ヒトiPS細胞から新規誘導法を用いて脊髄損傷治療へ応用マウス実験で回復 ~安定した分化細胞選抜、腫瘍形成見られず、再生治療のさらなる実現に期待~

2012/03/15

【概要】
ヒトiPS細胞を用いた再生治療研究は始まったばかりであり、腫瘍形成を防ぐ方法や、望みの細胞へ確実に誘導する方法の開発など、その臨床応用には多くの課題や改善点が残されている。
奈良先端科学技術大学院大学(学長:磯貝彰)バイオサイエンス研究科分子神経分化制御研究室特 別研究学生の藤元祐介氏、中島欽一教授らは、英国ケンブリッジ大学オースティンスミス教授らと共同研究を行い、ヒトiPS細胞から今までとは異なる新しい 方法によって誘導した神経上皮様幹細胞(神経幹細胞の一種)を脊髄損傷モデルマウスに移植し、運動機能の回復を得ることに成功した。培養のさいに細胞を浮 遊させるのではなく、培養皿に接着させて有効な細胞を選抜しやすくする方法で、これにより移植した細胞の多くは、損傷脊髄を修復するのに有効と思われる ニューロン(神経細胞)に分化し、また腫瘍形成も見られない。移植マウスでは半分以上が体重を支えて歩けるまでに回復したのに対し、移植なしではここまで の回復を示したものはいなかった。こうしたことから、今後のヒトiPS細胞を用いた再生治療の実現に向けて重要な意義を持つと思われる。
この成果は平成24年3月14日付けのSTEM CELLS誌に掲載された。

【背景】
我が国では年間約5千人の新規脊髄損傷患者が生まれており、その総数は10万人以上と言われる。現在、損傷された脊髄を直接治療する方法はないが、最近の研究の進歩により、損傷脊髄を修復する方法が動物実験レベルでは多数報告されている。

中 島教授の研究室は以前に、脊髄損傷モデルマウスにマウス由来神経幹細胞を移植し、その幹細胞から新たに作られるニューロン(神経細胞)により損傷した脊髄 が修復され、運動機能が回復することを報告している(Abematsu et al., Journal of Clinical Investigation 2010)。

京都大学山中伸弥教授(本学栄誉教授)らによって樹立法が開発された人工多能性幹細胞(iPS 細胞)は、体細胞へ数種類の遺伝子を導入することにより、体の全ての細胞に分化できる分化万能性と、分裂増殖を経てもそれを維持できる自己複製能を持つ。 そのため、この細胞を利用した治療は脊髄損傷をはじめとする再生医療への応用が期待されている。ヒトiPS由来細胞を用いた脊髄損傷再生治療の有効性は、 世界でも慶応義塾大学と京都大学の共同研究チームにより昨年報告されたのみで(Nori et al., Proceeding of the National Academy of Sciences USA 2011)、移植に必要な細胞種への誘導法や腫瘍形成の有無、機能回復の詳細なメカニズムの解明など課題や改善点が残されている。

【実験方法】
以 前の報告では、iPS細胞からニューロスフェア(浮遊培養してできた分化した細胞と神経幹細胞からなる球状の凝集塊)を形成させ、損傷脊髄内へ移植する方 法を用いている。しかしこの方法では細胞の分化や手技に不安定な要素があり、塊内部に未分化なiPS細胞が残ることで腫瘍化の原因となる可能性がある。

最 近、スミス教授らは、ヒトiPS細胞を神経幹細胞の一種である神経上皮様幹細胞へ誘導し、その際に、浮遊培養ではなく細胞を培養皿に接着させたうえ、神経 系と思われる細胞のみを選別することで、均一かつ長期間神経幹細胞としての性質を維持させることができる培養法を開発した(Falk et al., PLoS One 2012)。この誘導された神経上皮様幹細胞は、さらに分化を誘導すると安定した高い割合でニューロンになる。また、違う方法で作成されたiPS細胞を用 い、他の研究室で神経上皮様幹細胞へ誘導した場合にも、ほぼ同様の性質を示した。このことは実験者や場所に関係なく、iPS細胞から神経上皮様幹細胞を誘 導し、安定して供給出来る方法であることを示している。さらに、ニューロスフェアを用いる場合と異なり、均一な神経上皮様幹細胞であるため、腫瘍の発生の 原因となる未分化なiPS細胞の混入も少ないと思われる。そこで、これらの治療に有利な特徴を生かし、この幹細胞をマウス脊髄損傷モデルへ移植しその効果 を検討する研究を行った(図1)。

【結果】
治療を行っていないマウスの多くは体重を支えて歩けなかったのに対し、移植治療群は半 分以上が体重を支えて歩けるまで回復した(図2)。詳しく調べると、移植・生着したヒトiPS由来細胞は、70%以上がニューロンへと分化していた。特性 が異なる2種類の特殊な色素を用いて、大脳で運動をつかさどるニューロンからどのような経路で神経回路が再構築されているかを追跡してみると、移植細胞由 来ニューロンがリレーするように脊髄の損傷した神経回路をつないでいる可能性が考えられた(図3)。また、もともと脊髄内に存在したニューロン(内在性 ニューロン)の多くは、損傷の影響によって死滅してしまうが、この移植によりそれが防げられることも確認された。さらに治療後に移植細胞のみを除去する と、回復した運動機能が悪化する傾向がみられたことから、移植細胞が直接治療効果を発揮していることも分かった。加えて、移植後3カ月まで観察したが腫瘍 形成は認めなかった。

【研究の位置づけ】
ヒトiPS細胞を用いた再生医療への応用は、その誘導法や腫瘍形成の有無など課題や改善点が残っている。また脊髄損傷に対する神経幹細胞移植の機能回復のメカニズムも不明な点が多い。

今回の研究は、ヒトiPS細胞から新たに確立された方法で誘導された神経幹細胞(神経上皮様幹細胞)を、移植治療に用いた世界初の試みであり、今後の中枢神経疾患に対する再生治療の実現に向けて重要な意義を持つと思われる。

【用語解説】
●iPS 細胞(人工多能性幹細胞 induced pluripotent stem cell):体細胞へ数種類の遺伝子を導入することにより、ES細胞(胚性幹細胞)のように非常に多くの細胞に分化できる分化万能性と、分裂増殖を経ても それを維持できる自己複製能を持つ。2006年にマウス、2007年にヒトiPS細胞の樹立が京都大学山中伸弥教授(本学栄誉教授)らにより報告された。

●ニューロン:脳・脊髄・神経を構成している細胞の一種で、その機能は情報処理と情報伝達に特化しており、体全体の筋肉や臓器を機能させたり、様々な感覚を脳へ伝えたりする役割を果たしている。

●神経幹細胞:中枢神経を構成するニューロンなどの3種類の細胞を供給する能力を持つ幹細胞。

【関連リンク】
・論文は以下に掲載されております。
http://dx.doi.org/10.1002/stem.1083
・以下は論文の書誌情報です。
Fujimoto, Yusuke; Abematsu, Masahiko; Falk, Anna; Tsujimura, Keita;
Sanosaka, Tsukasa; Juliandi, Berry; Semi, Katsunori; Namihira, Masakazu;
Komiya, Setsuro; Smith, Austin; Nakashima, Kinichi. Treatment of a Mouse
Model of Spinal Cord Injury by Transplantation of Human iPS Cell-derived
Long-term Self-renewing Neuroepithelial-like Stem Cells. STEM CELLS. 14
March 2012

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