生物のモデル・大腸菌の生命活動を明らかにする手法を開発 ~代謝ネットワーク等、細胞内遺伝子機能ネットワークの解明へ~

2008/08/03

【概要】
 国立大学法人 奈良先端科学技術大学院大学(学長 安田國雄、以下「奈良先端大」という)の森浩禎教授の研究グループは、アメリカ・カリフォルニア大学サンフランシスコ 校(Gross教授、Krogan博士)、カナダ・トロント大学(Greenblatt教授とEmili博士ら)の研究グループ(以下「UCSF」と「ト ロント大学」という)と共同研究開発を行い、大腸菌における代謝ネットワーク等、生命の営みの全体像である細胞内遺伝子機能ネットワーク解明に向けた方法 の開発に成功した。これまで、奈良先端大グループは、細胞内の遺伝子に基づく生命活動をシステムとして理解することを目的に、大腸菌をそのモデル生物とし て多くのリソース(研究資源)開発と解析を進めてきた。今回の成果は、そのリソースを基に細胞内の遺伝子ネットワーク解明に向けた解析を果たすうえで一つ の大きな壁を乗り越えたものである。
 50年にわたる、大腸菌を用いた分子生物学の発展により遺伝子の概念の構築が行われてきた。大腸菌により 明らかにされてきた遺伝子の概念は、ヒトなどの高等動植物でも基本的に共通であった。1990年代のゲノム研究の発展により、生命活動をシステムとして捉 える新しい研究が可能となった。システム生物学である。細胞内機能ネットワークの解明においても生命における普遍性が大きく期待される。
 この 研究に最適なモデル生物の一つとして、基礎、応用の研究で、大腸菌、酵母などの過去の研究蓄積の大きい単細胞生物が再び重要な研究対象となっている。 1989年より開始された日本の大腸菌ゲノムプロジェクトが大きな転機を迎えた。この流れに、過去15年の森教授の研究グループの貢献は非常に大きい。こ れまで全遺伝子について遺伝子を個別に増殖して保存するクローンライブラリー、特定の遺伝子を欠いた個体を蓄積する遺伝子欠失株ライブラリーの構築を行 い、世界の大腸菌システム生物学の流れを創り出してきた。
 今回の成果は、代謝ネットワーク等、細胞内遺伝子機能ネットワーク解明を目的として、網羅的に2種類の遺伝子を欠いた2重欠失株作製のためのリソース開発、システム開発と、その評価実験を行ったものである。
大 腸菌は約4000の遺伝子を持つ。それら全てについて、2種類の遺伝子を欠く個体の組み合わせは1600万にのぼり、それらの2重欠失株作製と解析によ り、生命体の持つ遺伝子機能ネットワークの全体像の解明に、大きく近づいたと言えるまた、医学、工学、薬学など応用面への期待も大きい。

なお、本研究成果は、平成20年8月1日(金)付けで米科学誌「Nature methods」にオンラインで掲載されます。(プレス解禁日時:日本時間8月2日(土)午前0時)

【内容】
奈 良先端大と慶應大学が開発した網羅的な大腸菌遺伝子欠失株(Keio collection)をメス株として、今回新たに奈良先端大にて開発した新規の遺伝子欠失株(ASKA deletion collection)などをオス株として、効率的な接合で2重欠失株を作製する系の開発を行った。ロボット装置を利用したhigh- throughput(効率的な大量処理量)な方法の開発も行い、評価実験を行ったものである。2重欠失株の成育の評価には、寒天培地上のコロニーの大き さを測り、画像処理により定量化を行う。遺伝子欠失の組合せにより、致死性を示すものから、成育の回復を示すものまで、定量化することで、その遺伝子の働 きの重要さや遺伝子間の機能上の関連を解析し、細胞内遺伝子機能ネットワーク解明を目指す。

【解説】
大腸菌の遺伝学の長い歴史に おいて、一つの遺伝子の表現型を補うサプレッサーという2つ目の遺伝子変異と共に、単一の遺伝子欠損だけでは細胞は死なないが、2つ目の遺伝子欠損を導入 することで、成育が出来なくなってしまう合成致死といわれる現象がある。この場合、これらの二つの遺伝子間には、細胞内において機能的に関連がある。
例 えば、細胞の成育に必要な重要な代謝産物を合成するのに、通常は複数の経路が存在する。その経路の一つを遮断しても、他方が働いているので、その代謝産物 は作製され、細胞は成育する。その反対でも同様である。しかし、これらの経路を同時に遮断することで、代謝産物は合成されなくなり、細胞は成育することが できない。このような二つの組合せを合成致死の組合せという。
この二つの経路は、少なくともある代謝基質を合成するという機能において、同じ機能を持つ。このようなネットワーク関係を遺伝的ネットワークという。この全体像を明らかにしようとするものが、遺伝的ネットワーク解析である。
生命の重要な機能に「ロバスト性」がある。これは、フェイルセーフの考えで、一つの経路が破壊されても、別に保障経路が存在することで、頑丈性を表す。この生命の重要な性質の分子機構を明らかにしようとするものが、遺伝的ネットワークの解明である。
し かし、大腸菌といえども、その遺伝子数は4000を超える。これらの網羅的な組合せを作出することは、非常に難しい事だけは明らかであった。今回の成果 は、二つの欠失株ライブラリーを作製し、さらに細胞をオス株に変化する系の開発、オス株とメス株による接合の効率化を図り、全2重欠失株作製とその解析を 技術的に可能にしたものである。
この成果により、遺伝的ネットワーク解析が進むと、これまでの様に、偶然に頼ってきた育種を設計可能にするものである。また、医学的には代謝異常などの障害の緩和を設計可能にする。薬学においては、創薬ターゲットの候補遺伝子を明確化できる、などの可能性が広がる。

【用語解説】
・合成致死:単一の遺伝子欠失を組合せ、2重の欠失株にすると成育できなくなる現象。
・遺伝的ネットワーク:ある遺伝子相互間に、細胞内の生理機能に関連があること。
・ 接合:接合の働きがある細胞内のDNA断片「F プラスミド」を持つ大腸菌細胞は、持たない細胞と性繊毛という繊維状の物で物理的に結合し、Fプラスミドが移動する。そのFプラスミドが大腸菌の染色体に 挿入されている場合に、Hfrと呼び、Fプラスミド部分だけでなく、大腸菌本来の染色体も一緒に相手方に移動する。その後、相同の部分で組換えを起し、遺 伝情報の交換が起こる。
・サプレッサー:ある遺伝子の欠損による障害を抑える2つ目の遺伝子の変異。


【本研究内容にコメント出来る方】
1) 堀内 嵩[基礎生物学研究所教授]
 E-mail:kishori@nibb.ac.jp
 TEL:0564-55-7690
 FAX:0564-55-7690
2) 大坪 栄一[東京大学分子細胞学研究所名誉教授]
 E-mail:eohtsubo@ims.u-tokyo.ac.jp
 TEL:03-5841-7852


【本プレスリリースに関するお問い合わせ先】
奈良先端科学技術大学院大学 バイオサイエンス研究科 生体情報学講座 森 浩禎 教授
TEL: 0743-72-5660 FAX: 0743-72-5669
E-mail: hmori@gtc.naist.jp

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