学位記授与式を挙行(2010/06/25)

イベント報告 2010/07/01

6月25日(金)、事務局棟2階大会議室において学位記授与式を挙行しました。

4名の修了生に対して、磯貝学長から出席者ひとりひとりに学位記を手渡し、門出を祝して、式辞を述べました。

式終了後には記念撮影も行われ、修了生たちは和やかな雰囲気のもと、学長、理事をはじめ指導教員等を交えて歓談し、喜びを分かち合っていました。

※ 今回の修了生の内訳は以下のとおりです。

【博士前期課程修了者】
 情報科学研究科 1名
 計 1名

【博士後期課程修了者】
 情報科学研究科 2名
 バイオサイエンス研究科 4名
 計 6名

【論文提出による博士学位取得者】
 計 1名

総計 8名

【磯貝学長式辞】
 本日ここに、平成22年度第1回の学位記授与式にあたり、修士の学位及び博士の学位を得られた修了生の皆さんに、本学教職員はじめ、全ての構成員を代表してお祝いを申し上げます。本日は、出席者は4名ですが、実は、先ほど紹介がありましたように、博士前期課程修了者1名、博士後期課程修了者6名、論文博士1名、合計8名に、それぞれの学位記を授与することができました。誠におめでとうございます。

 皆さんは、これまで、本学の博士前期課程及び後期課程で勉学するとともに、先端科学技術分野の研究を継続され、立派な学位論文を書かれました。その努力に学長として敬意を表したいと思います。一方、皆さんは、これまで、多くの人に支えられてきました。このことをあらためて思い、特に、皆さんのご家族へは、キチンとお礼を言ってほしいと思います。

 本学は、本日の修了生を含め、これまで全部で、博士後期課程修了者921名、論文博士 34名、博士前期課程修了者4883名に学位を与えてきました。本学もまもなく20周年を迎えることになりますが、創立以来これまで、新設の大学院大学としての役割を十分に果たし、いかに多くの優れた人材を世に送り出したかを、この数字を見て改めて感じています。

 この1年、大学を取り巻く状況に多くの重大なことがありました。なかでも、昨年9月、民主党政権が誕生したことは大きなことでした。彼らの行ってきたいわゆる事業仕分け作業は、私達に、大学が世の中から隔絶したものではなく、社会的存在であることを、あらためて、教えてくれました。しかし、それを主導した鳩山内閣は、ご存知のように、あえなくも沈没してしまいました。この数年、日本では、毎年のように、総理大臣が替わるという事態が続いています。それを私達はどうとらえればいいのでしょうか。果たして政治家だけが悪いのでしょうか。

 ここで皆さんに、明治の始め、福沢諭吉の書いた、「学問のすすめ」の内容を紹介したいと思います。大学院という、教育課程としては最後のところを修了しようとする皆さんに、「学問のすすめ」という本の話をするのは、時期が違うのではないかと思われるかもしれません。しかし、最近、私は、研究者にとって生涯学習とは何だろうか、また、生涯学習と大学とはどういう関係にあるのだろうかということを考えています。そうしたことから、この本について話すことは、皆さんへのはなむけの言葉に十分なるだろうと思っています。

 さて、この本の第1編は、あの有名な言葉、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉で始まります。ただ、この言葉はここで終わっているのではなく、「といえり」とつながっているのです。「といえり」の次には、こう書かれています。「人は生まれながらにして貴賤貧富の別無し。ただ学問を勤めて物事を良く知るものは貴人となり富人となり、無学なるものは貧人となり下人となるなり。自由独立のことは、人の一身に在るのみならず一国の上にもあることなり。愚民の上に苛(から)き政府在れば、良民の上には良き政府あるの理なり。」とあります。このように、福沢は、人に上下はないということになっている、しかし、現実には、色々な上下の関係がある。それは、学問をしたかどうかの結果なのだ。更に、こうしたことは、一個人のことに限らず、一国の上にもあるのだと言っているわけです。

 現代で言えば、文化国家を目指すなら、国民が文化的に高い見識を持っているということが必須だということになります。いい政治家が生まれないのは、あるいはいい政治が出来ないのは、もしかしたら、それを生み出している私達自身の政治的レベルが低いのかもしれません。また、この所の歴代政府が唱えてきた、科学技術立国を実現するには、国民それぞれが、科学技術に強くなければだめだということになるのでしょうか。だからこそ、教育こそ国の基礎といわれるのです。そのためにも、私達あるいは皆さんは、ある意味では選ばれた人として、責任を感じる必要があります。

 「学問のすすめ」、最後の第17編は「人望編」で、福沢は、人に期待される人望のある人になれと言っています。そのためには、まず、言語、言葉を学べ、次いで、いつもいい顔をしていろ、さらには、人と交わり、新しい友人をつくれといっています。こうした3つのことは、基本的には、人は社会的な存在であり、人とのコミュニケーションを良くして、多くの知りあいを作れということにつきるのでしょう。学問のすすめの最後の言葉は、「人にして人を毛嫌いするなかれ」というものです。こうした態度は研究者として生きていく上でも、また、人として生きていく上でもたいへん重要なことです。これは福沢諭吉が100年も前に言っていることで、最近、色々なところでコミュニケーション能力の涵養などと言われていますが、こんなに昔に既にこうしたことが言われていたことは驚きです。当時は、まだ、慶應義塾大学も出来てはいません。ある意味、福沢諭吉は、それぞれの人が、学問を生活の中で、生涯続けていくことが、個人にとっても、国にとっても重要であることを述べているのでしょう。今、大学あるいは大学院という制度がある中、あらためて生涯学習がいわれるのは、研究者として、あるいは人として、大学や大学院が学問や人の教育の終着駅ではなく、それを生涯続けていくための、ある時期の施設あるいは制度と位置づけられえるということなのでしょうか。こうした継続的な、教育、あるいは、勉学によって、はじめて、国民の文化度が高まる、科学技術度が高まることが、期待できるのかもしれません。

 本日の修了式に出席されている皆さんは、一通りの修練を終えた研究者として、今後、大学や企業等の研究機関で、これからの日本の科学や技術の先端の研究を任されることになります。皆さんは、我が国の科学技術立国の核になることが期待されています。また同時に、皆さんは、福沢が言う、人に頼られる人間になることも期待されています。しかし一方、皆さん自身は、職業としての研究者になるには、まだまだ成すべきこと、学ぶべきことが沢山あるはずです。その意味では、皆さんは、生涯学習の初期過程にいることになります。どうか、皆さん自身の殻を固定せず、常に新しい中身を作っていってください。そのためには、直接の仕事を離れて、生活にゆとりを持ち、更にいっそう、多くの人たちと交際し、多くのものを見て、研究者として、また、人としての幅を広げて行くことが必要です。

 皆さんが本学出身であることに誇りを持ち、これからの人生を有意義に過ごしてくれることをあらためて期待して、また、そのなかで、本学での数年が、意義あるものであったと思ってくれることを信じて、お祝いの言葉といたします。本日はおめでとうございました。

平成22年6月25日
奈良先端科学技術大学院大学長 磯貝 彰

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