くらいですと言われて過ごした父との実家での時間は、子どもがもうすぐ生まれるというなかで過ごした1ヶ月間と重なるものがありました。里帰り出産のときも実家に論文を持って帰って生まれるまでの間仕事をしつつ実家で過ごしていましたので。
ただ、産休はおめでたいことだけれど、介護はちょっと質が違うということは感じました。それに、子どもは真新しいけれど、親には親の世界がある。自分のそばでみてあげたいと仮に思っても、親からしたら「なんで自分がそっちに合わせないといけないんだ」ってことになる。私の場合も実験も重要なので、職場に出れたほうが教育という面でもよかったのですが、介護の期間は「実験半分、デスクワーク半分」と考えていた割合のうち、実験のほうを削って、いままで手を付けられなかったこと、在宅だからできることに仕事内容をシフトさせました。ただ研究内容によっては難しい場合もあると思うので、本学の教職員が介護に直面したら、制度上の課題は出てくるかと思います。これは本学だけの問題ではないですね。

(令和3年1月)

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