脳の細胞が作られる「順番付け」の仕組みを解明 神経細胞が働きかけ 遺伝子のカギはずす

2009/02/18

【概要】
 脳の細胞にはいくつかの種類があるが、どのようにして決まった順序でそれぞれの種類の細胞がつくられるのだろうか。奈良先端科学技術大 学院大学(学長:安田國雄)バイオサイエンス研究科分子神経分化制御学講座の波平昌一助教と中島欽一教授は、生物学の大きな謎とされていた「順番付け」の 仕組みを世界で初めて明らかにした。脳の神経回路を形成する神経細胞(ニューロン)が、特定のタンパク質を介して、もうひとつの種類の細胞ができるように 働きかけていたもの。複雑な構造の脳が発生する際の基礎科学的な理解を深めるだけでなく、この成果を応用することで脳疾患治療に必要とされる細胞供給高効 率化へとつながる可能性も期待される。この成果は平成21年2月17日付けのDevelopmental Cell誌(Cell Press)に掲載された。
 脳の中には、電気信号を発して情報を伝達し、記憶や学習に最も重要な役割を果たす神経細胞(ニューロン)だけでな く、その働きを助けるアストロサイトと呼ばれる細胞も存在する。発達中の脳内では、この2種類の細胞は同じ神経幹細胞と呼ばれる細胞から生み出されるが、 順番としてはまずニューロンが作られ、その後にアストロサイトが作られる。波平助教と中島教授は、この「順番付け」のメカニズムの解明に取り組んだ結果、 先に作られたニューロンが残りの神経幹細胞に働きかけ、アストロサイトを生み出す能力を授けることがわかった。
 神経幹細胞は、発生の初期から中 期には、アストロサイトになるための情報が書き込まれている遺伝子に、「メチル化」(遺伝子・DNA分子にメチル基が結合し、構造が変化した状態)という 鍵が掛かり、遺伝情報が読み取れないため、神経幹細胞はアストロサイトになることができない。波平助教らは、この鍵を外す細胞として神経幹細胞からアスト ロサイトより先に作られる細胞であるニューロンに着目した。その結果、このニューロンが残りの神経幹細胞のノッチ(Notch)と呼ばれるタンパク質を活 性化し、NF-Iと呼ばれるタンパク質の発現に至ると、遺伝子についていた「メチル化」という鍵が外されることを突き止めた。
 遺伝子の情報を制御する「メチル化」という鍵を外す仕組みについては、世界的にもその詳細についてはほとんど知られていない難問であった。本研究の成果は、その難問を解く1つの「鍵」としても興味深い。

【解説】
[説明]
哺 乳類の脳には、神経細胞(ニューロン)だけでなく、アストロサイトと呼ばれる細胞も存在し、足場のように回路の構造を保つなど神経細胞との相互作用により 複雑な高次機能を発揮している。それらの細胞は大元の細胞として胎仔のときの脳に存在する「神経幹細胞」から産生される。しかし、胎生初期から中期にかけ ては、神経幹細胞はニューロンのみを産生し、胎生後期から生後になって初めて、アストロサイトを産生する。この神経幹細胞の細胞産生順序を規定するメカニ ズムについては、ほとんど明らかにされていなかった。
本研究以前に、中島教授らは胎生中期までには、神経幹細胞内の、アストロサイトを生み出すた めに必要な情報が書き込まれている遺伝子に、「メチル化」という鍵がつけられていることを明らかにしていた。さらに、その「メチル化」が、胎生の進行に 伴って外され、神経幹細胞がアストロサイトを産生できるようになることを突き止めていたが、「メチル化」を外す仕組みについては、全くわかっていなかっ た。

[実験方法]
中島教授らは、神経幹細胞からは最初にニューロンが作られることに着目し、ニューロンから何らかの信号が残りの 神経幹細胞に伝えられている可能性を考慮し、実験を開始した。まず、まだアストロサイトを産生する能力の無い胎生中期の神経幹細胞とニューロンを同じ培養 皿の中で共存させ、細胞の分化の様子を染色(免疫染色)により判別しやすくすることにより調べた。さらに、神経幹細胞の遺伝子のメチル化の有無を化学反応 で判定するバイサルファイト(亜硫酸水素塩)法という方法を用いた。また、特定の遺伝子を発現させた細胞だけを回収する細胞分取装置 (FACSVantage)を利用し、遺伝子の状態を解析した。

[結果]
神経幹細胞とニューロンを同じ培養皿に培養することによ り、アストロサイトの産生が早められることがわかった。また、その培養皿にノッチ(Notch)と呼ばれるタンパク質の機能を阻害する物質を加えると、ア ストロサイトは産生されなくなったことから、ニューロンによって活性化される神経幹細胞のノッチがアストロサイト産生に重要な役割を担っていることがわ かった(図1)。また、更なる解析の結果、ノッチはNF-Iというタンパク質の発現を誘導し、そのNF-Iが遺伝子のメチル化を外すのに必須であることが 動物実験などで明らかとなった。

[本研究の意義]
脳に存在する細胞たちは秩序立った順番で産生されることは以前から知られてい た。しかし、その順序付けの仕組みについては、ほとんど明らかにされていなかった。また、遺伝子の「メチル化」を外すメカニズムについても、世界的に注目 されてはいたものの、詳細については不明な点が多かった。今回の我々の成果は、世界に先駆けて脳をかたちづくる細胞産生の「順番付け」の仕組みを詳細に明 らかにしただけでなく、「メチル化」を外す仕組みについても提示した。このことは、哺乳類の複雑な脳の発生の理解に十分に寄与できるだけでなく、この成果 を応用することで脳疾患治療に必要とされる細胞供給高効率化へとつながる可能性も期待される。

【補足説明】
●神経幹細胞
脳や脊髄を構成するニューロンやアストロサイトを産生するもととなる共通の細胞。胎生期に盛んに分裂し、ニューロンやアストロサイトを産生する。近年では、成人の脳にも存在し、ニューロンなどを産生し続けていることが報告されている。

● アストロサイト
中枢神経系に存在するニューロンの働きを支えるグリア細胞の一種。血管からニューロンに必要な栄養を選別し供給したり、ニューロンから放出された神経伝達物質の取り込み、分解、再構築などを行い、再度ニューロンに供給したりする。

●メチル化
遺伝子の本体であるDNAにメチル基が付加していることを指す。特定の領域の遺伝子がメチル化されていると、その領域からの遺伝子発現が抑制される。

●ノッチ(Notch)
細胞間の情報伝達を担うタンパク質の一つ。細胞の膜に存在し、隣接する他の細胞の膜に存在する「Delta」や「Jagged」と呼ばれるタンパク質と結合することにより活性化し、細胞内のタンパク質産生を促したり、抑制したりする。

● 図1
胎 生中期の神経幹細胞を緑色に標識した後に、単独で培養(A)、または胎生期ニューロンと共培養(B)し、アストロサイト産生を促す薬剤を添加した。ニュー ロンとの共培養により、緑色の神経幹細胞の早期のアストロサイト(赤)への分化が観察された。さらに、ノッチタンパク質の阻害剤を添加すると、アストロサ イトが観察されなくなった(C)。

● 図2
胎生中期神経幹細胞から産生されたニューロンは残りの神経幹細胞のノッチタンパク質を 活性化する。これによりNF-Iの発現が誘導されアストロサイト特異的遺伝子の脱メチル化が生じる。この脱メチル化が生じた神経幹細胞はアストロサイト誘 導性シグナルに応答してアストロサイトへと分化できる。最終的に神経幹細胞は、ニューロン、アストロサイト及びオリゴデンドロサイトへと分化する能力を もった成体型の神経幹細胞として成熟する。


【本研究内容についてコメント出来る方】
慶應義塾大学医学部生理学教室 岡野栄之 教授
〒160-8582東京都新宿区信濃町35
Tel: 03-5363-3747 Fax: 03-3357-5445 E-mail: hidokano@sc.itc.keio.ac.jp

【本プレスリリースに関するお問い合わせ先】
奈良先端科学技術大学院大学 バイオサイエンス研究科 分子神経分化制御学講座
教授 中島 欽一
Tel: 0743-72-5471 Fax: 0743-72-5479 E-mail: kin@bs.naist.jp

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