大腸粘膜を保護するムチン産生にストレス応答因子が重要な役割 ~潰瘍性大腸炎と小胞体ストレス応答との接点が明らかに~

2013/02/07

【概要】
動物の胃や腸の表面は、粘液という物質で覆われ、ちょうどキノコの一種「ナメコ」の表面のよううにヌルヌルしている。このヌルヌルの主成 分は糖が大量に結合したムチンと呼ばれるタンパク質で、胃や腸を外界からの刺激や細菌感染から守る役割をしている(図1)。奈良先端科学技術大学院大学 (奈良先端大、学長 磯貝彰) バイオサイエンス研究科 動物細胞工学研究室の 都留秋雄助教と河野憲二教授らは、英国ケンブリッジ大学David Ron博士、群馬大学岩脇隆夫博士らと共同研究を行い、このムチンを効率よく生産するために、IRE1β(アイアールイーワンベータ) と名付けられた、細胞のストレスを感知するセンサー分子が重要な役割を果たしていることを世界で初めて明らかにした。この成果は、2月5日の週の米国科学 アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America)電子版に掲載される予定。基礎学問としての重要性に加えて、粘膜がただれる潰瘍性大腸炎などの消化器疾患の病因解明に役立つことも期待さ れる。

一般に分泌タンパク質は合成された後、機能を発揮できるようになるために、小胞体とよばれる細胞内小器官で適切に折り畳まれる必要 がある。IRE1βは、その折り畳みがうまくいくように監視する役割をするタンパク質と考えられていたが、消化管のどの細胞で発現し実際どのような役割を 果たしているのかについては、全くわかっていなかった。河野教授らは、IRE1βが胃や腸のムチンを産生する杯(さかずき)細胞で特異的に発現しているこ とを明らかにするとともに、IRE1βが欠損しているマウスの杯細胞では、小胞体内に折り畳みに失敗した不良品のムチン前駆体が大量に蓄積し小胞体が超肥 大化していることを見出した(この状態は小胞体にとり大きな負荷となるので小胞体ストレスと呼ばれている)(図2)。さらに詳しく調べたところ、 IRE1βがムチン合成の指令書であるメッセンジャーRNA量を適切に減らすことで、タンパク質の合成速度が折り畳み処理速度の範囲内に治まり、その結 果、効率的な生産が可能となることを明らかとした。

ムチンの役割は物理的損傷や細菌感染などから消化管を保護することであり、その質や量 の低下は潰瘍性大腸炎や癌を誘発することが知られている。一方、IRE1βを持たないように操作した遺伝子改変マウスは、潰瘍性大腸炎を誘発する薬剤に対 する耐性が低く、病気が発症しやすいことが報告されていた。今回の研究から、IRE1βの無いマウスでは、過剰なムチンが合成されるため、折り畳み処理が 滞り、結果的に消化管表面を覆うためのムチンが不足し、潰瘍性大腸炎になりやすい状態に陥ってしまうのではないかと考えられた。このことは、ムチンの生産 に関わるIRE1βに異常をもつ人は、これらの病気にかかりやすい可能性があることを示唆しており、潰瘍性大腸炎の病因解明のためには、IRE1βについ ても考慮する必要があることを示している。

【解説】

【研究背景】
我々の消化管内には、摂取した食物や腸内細菌が 存在している。そのため消化管の表面は粘液で保護されている。この粘液の主成分はムチンと呼ばれる物質である。ムチンは非常に多くの糖が結合したタンパク 質(糖タンパク質)であり、これが不足すると、種々の腸疾患の発症につながることが知られていた。一方、IRE1βというタンパク質を作れないように操作 した遺伝子改変マウスは、潰瘍性大腸炎を誘導する薬剤に対する感受性が高くなっていた。しかし、何故IRE1βがないと潰瘍性大腸炎になりやすくなるの か?そもそもIRE1βがどの細胞にあるのか全く判っていなかった。

【結果】
大腸では、ムチンは粘膜に存在する杯細胞によって作 られ、分泌されている(図1)。まず、核にあるDNAからムチンタンパク質の設計図がメッセンジャーRNAにコピーされる。杯細胞はムチン生産に特化した 細胞なので、作られるムチン・メッセンジャーRNAの量は膨大である。そのメッセンジャーRNAをもとに大量のムチンが作られ、小胞体という場所で形が整 えられる。その後、ゴルジ体という場所に移され、糖が結合して完成型となる。

河野教授らは、IRE1βがどこにあるか電子顕微鏡を用いて 調べた。IRE1βは腸全体に分布しているわけではなく、まさにこの杯細胞の小胞体にあることがわかった。IRE1βは小胞体の状況をモニターするストレ スセンサーであり、必要とあれば、メッセンジャーRNAを分解する機能を持っている。電子顕微鏡による観察や、分子生物学や生化学といった種々の手法に よって解析したところ、人為的にIREβを無くした杯細胞では、ムチン・メッセンジャーRNAが分解されず、不良品のムチン前駆体が小胞体に大量に溜まり 小胞体が超肥大化し、小胞体ストレス状態にあることがわかった(図2)。このことは、杯細胞は基本的にムチン・メッセンジャーRNAを作りすぎる傾向が有 り、その全てから合成されたムチンが小胞体に入ると、折り畳み処理の工程が破綻し、不良品が蓄積してしまうからではないかと考えられた。IRE1βがある と、小胞体内に不良品タンパク質が溜まりかけたときに働きはじめ、メッセンジャーRNAの量を適切に減らすため、小胞体の処理能力を超えるタンパク質が流 入し続けることはなく、結果的に生産ラインがスムーズに流れて収量が増加すると考えられる。このIRE1βによる調節のポイントは、メッセンジャーRNA の量を0にするのではなく、少し量を減らし、タンパク質の合成量が小胞体の処理能力に見合う量になるように調整するということである。

【意義】
今回得られた結果は、細胞のタンパク質生産の新たな調節機構、または効率化の重要性を示している。すなわち効率化がうまく行かないと結果的にタンパク質の生産量が減少し、重篤な疾患を引き起こす危険因子になる。

潰 瘍性大腸炎は厚生労働省の難病指定を受けている疾患であり、その発症原因も十分解明されているとは言えない。今回、IRE1βが腸の保護に働く粘液の効率 的生産に重要な働きをしていることがわかったことは、この疾患の原因解明に新たな一石を投じるものである。遺伝的にIRE1βを持たないマウスも成体にま で成長することがわかっており、人の場合も同様である可能性は高い。したがって遺伝子診断をすると、潰瘍性大腸炎を発症した人の中にIRE1β遺伝子に欠 陥をもつ人が含まれており、それが発症の原因のひとつとなる可能性がある。

【補足説明】
○ 小胞体: 細胞の中に張り巡らされた膜で覆われた小器官で、細胞の外で働く分泌タンパク質や細胞膜のタンパク質はここで折り畳まれて、目的地に輸送される。

○ 小胞体ストレス: 合成された分泌タンパク質は小胞体内でシャペロンと呼ばれるタンパク質群の助けを借りて通常は適切に折り畳まれるが、折り畳み許容量を 超えたタンパク質が流入してきた場合には、折り畳み不全の構造異常タンパク質が小胞体内に蓄積することが知られている。この状態を小胞体ストレスと呼んで いる。

○ 小胞体ストレス応答: 小胞体ストレスは細胞にとり有害なので、細胞はストレスを解消するために構造異常タンパク質量を減らすために小胞体シャペロン遺伝 子の転写レベルでの誘導などの細胞応答をする。この小胞体ストレスを軽減するための細胞応答を小胞体ストレス応答という。

○ 小胞体ストレスセンサー: 小胞体に構造異常タンパク質が溜ったことを感知するためのセンサー。小胞体膜貫通タンパク質であり、小胞体内の異常を感知する とサイトゾルや核にストレス軽減のためのシグナルを出す。IRE1は真核生物に進化的に保存されているセンサーで、哺乳動物にはIRE1αとIRE1βの 2種類があり、IRE1αはXBP1 mRNAの特殊スプライシングに関っていることが明らかとなっているが、IRE1βの機能についてはよくわかっていなかった。

【関連リンク】
・論文は以下に掲載されております。
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.1212484110
http://library.naist.jp/dspace/handle/10061/8612(NAIST Academic Repository: naistar)
・以下は論文の書誌情報です。
Akio Tsuru; Naoko Fujimoto; Satsuki Takahashi; Michiko Saito; Daisuke
Nakamura; Megumi Iwano; Takao Iwawaki; Hiroshi Kadokura; David Ron;
Kenji Kohno, Negative feedback by IRE1β optimizes mucin production in
goblet cells, Proceedings of the National Academy of Sciences of the
United States of America, February 19, 2013, 110(8), 2864-2869

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