FEATURE

トーマス・ブッシュ(OIST 研究科長・教授)
プカあや(OISTカリキュラム・プログラムセクション マネージャー)

沖縄科学技術大学院大学(OIST)
「モビリティ(人材の流動性)」を高める

沖縄科学技術大学院大学(OIST)の研究力と博士人材育成

世界トップレベルの研究力と国際性を誇る沖縄科学技術大学院大学(OIST)は、英語を公用語とし、学生・教員の約半数以上を外国籍が占める国内では極めてユニークな大学院大学です。分野横断型の研究環境とPI中心の研究資金制度を特徴とし、若手研究者に大きな裁量と挑戦機会を提供しています。また近年、産業界との連携やキャリア支援にも力を入れており、博士人材の多様なキャリア形成を支える機能を強化しています。今回はOISTの教育・キャリア支援を推進するトーマス・ブッシュ教授とプカあやさんにお話を伺いました。

Q1. 今の日本社会における研究者の現状について、どのようにお考えですか?

トーマス :
私はヨーロッパ、ドイツの出身です。ヨーロッパの科学研究は長年、EUの研究資金制度によって支えられてきました。そしてその特徴は「国境を越えた研究者の移動」です。EUの研究費では、自国にとどまって研究するだけでは資金を得にくく、研究者は別の国へ移動しながら研究を進めることが求められます。これによって研究者同士のネットワークが広がり、異なる文化や視点を持つ人々が協力する環境が生まれました。このような国際的な流動性は、研究の発展にとって非常に重要です。
一方、日本では研究者の「移動」が比較的少ないと感じます。例えば、東京出身の学生が東京大学で学部・修士・博士と進み、そのまま同じ大学に残るケースも珍しくありません。もちろんそれ自体は悪いことではありませんが、必ずしも最適な環境で研究できるとは限りません。研究者がより多くの選択肢を持ち、様々な場所で経験を積むことができれば、より大きな成果を生み出す可能性があります。
つまり、日本にとって重要なのは「モビリティ(人材の流動性)」を高めることだと思います。

Q2. 企業は博士人材をどのように評価すべきでしょうか?

トーマス :
日本では博士号の価値が十分に理解されていない面があると思います。
博士号の価値は「特定分野の専門知識」だけではありません。本当に重要なのは、複雑な問題を解決する能力です。博士課程の学生は、3〜5年間をかけて難しい研究課題に取り組みます。その過程で、問題を分析する力、新しい方法を考える力、失敗に耐えて試行錯誤する力を身につけます。つまり博士人材とは、難しい問題を解決するための戦略と忍耐力を持つ人材なのです。これは企業にとっても非常に価値の高い能力と言えるでしょう。

Q3. ヨーロッパの企業は博士人材をどのように評価していますか?

トーマス :
ヨーロッパでは伝統的に、多くの企業が科学者や博士号取得者によって経営されてきました。特にハイテク産業では、博士人材の価値は非常に高く評価されています。またEUの研究資金制度では、企業が研究プロジェクトに参加することが求められることが多くあります。これによって、企業と大学の共同研究や研究者によるスタートアップ創業が活発になりました。
この仕組みは、新しい技術分野の発展や社会実装を促進するうえで非常に効果的でした。

Q4. なぜ日本、そしてOISTを選んだのでしょうか?

トーマス :
正直に言うと、最初は「冒険してみたかった」という気持ちでした。
しかしOISTは世界的に見ても非常にユニークな大学です。特に魅力的なのはPI(Principal Investigator)中心の研究資金モデルです。多くの研究機関では、研究費は特定のプロジェクトに対して支給されます。しかしOISTでは、研究者個人に対して研究費が与えられます。つまり、「あなたを信頼するので、この資金で自由に研究をしてください」という仕組みです。研究費は5年間与えられ、その間は細かな報告を求められません。そして5年後に成果を評価します。
このような制度はEUの研究助成制度(ERC)などでも採用されており、非常に成功しています。もちろんすべてが成功するわけではありませんが、全体としては大きな成果を生み出すのです。

Q5. 日本で外国人研究者として生活する上での課題はありますか?

トーマス :
OISTは外国人研究者へのサポートが非常に充実しています。例えば、行政手続きの支援や生活のサポート、日本語が分からない場合の支援などがあります。実は私は13年日本にいますが、まだ日本語で十分に会話することはできません。日常的な文章は作れますが、時間がかかります。10年前は郵便が届いても、銀行からなのかガス会社なのかさえ分からないこともありました。こうした問題を解決するために、OISTは強力なサポート体制を整えています。これは非常に重要なことだと思います。外国人研究者を呼ぶことだけではなく、彼らが働き続けられる周囲の環境を整えることが同じくらい重要だからです。

Q6. OISTの博士学生のキャリアはどのようになっていますか?

プカ :
OISTでは最初の博士課程学生の修了は2018年でした。現在までに約220名が修了しています。
近年の修了生のうち55%が大学教員(アカデミア)となっていて、実は多くが企業やスタートアップに進んでいます。以前は博士学生の約75%がアカデミア志向でしたが、最近ではアカデミアと企業がほぼ半々になってきています。これはOISTが近年、産業連携やキャリア支援を強化していることが影響していると思います。特に外国籍学生の間で日本での就職に対する関心は非常に高い傾向にあります。一方で、実際の就職においては言語や制度、文化的な側面など、乗り越えるべき課題が存在しています。

Q7. 日本企業が、国際的な博士人材を採用するには何が必要でしょうか?

プカ :
最大の問題は「情報の壁」です。英語で研究してきた留学生と、日本語中心の企業社会との間には大きな壁があります。そのためOISTでは企業訪問プログラムやインターンシップ制度、キャリアフェアなどを実施しています。特にキャリアフェアでは、企業と学生が直接会話する機会を長時間取っています。企業も学生もまだまだお互いをよく知らないので、単なる就職説明会ではなく、相互理解のためのイベントとなるよう企画しています。実際に、このイベントからすでに複数の学生が内定を得ています。
トーマス :
加えて、日本での就業に関しては、言語や文化だけでなく、税制や年金制度などの制度的な課題も影響しています。これらは外国人にとって理解しづらく、結果として日本での就職をためらう要因にもなり得ます。

Q8. 日本の企業は今後どのように変わるべきでしょうか?

トーマス :
博士人材の価値を短期的な成果ではなく、中長期的な視点で評価していただきたいと考えています。国際的な博士人材を採用することは、企業にとって単なる人材確保ではありません。それは「これまでにない視点」を組織に取り込むことです。異なるバックグラウンドを持つ人材は、既存の枠組みでは見えなかった課題や機会を発見することができます。また、国際的なトレンドへの理解や対応力も高まり、企業の意思決定のスピードや質の向上にもつながります。
さらに、優秀な人材の「パイプライン」にもっと早い段階から関わることを期待しています。つまり大学との連携や学生へのメンタリング、インターンシップなどです。大学だけで人材育成と就職支援を担うことはできません。企業もこのプロセスに参加していただく必要があると考えています。
プカ :
博士人材の価値を正しく認識していただくとともに、彼らが組織(企業)にもたらす貢献について、中長期的な視点から評価していただきたいと考えています。また、外国籍博士人材の受け入れについても、より広い視野で環境整備を検討していただければ幸いです。日本の国際的競争力や研究力を本気で高めていくのであれば、大学だけで実現することは困難であり、企業との本気の連携が不可欠だと考えています。

Q9. ありがとうございました。では最後に、今回のOIST/NAISTサロンへの意気込みをお願いします。

トーマス :
まず重要なのは、このテーマを社会の中でしっかりと「見えるもの」にしていくことだと考えています。これまで日本において、博士人材の価値や可能性は十分に浸透していないと感じています。しかし、可視化はあくまで出発点に過ぎません。本質的に重要なのは、その先にある「構造の変化」と「意識改革」です。大学、企業、そして政府がそれぞれ独立して取り組むのではなく、互いに期待を共有し、責任を分かち合いながら、継続的に学び合う仕組みをつくることが必要です。このサロンが、単なる情報交換の場にとどまらず、実際の行動や制度の変化につながる「実践の場」へと発展していくことを期待しています。そして、日本における博士人材の可能性が、より広く、より現実的な形で開かれていくきっかけになることを願っています。
プカ :
企業と博士人材が直接対話することで、お互いの認識は確実に変わります。そうした機会を継続的に生み出しながら、単なる採用を超えた「共に育てる関係性」をこのサロンで築いていきたいと思っています。産官学での情報共有やベストプラクティスの相互学習を通じて、建設的かつ実践的な“本気”の議論が展開される場になることを願っていますし、本学としてもその場にしっかり貢献できるよう、全力で取り組んでまいります。

Thomas Busch (OIST研究科長・教授)

OISTにて量子システム研究ユニットのリーダーを務める理論物理学者。量子力学、極低温原子物理、量子技術の境界領域において研究を展開している。特に、ボース=アインシュタイン凝縮体やフェルミ気体、低次元量子系を対象に、相互作用や粒子統計、コヒーレンスが生み出す複雑な量子現象の理解と制御に取り組む。これらの研究は、量子シミュレーション、量子センシング、量子情報科学といった次世代技術への応用にもつながっている。
オーストリアのインスブルック大学にて理論物理学の博士号を取得後、欧州の複数の研究機関で研究・PIとして活躍。2011年にOISTに着任し、国際的に評価される研究プログラムを構築。これまでに180報以上の査読付き論文を発表し、極低温原子、量子ダイナミクス、量子熱力学の分野において世界的評価を受けている。博士課程学生やポスドクの指導、国際共同研究の推進にも精力的に取り組んでいる。2023年より研究科長を務める。

プカあや (カリキュラム・プログラムセクション マネージャー)

OIST博士課程学生のキャリア開発を支援するProfessional and Career Development(PCD)プログラムの企画・運営を担う。国家資格キャリアコンサルタント。研究室支援職としての8年間の経験を経て、2019年より現職。PCDプログラムでは、研究力の深化に加え、社会で活躍するために不可欠なトランスファラブルスキルの育成や、多様なキャリアパスの構築を推進している。アカデミアにとどまらない進路選択を支援しながら、博士人材の可能性を最大限に引き出すことを目指している。
「研究も人生も、もっと自由で創造的であっていい」という信念のもと、新たな企画や実践に積極的に取り組み、次世代を担う“カッコイイ博士”の育成に力を注いでいる

取材・撮影: 谷口直也(奈良先端科学技術大学院大学)

Back to WEB MAGAZINE