~広報誌「せんたん」から~

森浩禎教授、中屋敷徹助教

遺伝子を網羅して保存

生命の営みに関わる個々のタンパク質自体 の構造や機能は、それを生み出すゲノム(遺 伝情報)の解析からかなりわかってきた。と ころが、「生物体に含まれる部品(タンパク 質)がどのようなネットワークを組んで生命 活動を行っているのか。またその機能を活用 し、如何に有用性を生み出せるか」というテ ーマについては、ちっぽけな単細胞生物であ る細菌の振る舞いすら予測するのは困難なの が実情だ。なぜなら、細胞内のネットワーク には、多数の遺伝子が関わり、互いに影響し あっていて、とても複雑な組み合わせになっ ている。それをひもとくには、膨大なデータ の集積と効率的な解析が必要になってくるか らだ。

こうした細胞内ネットワークの解明のため、 森研究室では、ゲノム研究のモデル細菌であ る大腸菌の全遺伝子(約4000個)をそれぞれ クローン化(単離)し、ライブラリーとして冷 凍保存している。さらに、Purdue大学や慶 応大学との共同研究で、遺伝子を1つだけ破 壊した菌株(1遺伝子欠失株)のライブラリー を全遺伝子について構築した。これら世界標 準となったライブラリーを駆使して、これま で得ることができなかった質や量のデータを もとに、細胞で起こっていることのルールを 見つけ出し、コンピュータで生命現象を再現、 実際の細胞と比べて調べる「システム細胞 学」の研究に挑んでいる。

二重の欠失ができた

通常、自然界に生きる生命は、少しくらい の環境の変化や遺伝子の変異などに対して非 常に強くできている。一つの機構として、体 内代謝の経路が一カ所でストップしても、他 の経路が補完して生き抜く「ロバスト(頑丈 さ)」の性質があり、表現型としてはなかな か表に出てこない。

しかし、「補完している遺伝子を同時に失 わせれば、変化の程度がより明確になり、遺 伝子同士の関係がわかる」。森教授はその方 法として、雄から雌へと染色体DNAが移動 する接合に着目。F因子という雄化させる DNAの運び屋を使って、2種類の1遺伝子 欠失菌株から二重遺伝子欠失菌株を非常に効 率的に作り出すことに成功した。

ただ、大腸菌の約4000個の遺伝子のうち 2個を欠失させる場合、その組み合わせは 1600万通りにもなる。このため、手のひら ほどのサイズの1枚の寒天培地に約1600種 類の1遺伝子欠菌株を同時に培養してコロニ ーをつくり、そこに別の一種類の遺伝子欠失 を同時に移動する方法と、その測定の自動化 を行った。

遺伝子発現制御や環境ストレスに対する制 御に関与すると考えられる非コード低分子 RNAについても同様の遺伝子欠失ライブラ リーを作って解析を進めている。

大腸菌の接合を利用した、全遺伝子を組合せた2重欠失株による遺伝子間の遺伝的相互作用解析を進めている。より高効率に行う為に、寒天培地1枚あたり1500を超える大腸菌コロニーを一度にスタンプ可能な装置を導入し、行う。大腸菌全遺伝子の解析に3枚の寒天培地で済む。その後スキャナーを利用した自動分析装置も作成し、解析を行っている。背景の薄い緑と赤の図は、一つずつの遺伝子の組合せによる遺伝的相互作用の強さを示したもので、ヒートマップと呼ばれる。この方法を用いて、現在1600万(4000遺伝子の総組合せ)もの2重欠失株の解析を進めている。この解析から、細胞内の遺伝子ネットワークの普遍的なルール解明を目指している。
大腸菌の接合を利用した、全遺伝子 を組合せた2重欠失株による遺伝子間の遺伝的相互作用解析を進めている。より高効率に行う為に、寒天培地1枚あたり1500を超える大腸菌 コロニーを一度にスタンプ可能な装 置を導入し、行う。大腸菌全遺伝子の解析に3枚の寒天培地で済む。その後スキャナーを利用した自動分析 装置も作成し、解析を行っている。背景の薄い緑と赤の図は、一つずつの遺伝子の組合せによる遺伝的相互 作用の強さを示したもので、ヒートマップと呼ばれる。この方法を用いて、現在1600万(4000遺伝子の総組 合せ)もの2重欠失株の解析を進めて いる。この解析から、細胞内の遺伝 子ネットワークの普遍的なルール解 明を目指している。

細胞構築のルールを探りたい

すでに成果は出始めている。新たな補完経 路の遺伝子や、ある酵素の遺伝子がないと解 毒できないなど新たな未知機能ネットワーク が見つかっている。

また、グルコースなど炭素源からエネルギ ーやアミノ酸を合成する中心代謝経路といわ れる解糖系、TCA回路に焦点を当てた研究 では、蛍光を発するタンパク質の遺伝子を組 み込み、酵素量の変化などを測定する定量的 な解析を行っている。これまで明らかと考え られてきた現象も、実は現在の測定技術を用 いることで、以外な事実も明らかになりつつ ある。

システム生物学が大きく進んだ酵母の細胞 内機能ネットワークと比較することで、真核 単細胞生物と原核生物との共通点を探り、生 命構築の基本ルールの探索を目指す。ルール が明らかになると、有用物質高効率生産など、 大腸菌自体の設計に役立てる目標もある。

さらに、この接合による遺伝子移動の方法 では、細菌まるごとの大きさのDNAを導入 できる。遺伝子操作がしやすい大腸菌でゲノ ムを作った後、抗生物質など有用な物質を生 産することで知られる放線菌など、有用微生 物に入れて改変する研究も進めている。

森教授は「大腸菌については、過去50年の 研究成果で遺伝子を除いたり、逆に化学合成 したりすることができるようになってきまし た。しかし、どの遺伝子群を、どのような制 御で存在させれば細胞が構築できるのか、と いうルールが分かっていない。その原理を探 り当てていきたい」と強調する。

木を見て森を見る

日本は米国より早く、1989年から大腸菌 のゲノム解析プロジェクトをはじめ、森教授 は京都大学の助手時代に当初より関わった。 当時はゲノムの自動解析機も普及しておらず、 3年がかりで遺伝子100個ほどが並んだ領域 の全貌が明らかになった。これまで遺伝子 個々についてバラバラに研究していたものが、 一歩進んで遺伝子の集合体が調べられるよう になると、「美しい遺伝子ネットワークの全 体像」を垣間みることができた。「これまで の研究が木を見て森を見ずと感じたのが最初 の驚きでした」と森教授は研究の原点を振り 返る。

研究にまい進する中で、趣味は多彩だ。中 学生のときから始めた硬式テニス、毎日のジ ョギングに加えてスキー、スキューバダイビ ングとスポーツ好き。一方でクラシックのピ アニストを志した時期もあったが、「京大で 学び、高名な指揮者になった朝比奈隆氏のよ うな道もある」と当時のピアノの先生のアドバイスを受けて農学部に入学したところ、興 隆期の分子生物学と出会って魅せられた、と いう。

好奇心をバネに研究

研究室で学生たちと

若手研究者や学生も、遺伝子ライブラリー を有力なツールとして、研究に挑んでいる。

中屋敷助教は、薬剤に対し感受性が変化す る遺伝子欠失株の選抜と、その現象の分子機 構の解明がテーマ。「ヒドロキシウレア(ヒ ドロキシ尿素)というDNA合成を阻害する薬 剤を使っての研究で、遺伝情報を翻訳してタ ンパク質をつくるリボゾームなどに変異があ ると、活性酸素を発生させて細胞死を引き起 こす機構を増強することなどが分かってきま した。こうしたデータの因果関係を探ってい くと細胞内の遺伝子の結びつきが明らかにな ってきます」と話す。「好奇心や興味を動機 づけにして研究するというスタイルは、自分 の経験からも結果的に良かったと思います」 という中屋敷助教の趣味は、パズル、将棋、 囲碁、チェス、数独と遺伝子の迷宮を解く研 究にもマッチする。

博士後期課程4年の竹内力矢さんは「二重 欠失株作製方法の確立と解析方法の開発を進 め、細胞構築のルールを探っています。学部 で有用な微生物の選抜を研究していましたが、 この研究室に来て、ネットワークの中で働く 遺伝子の本質を見ることができるようになり ました。本学は伸び伸び研究できることや、 郊外にあって遊びの誘惑がないところがいい。 博士号を取ったら海外の大学でポスドク修業 をしたい」と夢は広がる。

博士後期課程3年の大塚悠太さんは「目印 のバーコード(遺伝子配列)が付けられている欠失株をすべて混合して、それぞれの株につ いて個体数の変動を追い、機能との相関を調べる実験を行っています。一部の欠失株が優 位に増殖し、機能が確定できるなど結果が出てきています。もともと発生学の研究をして いましたが、網羅的な研究で遺伝子ネットワ ークの全体像を見たくて入学しました」とい う。何事も手作りが好きで、データ処理も既 存のソフトだけではなく、自分でプログラム することもある。使いにくいため自分で縫っ たという財布も見せてくれた。

マレーシア出身の留学生、博士後期課程2年のヤン・ハン・テクさんは、欠失させるの が困難な必須遺伝子の研究をしている。「研究環境が最先端で、ものすごく楽しい。ドイツや米国、カナダで研究させてもらったし、 本学での国際交流も盛ん。将来的には米国の 薬品関係の企業で研究を続けたいと思っています。日本は大好きで、ハイキングや温泉によくいきます」と話していた。