データの価値を最大化する研究・開発の次世代DX
本学は、人工知能(AI)などのデジタル技術やロボティクス技術(ロボット工学)を駆使して研究開発を自動化・自律化する取り組み「ARWIT」をJ-PEAKS事業の主要な戦略の1つに位置付け、その司令塔として2026年1月1日にARWIT推進センターを設置しました。本センターが目指す姿を学内外の関係者と共有し、その実現に向けたスキームを共創する場として、4月22日に京都市南区の京都テルサでキックオフシンポジウムを開催しました。本シンポジウムでは、センターの構想に関連する先進的な取り組みを推進している企業の幹部、大学の医療・創薬研究者、公的研究機関の情報科学者が講演し、自動化・自律化の事例や課題を紹介しました。学内外から238名が参加し、ARWITに象徴される取り組みへの関心の高さが伺えました。
本学は令和6年度(2024年度)の文部科学省の「地域中核・特色ある研究大学強化促進事業(J-PEAKS)」に採択されました。情報科学、バイオサイエンス、物質創成科学の領域の先端的な基礎研究を推進するとともに、3分野を横断して進めて来た「データ駆動型サイエンス」の一層の進化と、その社会実装を主要な戦略の1つに打ち出しています。ARWITとは、研究開発の自動化を表すAutomated Research Workflowと、社会実装を示すIndustrial Translationの頭文字を組み合わせた造語です。ARWIT推進センターは、この戦略の遂行に必要な研究設備や情報システムの開発と、構築されたシステムやそこに蓄積された研究データの利活用を担う組織として設置されました。
開会挨拶・来賓挨拶
シンポジウムの開会にあたり、本学の塩﨑 一裕 学長は、「急速に進む少子高齢化と生産年齢人口の縮小は、日本発のイノベーションの減少につながるものと危惧されます。より多くの企業や研究機関の方々にARWITを知っていただき、積極的な利活用につながることを期待します」とあいさつしました。また、来賓の 俵 幸嗣 文部科学省科学技術・学術総括官は「これからは、データをいかにAIへ読み込ませ、研究開発の変革につなげられるかが重要になる。強い経済の実現には科学技術力が不可欠であり、この取り組みを全国、そしてグローバルにぜひ展開していただきたい」と激励しました。
ARWIT推進センターに関する説明
引き続き、本センターのメンバーが、センターの全体像や各部門が担う技術開発や導入計画を説明しました。まず太田 淳 センター長は、Automated Research Workflow(ARW)の国際的な動向とその重要性について説明するとともに、本学がARWITを推進する意義や、それを実践するセンターの体制を紹介しました。さらに、産業界や研究機関と連携しながら、新たなイノベーションの創出を目指したいとして、幅広い協力を呼びかけました。
上久保 裕生 ファウンドリ部門長は、ARWITの基盤設備の1つである、「バイオ-物質創成ファウンドリ」の構想を説明しました。本設備では、物質の合成から物性・機能評価に至るまで、高品質かつ大量のデータを一貫して収集・解析します。さらに、大規模データを基に、AIで新技術の予測モデルを構築し、新たな機能性高分子や物質の開発を加速することを目指します。抗菌・抗ウイルス活性を持つ新規高分子や、免疫・植物成長の促進物質などのシーズ創成が期待されます。
一方、こうしたリサーチトランスフォーメーション(RX)を実現するには、企業や研究機関が安心して実験データを預けたり検索したりするための高度な情報セキュリティが欠かせません。このような課題を解決するためARWITに実装する「セキュアデータ流通プラットフォーム」について、林 優一 セキュアデータ流通部門長が説明しました。このプラットフォームでは、データは意味をもたない断片に分割されたうえで暗号化され、複数のサーバーに分散して保管されます。検索などのデータ処理も、断片化・暗号化された状態のまま行われ、処理の途中で元のデータが復元されることはありません。そのため、ファウンドリの管理者であっても元のデータを閲覧することはできません。このような高度なセキュリティを備えたデータ流通プラットフォームを、国立情報学研究所(NII)、産業技術総合研究所(AIST)、情報通信研究機構(NICT)の協力を得て整備します。
さらに、蓄積された研究データを分野横断的に活用し、新たな知見の創出につなげるためには、データ管理・運用基盤の整備も欠かせません。価値の高いデータであっても、組織ごとに分散管理されていては、全体の資産として活用することができません。冨谷 茂隆 データ利活用部門教授は 、実験データを一元的に管理し、データの真正性確保と不正防止、研究効率化を目的とした電子ラボノート(ELN)の全学普及について説明しました。あわせて、データの統合管理や異なるデータ形式の統一を進めることで、信頼性が高く、AIが効率的に学習できる研究基盤を整備していく考えを示しました。
これらの取り組みを統合し、研究開発の変革を目指すのが、ARWITです。本学のARWIT推進戦略を担う船津 公人 データ駆動型サイエンス創造センター特任教授(研究戦略アドバイザー)は、講演の冒頭で「データ駆動は社会実装されてこそ意味がある」と強調し、ARWIT推進センター設置の意義を訴えました。続いて、本センターが設置されるまでの経緯と背景について説明しました。船津教授は、2017年度のデータ駆動型サイエンス創造センター設立以来、約9年間にわたり研究アドバイザーおよびセンター長として組織を牽引してきました。その間、データ駆動科学の将来を見据えたサマースクールの創設や、産業界と連携して社会実装を進める課題解決型コンソーシアムの運営など、実践的な取り組みを積極的に展開してきました。さらに2022年度には、研究・開発のプロセスを「計測→設計→合成・生産」という一連の流れとして捉え、それらをデータと情報でつなぐことで自動・自律化を目指す「RXサイクル実装」という理念を提唱しました。これは研究・開発の在り方そのものを変革する新たな方向性を示すものであり、その実現に向けた活動が開始されています。これらの取り組みは、NAISTにおけるELNを活用した研究情報基盤の整備へと発展し、データ・情報の統合管理や共有・活用が学内に定着する基盤を築いています。2023年度からは、このRXサイクル実装を基本戦略とする文部科学省・教育研究組織改革分「RXプラットフォーム構築事業」を全学的に推進し、ARWIT推進センターの設置につながる組織改革を主導してきました。船津教授は、講演の締めくくりで「研究力強化のパラダイム変革であるRXサイクル(ARW)は、少子高齢化と生産年齢人口の縮小が進む我が国におけるデータ駆動研究の必然的な方向であり、今後は実社会との強力な連携(IT)が不可欠である」と指摘しました。そのうえで、「これらのミッションを併せ持つARWIT推進センターは、社会の真のニーズを的確に捉え、解決へと導く柔軟で実践的なエンジンとして、我が国の研究DX・RXを支える思想的かつ実践的ハブとなる潜在力を持つ」と述べ、次世代のために常にマクロ・コンテキストを編集し、人々が奮い立つ理念を主導するセンターへの期待を示しました。
ARWIT推進センターに関する説明【上段左:太田 淳(ARWIT推進センター長)、上段右:船津 公人(データ駆動型サイエンス創造センター研究戦略アドバイザー/特任教授)、下段左:上久保 裕生(ARWIT推進センターファウンドリ部門長)、下段中:林 優一(セキュアデータ流通部門長)、下段右:冨谷 茂隆(データ利活用部門教授)】
招待講演
企業や研究機関の講演では、AIを活用して競争力を抜本的に向上する先進事例や、企業や研究機関に対するデータ利活用支援の実績などが報告されました。旭化成株式会社はニューラルネットワークポテンシャルを応用した材料シミュレーションを早くから導入しています。同社の研究・開発本部基盤技術研究所 デジタル革新技術部 部長/高度専門職・リードエキスパートの夏目 穣 氏は「どのような材料が生成しやすいかを予測し、実験の自動化・並列化システムも造ることで、実験生産性は5倍以上に伸びました」と、その成果を紹介しました。同社はマテリアル(材料)、住宅、ヘルスケアの3事業を展開し、基盤技術研究所が高度な分析機器とコンピューターサイエンスによる材料解析で事業のイノベーションを支えています。デジタルトランスフォーメーション(DX)を2010年代から段階的に進め、研究開発にとどまらず設計や製造、マーケティング、営業をDXで横断的に結びつける組織のデジタル共創本部を2021年に新設することで、DXで価値を生み出すバリューチェーンを築こうとしています。2024年には研究開発などの通常業務をデジタル化し、全社員がデジタルを活用するのが当たり前という意識改革を醸成し、マテリアルズインフォマティクスの人材育成は全社で1,700人以上、そのうち中級者が650人以上、上級者が70人以上に達しています。夏目氏は、データの機密性を保持できるARWITが企業や研究機関の中で大規模に共有され、これがわが国全体の研究開発力の強化に寄与することへの期待を表明しました。
株式会社カネカ常務執行役員薄膜プロセス開発研究所長の古川 直樹 氏は「DXの狙いはトランスフォーメーション(変革)であるため、当社のポートフォリオ(事業構成)の変革につながる取り組みを進めています」と強調しました。同社は高分子と発酵の技術を軸として、そこに外部との共同研究の知見を融合することで固有の製品開発や生産技術を生み出し、樹脂や医薬の素材事業を拡大しています。2010年代からは環境・エネルギーや食糧、健康などの分野で社会ソリューション(課題解決)の視点から事業変革に挑んできました。こうした課題に対しコーポレート研究・開発の部門を配置し、戦略的にビジネスを創出しようとしています。原料調達から生産に至るサプライチェインや研究開発を中心に、業務の革新と新たな価値の創出を目指してデジタル技術の活用を試み、創造的な業務に人材をシフトさせる取り組みを行っています。生産技術の領域においても、計測・収集したデータを解析し検査工程の自動化や品質予測の向上に取り組み、検査工程の省人化や生産安定化に繋げています。古川氏は「プロセスを解析し最適設計することでコストダウンや競争力の強化に繋げることができます。工業化プロセスの開発においては、プロセス開発・設計のみならず、工場立地、原料調達、委託生産等の総合的な評価が重要で、エンジニアリング研究・開発がその役割を担っています。」と強調しました。同社は本学と共同研究することで、生成AIと深層学習を組み合わせた解析による太陽電池の微細欠陥検査の自動化に成功しており、同社にとって素材開発や生産技術開発の両面で大きな支えになる、と期待を膨らませています。
京都大学医学部附属病院の実臨床データによるビッグデータ解析やスーパーコンピューターを用いたシミュレーションで創薬の画期的な方法論を開拓しているのは、京都大学大学院医学研究科ビッグデータ医科学分野教授の奥野 恭史 氏です。「患者の遺伝子データなどが得られればビッグデータとAIで疾患の原因分子を推定でき、患者に適する医薬品候補の設計方針をわずか10日程度で予測できる可能性がある」と説明しました。巨額の投資をしても開発成功率が極めて低い創薬に高性能のスパコンとAIを導入し、低コストで迅速に開発できる革新を目指しています。予測結果を検証する実験の自動化技術の研究も製薬企業と連携して進めています。データサイエンティストやAI研究者にとって、人間の一部を代替・支援するAIエージェントの進歩は驚異的だと指摘します。AIエージェントの能力は、一部の分析・コーディング業務では、修士課程を修了したデータサイエンティストに近いレベルに達しているとさえ言います。実験のロボットも進化し、AIエージェントがロボットも操作し、研究開発を支援する近未来が予想されます。AIの急速な進化には不安も尽きませんが、「AIと対局して腕を磨く将棋棋士の藤井聡太さんを見習ってほしい」と、AIを恐れず積極的に対話し、AIにはできない問いの立て方や発想を磨くことが、自身の科学者としての力を高めることにつながること指摘しました。
国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)サイバーセキュリティ研究所の井上 大介 氏は、「AIの時代が来る覚悟が必要になる」と語りました。AIは自動化・自律化の強い味方となりますが、情報セキュリティの脆弱(ぜいじゃく)性を高速・大規模に発見して悪用されるのではないかという懸念が米国で広まり、情報セキュリティ関連の銘柄株が暴落しました。情報システムに対するサイバー攻撃の技術レベルは高まり、AIも悪用されると防ぐのは容易でありません。国内で情報通信分野を専門とする唯一の公的研究機関であるNICTは日本列島が時々刻々と受けているサイバー攻撃をリアルタイムに可視化し、油断しないよう警鐘を鳴らしています。NICTは18台の原子時計などにより日本標準時を決定し配信する公的業務事業などを手がけるほか、情報セキュリティに対する啓発活動や人材育成においても重要な役目を担っています。インターネットのユーザーに協力を得てアプリのセンサーを組み込み、サイバー攻撃を観測し守る代わりに通信データの提供を得るプロジェクトを通じて、一日に平均で約700万のウェブアクセスを観測しています。わが国は、ユーザーのアクセスからビッグデータを収集する能力が他の先進国に比べて小さいという課題があり、国内の通信データをしっかり集めて解析することで国産の安全な情報セキュリティ技術の開発を狙っています。産官学連携の情報セキュリティ開発をリードし、本学のARWITに協力してゆきます。
株式会社島津製作所は分析・計測機器の大手メーカーで、クロマトグラフ質量分析装置などを手がけています。研究開発の自動化・自律化では、データを計測し解析する機器とソフトウエアで企業と研究機関を支えています。分析計測事業部マネージャーの西村 泰紀 氏は「分析・計測機器はデータの利活用と作業自動化の出発点。分析サンプルの前処理から分析までの一気通貫の自動化支援やデータ間の変換を不要とする共通化技術、AIによるデータ解析など顧客課題の解決に努めています」と述べました。AIの活用例としては、分析対象の物質名を入力すれば島津製作所の知見やウェブ上の公知論文を調べ、分析方法を自動で生成できるサービスがあります。実験計画に基づき分析条件の設定を自動的に最適化するソフトウエアも提供します。解析作業は専門性や技能が求められるため個人に依拠しやすく、技能の継承にも課題があります。こうした課題の解決にもAIを活用し、例えば作業者がパラメーターを設定する必要なくクロマトグラフの波形を処理できる技術を開発しました。搬送作業はロボットで自動化し、ソフトウエアでスケジュールを組み立てれば無人で分析を開始できます。データを適切に管理する一元的で安全なネットワークとサーバーも提供しています。さらに自動分析から得られるデータをもとにAIが次の実験条件を策定する自律型実験システムの取り組みも進めています。本学のARWITについては、装置とデータが一貫してつながり物性評価や詳細な細胞解析まで見据えたデータ中心の先進設計であると評価しています。「ARWITの活動からみえてくる課題を機器メーカーの立場から学びたい」と述べました。
国立研究開発法人産業総合研究所(AIST) サイバーフィジカルセキュリティ研究部門 首席研究員の花岡 悟一郎 氏は、本学のARWITで情報セキュリティの要となるデータの暗号化技術について、恋愛リアリティー番組におけるマッチングを例に視覚的に解説しました。これは秘密計算と呼ばれる暗号技術の一つです。番組では参加者が選ぶ相手の情報を主催者も分からないよう暗号化したまま処理し、マッチングしたペアの数だけが復元されます。秘密計算の事業化に取り組むスタートアップ発企業のZenmuTechと花岡氏が共創し普及を図っている暗号技術で、統計処理や機械学習にも利用できます。実用システム上では秘密分散と呼ばれる技術を用いて入力情報をランダムなデータに分割し、その状態のまま多様な演算を施すことで秘匿性を保ったままデータ処理が実現されます。企業が機密情報のデータを入力すると、暗号化されたまま他社のデータと合わせた計算が行われ、結果のみが復号されます。花岡氏は暗号理論と情報セキュリティの先駆者として、高機能な暗号や秘密計算などの研究を推進しています。AISTが研究開発でリードする秘密計算の優位性を企業などに周知することで、社会実装を図ってきました。花岡氏は「NAISTと深く連携したい」と期待を表明しています。
各講師による招待講演【上段左:夏目 穣 氏(旭化成株式会社)、上段中:古川 直樹 氏(株式会社カネカ)、上段右:奥野 恭史 氏(京都大学)、下段左:井上 大介 氏(国立研究開発法人情報通信研究機構)、下段中:西村 泰紀 氏(株式会社島津製作所)、下段右:花岡 悟一郎 氏(国立研究開発法人産業技術総合研究所)】
閉会挨拶
シンポジウムの閉会にあたり、本学の中島 敬二 ARWIT推進センター戦略企画部門長/J-PEAKS事業担当学長補佐が挨拶を行いました。中島部門長は自身のバイオサイエンス分野における研究活動を通じて経験した、研究の進め方そのものを根本から変革した技術革新について触れ、異分野融合研究の重要性を強調しました。また、本学におけるJ-PEAKS事業の重要なミッションであるARWIT人材の輩出の意義を強調し、革新的な技術を自らの研究や活動にいかに取り込めるかを常に意識できる学生や若手研究者を育成することの必要性を述べました。さらに、本学が輩出する研究人材の活躍の場がより一層広がることへの期待を表明してシンポジウムを締めくくりました。

