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研究者紹介 vol.25 バイオサイエンス領域 分子情報薬理学研究室(伊東研)鳥山 真奈美先生

2012年奈良先端科学技術大学院大学博士後期課程修了、博士(バイオサイエンス)。出産・育児による8カ月のブランクを経て、同年テキサス大学オースティン校(米国)博士研究員。2015年大阪大学薬学研究科特任研究員。2019年4月より、奈良先端科学技術大学院大学助教、大阪大学薬学研究科特任助教(兼任)。現在のテーマは、神経変性疾患における一次繊毛シグナルの機能解析。

なぜ研究者に?

思い返してみると、研究者を目指そうと思った瞬間があったわけではなく、「好き」を続けていたら、いつのまにかこの道を歩んでいました。
高校生のときは、薬の作用に興味があって薬学部を目指していたのですが、実際は志望とは異なる農学系の学部に進みました。この学部時代に研究室の実験補助のアルバイトをしたことがきっかけで、大学院に進学しようと思いました。アルバイトでは、植物の種を寒天培地に撒く、芽が出る、芽を切り取って遺伝子を抽出するなどの作業を担当したのですが、心の底から実験は楽しいと思いました。研究内容(テーマ)は理解できていませんでしたが、こういう薬剤をかけたらこうなるといった一連がとにかく楽しかった。そこから作業の意味を考えるようになって、この作業のために研究があることがわかってきて、研究って面白いと思うようになりました。

今に至る研究テーマには本学の伊東研で出会いました。もともとヒトのからだを維持する機構や病気の発生に興味があったのですが、それは裏を返すとなんで薬は病気を治せるのかにつながります。伊東先生はGタンパク質という薬のターゲットの代表格であるタンパク質の研究をされていて、これは絶対に面白いと思ったのです。在籍していた5年間はとにかく毎日が楽しく、日夜、休日も、実験をがむしゃらに行いました。

博士後期課程の時に学生結婚をして、修了した2ケ月後に第一子を出産しました。研究が大好きだったので、ほんとうは修了後すぐにアメリカで一流の研究を学びたかったのですが、同時に「いつ子どもを持つか」問題もあって。そうしたらタイミングよく修了後に生まれてくれました。初めての子育てを行うにあたり、さすがにすぐに海外には行けないだろうと8ヶ月のブランクを設け、その間にアメリカの大学にアプライメールを送り続けました。もともと夫は海外に出ることに消極的だったんですが、私が行きたい、行きたいと言って、なんとか、夫婦で同じ大学に受け入れてもらえることになりました。子どもが7ヶ月くらいの時に渡米し、約3年滞在しました。アメリカでの研究は充実していましたし、子育てをしんどいと思ったことはまったくなかったです。

アメリカですごいと思ったのは、同じラボに20人以上のメンバーがいましたが、9割が女性だったことです。分野は医学(発生学)でしたが、日本だとありえないですよね。指導的ポジションにも女性はいたし、研究と自分の生活の両立もされていたし、周りのポスドクもそうでした。様々な人生ステージの中で研究をしている仲間がいっぱいいて、多様な彼らの時間の使い方はすごく勉強になりました。

二人目の子どもはアメリカで出産し、6週間で職場復帰しました。そうしたら夫が本学のポジションを得たので、家族みんなで帰国しました。日本に戻っても企業か大学かにはこだわらず研究に関わる仕事をしていこうと思っていたのですが、偶然に大阪大学で募集があったので応募し、帰国後すぐにポスドクとして勤務を始めました。 阪大に通っていた3年は、片道一時間半かけて通勤したこともあったからか、日々の生活はたいへんでした。夫が保育園の送迎をしていたので、そこまで負担ではなかったはずなのですけれど、なぜかたいへんでした。あなた(女性)が育児も家事ももっとやらないといけないっていう日本独特の無言の圧力を感じていたように思います。その後、2019年4月に私が本学に着任すると同時に夫が他大に単身赴任になり、現在に至ります。
今は研究のすべてが楽しくてそれが日々の原動力です。基本的に10やった実験のうちの9は失敗なんですけど、何かひとつ面白い発見があると、やみつきになります。この面白さはパズルを解いている感覚に近いかもしれないです。
今はアルツハイマー病などの神経変性疾患が起こるメカニズム解明に取り組んでいて、将来的には病気を治す薬や予防法の開発につなげたいと思っています。ある薬剤がある症状の改善に効くといった結果がでれば、その薬剤が将来薬として使える可能性があります。自分が見つけた現象が、将来的に病気の治療に役立てばいいなってずっと思っています。

子育てと研究の両立

9歳、6歳、2歳の3人の娘がいますが、夫は単身赴任で平日はいないので、家事と育児は私と一部を母がしています。母が週の半分は実家のある京都から来てくれていて、たいへん感謝しています。もし夫と同居していたとしても家事や育児をするのは私でしょうね。ただ、アメリカにいたときは全然そんなことなかったんです。周りの方(特に彼のボス(男性))が家のことにコミットしていたからかな。周りに流されやすいのでしょうか。アメリカで二人目を出産した時、彼は男性の産休を1週間か2週間取ったんです(一日のうち数時間はラボに行くこともありましたが)。でも、日本で3人目が生まれるという時、産休取るの?と聞いたら「取れるわけない」って言っていましたから。職場が変わった直後というタイミングもあったと思いますが、男性が育児や家事をする土台というか世界観が日本にはまだないですよね。彼も右往左往しているのかなとは思います。

夫が単身赴任かつ3人の子育てが始まった当初、残業ができるようにと、保育園へのお迎えを男女共同参画室の利用費補助制度を使ってベビーシッターにお願いしてみたことがありました。ただ、母がシッターの利用に消極的で続きませんでした。日本全体の課題かもしれないですが、子育てを外部委託することに抵抗があることも関係していると思います。 私は実験のために朝からの大体のタイムスケジュールを組みますが、常に順調に進むわけでもないので、お迎えの時間までと区切られてしまうとストレスが大きいです。夕飯を食べたり、お風呂に入れたり、寝かしつけもあるので、残業時間をどこまでも伸ばすわけにはいかないですけれど、お迎えをシッターに手伝ってもらうとピッタリこの時間までというのがなくなるので、かなり心理的に楽になります。お迎えなど含め子どものお世話を全て自分でやりたい人もいるし、私みたいにシッターに助けてほしい人もいると思います。どちらかが正しいというわけではなく、どちらを選んでも良いという考えがもっと広がってほしいと思います。

一日のスケジュール

朝6時半くらいに起きると、長女と三女も起きてくるので、朝ごはんを用意して食べます。長女を7時過ぎに小学校に送り出すと次女がようやく起きてくるので、もう一回ごはんをあげて、身支度をしていたら8時くらいになります。二人を保育園に連れ出して、職場に着くのは9時前ですね。職場自宅間を二キロ圏内で動いているのですが、たどり着くのにすごく時間がかかっています。夕方18時前まで仕事をして、18時にお迎えに行き、19時に夜ご飯を食べて、お風呂に入った後、22時には子どもたちと一緒に就寝します。自宅では子どもたちの声の大音響の中だと集中できなくて基本仕事はやらない。やれないです。子どもたちが寝てからやることもありますが、基本は9時から18時が勝負で、わき目もふらず仕事をしています。

土日は子どもたちを夫に預けて大学に来ることもありますが、原則は平日に済まして、仕事をするとしてもメールの返信くらいしかしないようにしています。
息抜きはたまに家族全員で行くドライブでしょうか。ちょっと遠出して大阪に海を見に行くのが好きです。気分がぱぁっと明るくなります。
日々の生活で心がけているのは、いつ子どもの体調で休むことになるかわからない不安があるので、仕事はできるだけ前倒しで取り組むということです。前倒しによって心理的余裕がうまれるので、そこは自分のなかでもがんばっているポイントですね。
研究室のメンバーにはとてもよくしてもらっています。子どもの事情でよく休みますが、アカデミックアシスタントの方には学生の実験もフォローしていただけますし、学生も私が休むことをそういうものだという認識をもってくれています。皆さんに負担をかけるなか、ご理解いただいていることを心からありがたく思っています。

本学の研究環境と課題

女性教員の少なさが課題です。私の所属するラボのあるこのフロアに女性の教員は私ひとりしかいません。たぶんひとつ下のフロアもゼロです。バイオサイエンスの領域は他の分野に比べると女性比率が高いはずなのに女性教員率は低いので、底上げは無理にでもしないといけないと思います。
女性教員の数が少ないということは、女性学生へのサポートが不十分となる可能性が生じます。研究中は日中の大半をラボで過ごすので、学生さんへの生活サポートは必須です。たとえばプライベートに関する相談などは、女性からしたら男性に言いにくいこともあります。相談できる教員が身近にいないのは学生もしんどいだろうと思います。私自身、学生のときはボスが男性ばかりだったので、ボスに女性がいたらもうちょっと違ったのかなと思うことがありました。だから、今はとにかく数を増やした方がいいだろうと思います。

(令和3年7月)

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