平成21年度 学位記授与式を挙行(2010/3/24)

イベント報告 2010/03/31

 3月24日(水)、ミレニアムホールにおいて学位記授与式を行い、先端科学技術の将来を担う397名の修了者を送り出しました。
 授与式では、磯貝学長より学位記が手渡され、式辞が述べられた後、福森孝司 本学支援財団専務理事より祝辞が述べられました。
 また、本学支援財団が優秀な学生を表彰するNAIST最優秀学生賞の表彰を行い、13名の受賞者に同支援財団から賞状及び賞金が贈られました。

【修了者数】( )内は短期修了者数。

○博士前期課程
・情報科学研究科     146名(2名)
・バイオサイエンス研究科 101名
・物質創成科学研究科    92名
           計 339名(2名)
○博士後期課程
・情報科学研究科      34名(7名)
・バイオサイエンス研究科  15名
・物質創成科学研究科     8名(1名)
           計  57名(8名)
○論文博士
・バイオサイエンス研究科   1名
           計   1名
総 計 397名(10名)


【磯貝学長式辞】

 本日ここに、平成21年度の学位記授与式にあたり、修士の学位及び博士の学位を得られた修了生の皆さんに、本学教職員はじめ、全ての構成員を代表してお祝いを申し上げます。本日は、博士前期課程修了者339名、博士後期課程修了者57名、論文博士1名に、それぞれの学位記を授与することができました。誠におめでとうございます。

 皆さんは、これまで、それぞれの時間の長短はあるものの、本学の博士前期課程及び博士後期課程で勉学するとともに、先端科学技術分野の研究を継続され、立派な学位論文を書かれました。その努力に学長として敬意を表したいと思います。なお、今回の博士後期課程修了生の中には、海外からの留学生6名がおられます。母国を離れ、食事や風習も異なる国で、これまで努力され、本日目指す学位を得られたことに、深い敬意を払いたいと思います。母国の友人やご家族の方々も、喜んでおられることと思います。

 本日は、修了生のご家族の方々も大勢見えておられますが、ご家族の皆様にもお祝い申し上げると共に、長い間、学生諸君にあたたかいご支援をいただいたことに、学長として、感謝申し上げたいと思います。また、学生諸君は、こうした家族の温かいご支援への感謝の気持ちを忘れず、キチンとお礼を言ってほしいと思います。

 本学は、本日の修了生を含め、これまで全部で、博士後期課程修了者915名、論文博士33名、博士前期課程修了者4,882名に学位を与えてきました。本学もまもなく20周年を迎えることになりますが、創立以来これまでの間、如何に多くの優れた人材を世に送り出したかを、この数字を見て改めて感じるとともに、新設の大学院大学としての役割を十分に果たしてきたことを、皆さんと共に確認しあいたいと思います。

 この1年、大学を取り巻く色々なことがありました。なかでも、昨年9月、民主党政権が誕生したことは大きなことでした。その予算編成に伴う事業仕分け作業は、テレビで放映され、大学や科学技術への予算に世の中の人の注目が集まりました。これは、大学が世の中から隔絶したものではなく、社会的存在であること、また私たちは、大学の存在意義を社会にもっと発信する必要があることを改めて知ることになった、いい経験でした。

 もう一点、ここでは、国立大学法人評価のことについて触れておきたいと思います。かつては国立大学であった本学が、国立大学法人となったのは平成16年度でした。そしてこの3月で第1期の6年間が終了します。本学は、この6年間、多くの教職員、及び、学生諸君が一丸となって、本学の設立目的である、最先端の研究の推進、それを背景にした高度な教育による人材育成、それらによる社会の発展への貢献の実現に努力してきました。そして、この間の本学の教育、研究、業務運営などの活動実績に対する国立大学法人評価委員会の総合評価は、国立大学法人の中で、一番という、きわめて高いものでありました。このことは本日ここに本学を修了していく皆さんに対しての本学からの最大の贈り物であるのかもしれないと思っています。すなわち、皆さんが、日本の中で一番優れた大学院を修了したのだという事実は、皆さんの持つ力を支援する、大きなブランド力となったのではないかと考えています。

 博士前期課程修了者の皆さん。皆さんのうちのかなりの部分は社会に出て、研究者、技術者として活躍することだろうと思います。また、博士後期課程に進学して更に研究者の道を進むための努力を継続する人たちも少なからずいるはずです。どちらの場合にも、皆さんのこの2年間は、大学を出て、科学者あるいは科学技術者になるための基礎を築くものとして、重要な時期であったはずです。そこで学んだこと、またそこで得た色々なもの、それは、知識であり、考え方であり、また、友人や先生との交友関係であるのかもしれませんが、それらを活かして、自分で選んだ道を堂々と進んで欲しいと思います。

 博士後期課程修了者の皆さん。皆さんは、一通りの修練を終えた研究者として、今後、大学や企業等の研究機関で、これからの日本の科学や技術の先端の研究を任されることになります。皆さんは博士論文研究という形で、これまでに既に優れた研究をしてきていることは承知していますが、それは、その道の専門家(プロ)になる、第一歩であり、職業人としての研究者になるには、まだまだ道半ばかもしれません。どうか、本学での成果を基礎に、更にそれを発展させ、優れた研究者として大成してください。その際に重要なことは、変わることを恐れないことであろうと思います。そのためには、直接の仕事を離れて、生活にゆとりを持ち、更にいっそう、多くの人たちと交際し、多くのものを見て、研究者としての自分の幅を広げて行くことが必要です。自らの背景の幅が広いほど、大きく変わりうるのです。

 さて、こうした社会に出て行く皆さんに、はなむけの言葉として、私の記憶の中から、私が学生の時の2つの卒業式総長告辞のことをお話ししたいと思います。一つ目は、私が東京大学農学部3年生の時の卒業式です。当時の総長は茅誠司先生で、物理学がご専門でした。茅総長は1963年3月の卒業式の告辞で、ご自分が経験した心暖まるエピソードを紹介したあと、次のように話されたとのことです。その話は「やろうと思えば誰でもできる「小さな親切」を勇気をもってやっていただきたい。そしてそれがやがては、日本の社会の隅々まで埋めつくすであろう、親切という雪崩れの芽としていただきたい。皆さんが学んだ学問を、ただ頭の中にエンサイクロペディア式に蓄えておくだけでは立派な社会人とはなれません。この「小さな親切」を絶えず行っていくということは、立派な社会人としての人間形成の基盤となることと信じます。諸君の一生の努力目標たる、教養高き社会人の道は、このような、やろうとすれば誰でもできることから始めてほしい。」ということでした。

 今でも活動が続けられている「小さな親切運動」というのはこの時の挨拶から始まったものです。当時の私はこの言葉に随分反発したことを覚えています。茅総長自身、後の講演で、「学生の評判が極めて悪く、うちの学長はいつの間にか幼稚園の園長さんになってしまった。あれは幼稚園の子どもに言うことで、大学生に言うべき言葉ではない、とひどく厳しい批判をうけた」と言っておられます。

 二つ目はその翌年で私たちが卒業した1964年3月のものです。総長は経済学がご専門の大河内一男先生に変わっておられました。このときの総長の告辞原稿は、「これからは日本の膨張発展のためでなく、平和的発展の指導こそ重要視される。だから諸君が社会に出て政治、経済、文化のあらゆる面で日本的なひずみ、ゆがみをなくし、その二重構造を解消するように望む。

 そのためには仕事の裏側、底辺に脈打つ社会の仕組みや矛盾を感じ取る、勇気あるエキスパートとなってほしい。出世街道をはずれても悲観することはない。ふとったブタとなるよりは、やせたソクラテスになりたい、というイギリスの経済学者ジョン・スチュアート・ミルの言葉があるが、諸君がやせたソクラテスになる決意をしたとき、日本は本当にいい国になる」というものだったようです。これをもとに、新聞では、総長が「ふとった豚になるより、やせたソクラテスになれ」と話されたと報道されました。実は、この部分の文脈は話されたものの、豚とソクラテスの部分は読まれませんでした。しかし、この話されなかった「ふとった豚とやせたソクラテス」という言葉は、象徴的なものとして、後々まで残る有名な言葉となりました。

 私達はこの二つの告辞を考えるとき、当時の世相を理解しておく必要があります。当時の日本は高度成長期であり、年率10%を越える経済成長率を誇り、1964年の10月には東京オリンピックが開催されるというような、いわば経済発展至上主義の時代でありました。世相も、都市では、華やかなものでした。そのなかで、経済優先の考え方に色々なひずみが出てきた時代でありました。

 今の日本国内の社会状況は1960年代当時とは相当変わっています。経済的には、当時に比べれば、国も人の生活も豊になりました。しかし、今の日本では、市場原理主義経済の行き過ぎにより、社会構造が二極化して来ており、1960年代の問題は、別の形で顕れてきているように見えます。たとえば、今、日本では、就業者人口約五千万人のうちの三分の一は、非正規雇用者であると言われています。また、世界のレベルで見れば、富める大国と、発展途上の国々との問題は、今でも大きな問題として残っています。一方、科学が未来への夢を単純に語っていた当時と今では、科学に対する人々の思いは、相当違ってきています。科学や技術が光だけでなく、陰をも生み出していることなど、科学に対する信頼が揺らいでいる原因でもあります。その意味では、世相は、1960年代当時よりもっと、私達に大きな問題を投げかけていると思います。ある意味では、これからしばらくは、先が見えない、不安定な時代が続くかもしれません。こうした状況の中で、皆さんはこれから社会の中で、科学者としてあるいは技術者として、活躍することが期待されているわけです。皆さんは、当時の若者より、難しい立場にあるのかもしれないとも思います。

 皆さんは、皆さん自身の努力は勿論ありましたが、親や家族、また、国の支援によって、勉学してきたといういわば、社会に育てられた存在であります。いま、大学の任務の一つが社会貢献であると言うことが言われていますが、実は、本学の教育と研究の成果として本学を巣立っていく皆さん自身の存在が、大学の社会貢献なのです。そうした社会的存在としての皆さんが、社会のなかで活動をするとき、何を基盤にしていくのかを常に考えて行くことが必要なのだと思います。それは単に自分の仕事を通じての活動と言うことだけではなく、小さな親切運動と同じ意味を持つボランティア活動も、重要なテーマなのかもしれません。そのなかで、皆さん自身が、人間として、また科学者、技術者としての成長を図って欲しいと、私は、思います。

 そう考えると、1963年と1964年の全く視点の異なる二人の東大総長の告辞は、実は、あまり違ったことを言っていないのではないか、と、私は最近、思っています。すなわち、皆さんはそれぞれ個人であると同時に、その存在は社会的な存在であります。あの二つの告辞は卒業生がこれから、社会と自分自身との関係をキチンと捉えて、自分自身のため、また社会のために生きていって欲しいという、先輩からの忠告であったのでしょう。今、私は、二人の総長の言おうとした、それぞれのことが、良くわかるような気がしています。

 1960年頃の大学入学率は、18才人口の10%程度であり、大学出身者は社会のエリートの時代でありました。いま、大学全入時代と言われ、大学のユニバーサル化ということがいわれますが、大学院への進学率は、同世代人口レベルで、当時の大学入学率とほぼ同じくらいで、大学院修了生の社会的な立場は、現在でも、まだエリートの時代であるといえます。従って、当時の大学生への告辞は、今の大学院生への告辞として通用するのではないかと思い、この機会に紹介してみました。皆さんはどう思うでしょうか。皆さん自身がこれからの人生の中で考えていって欲しいと思います。

 私は学長として、皆さんが、これからの社会を良くするための、中核的な科学者、あるいは、技術者として活躍してくれることを確信しています。皆さんが本学出身であることに誇りを持ち、これからの人生を有意義に過ごしてくれることをあらためて期待して、また、そのなかで、本学での数年が、意義あるものであったと思ってくれることを信じて、お祝いの言葉といたします。本日はおめでとうございました。


平成22年3月24日
奈良先端科学技術大学院大学長
学長 磯貝 彰

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