~広報誌「せんたん」から~

[2013年10月号]
バイオサイエンス研究科 神経形態形成学研究室 稲垣直之准教授、浦﨑明宏助教

稲垣直之准教授、浦﨑明宏助教

軸索の伸長に関わるキーの 物質を発見

私たちの脳には、1000億個~2000億個の 神経細胞があり、それらの細胞がつながって 情報を伝達するポイントであるシナプスは神 経細胞1個あたり1万個にも上る。とてつも なく複雑で精緻な神経回路網ができているからこそ、ヒトは感じたり、考えたり、うまく運動したりできる。世界最高レベルのスーパ ーコンピューター京が行ったシミュレーショ ンでは、生物学的には1秒間に相当する処理が、京では40分かけて計算したというから、 脳のずば抜けた実力のほどがうかがえる。

このように精妙な回路網をつくるため、神経細胞はどのようにして伸び、正しい場所に到達するのだろうか。そうした神経回路網形成の段階を追って基本的な謎に分子レベルで 挑んでいるのが、稲垣研究室だ。

神経細胞は1本の長い軸索と複数の短い樹状突起を持ち、軸索の先が他の細胞の樹状突起とつながっている。その結合部分がシナプスだ。情報の伝達は、まず樹状突起でシグナルを受け取り、長い軸索を通って末端から放出して、次の神経細胞の樹状突起に渡される とう仕組み。だからシグナルの流れに方向性(極性)がないと情報の伝達が混乱してしまう。

そこで、稲垣准教授は、神経の極性形成に必要なタンパク質「シンガー」を世界で初めて発見した。なんとこの物質がないと軸索が複数できて情報の出口が定まらなくなってし まう。

また、軸索の先端に「シューティン」というタンパク質を世界で初めて発見。この物質の拡散が軸索の長さのセンシングに重要な役割を果たしていることを明らかにした。それだけでなく、シューティンは軸索を伸ばすために、アクチン線維と連結して牽引力を生み出し、速度を調節していることを突き止めた。 自動車に例えれば、アクチン線維はエンジンで、シューティンは「クラッチ」ということになる。

さらに、これまで機能が不明だったタンパ ク質「Rab33a」が、細胞膜成分の軸索先端への輸送と供給を担い、伸長と形づくりに関わっていること解明した。

このように神経網形成のキーになる物質を 次々と見つけているのだ。

ナビゲ―ションの仕組みがわかった

最近の成果を紹介しよう。

神経細胞は伸長するさいに、道路標識や信 号にあたる分子(誘引シグナルなど)に導かれ、 正しい場所へと向かい、ネットワークをつく る。そのナビゲーションの仕組みとして、誘 引シグナルの引き起こす化学反応(リン酸化) により、シューティンがアクチン線維との連 結を強めて力を生み出し軸索伸長を加速させていることを明らかにした。神経細胞の再生 医療への応用にも役立つ基礎的な知見だ。

稲垣准教授は「予想外の非常に面白いことが分かってきました。軸索が正しい場所に伸びる仕組みは、他の細胞についても細胞移動 のさいの共通の原理ではないかと思いま す。例えば、生物の発生の時期に細胞が集まって組織や臓器が生まれたり、免疫反応で細胞が病原体に向かっていったり。対象が放出する物質の化学的なシグナルを力に変換して方向を調節している。がんの転移などさまざまな領域の研究の加速も期待できます」。

このほか、神経細胞の形づくりの基本的な 原理の解明のために、「対称性の破れ」「細胞のサイズと長さのセンシング」「分子のゆらぎ」といった現象についても、細胞内1分子計測など細胞生物学の最先端の手法や数理解析の手法で迫っている。

稲垣准教授は大阪大学医学部の出身。脳の神経伝達物質の研究に取り組み、平成10年に本学に赴任してから、未開拓の領域だった神経の軸索形成に関わる研究を始めた。軸索に含まれる物質を探索するため、タンパク質 の種類を解析する電気泳動装置を世界最大級の大きさで手作りし、本学の最先端の質量分析器と連携して調べた。「ベストの条件で実験を行うというのが信条です。多くの物質を 採取できたことで、通常とは逆に分子の方か ら全体の現象の仕組みを解明する研究に行ったのがよかった。神経細胞は、人間の高次機能の基盤となるのだから、謎が多い分だけ魅力的なフィールドです」と振り返る。「真理を知ること、生き物の素晴らしさを理解することは喜び。世界共通の言語として海外の学 者とコミュニケーションが取れるのも面白い」という。「研究室では、生化学、分子生 物学、細胞生物学の研究を行い、実験材料も ネズミ、ゼブラフィッシュを扱っているので、 分子レベルから個体レベルまでまたがった解析ができます」とアピールする。

一番の趣味はワインで、自宅にワインセラーを持つ。週に2㎞が目標の水泳、音楽や絵画の鑑賞など幅広い。

  • 軸索先端に濃縮するシューティン(赤色)
    軸索先端に濃縮するシューティン(赤色)
  • 軸索先端のRab33a(緑色)
    軸索先端のRab33a(緑色)
  • シンガーを減らすと神経細胞に軸索が複数できる
    シンガーを減らすと神経細胞に軸索が複数できる

若手が研究を支える

本学に赴任したばかりの浦﨑明宏助教は、 DNA上を移動し、遺伝子導入などに使われるトランスポゾン(動く遺伝子)の研究をメダ カやゼブラフィッシュで続けてきた。これま で遺伝学的解析に広く使われているTol2とい うトランスポゾンのベクター(遺伝子の運び 屋)の作成に成功。透明な体のゼブラフィッ シュの利点を生かして、血管やリンパ管の形 成の研究を行っている。「本学ではゼブラフ ィッシュの系を確立し、生体内の細胞移動や 組織器官形成について発生遺伝学や分子細胞 生物学などの視点から理解していきたい」と いう。「誰も見つけていないものを見つけ る」ことが信条で、剣道2段のスポーツマン でもある。

神経細胞の軸索形成の基本的な仕組みが明 らかになりつつある中で、研究に携わる若手の存在は大きい。

博士後期課程を修了後、研究員となった前 野貴則さんは、軸索が一本だけ伸びて細胞の対称性が破れたあとで、軸索に特異的にタン パク質が集まる現象について、分子が適切なサイズを感知するという観点から仕組みを調 べている。「タンパク質が特異的に長い突起 にしか集まらないということは、長さをセンシングして分子が移動し、軸索の長さが調節 されていることになり、実験で確かめつつあ ります。こんなシンプルな理由を誰も気づか なかったと知ったときは興奮しました」と話す。理工学部の出身で医療機器の研究をして いたが、本学を見学し、バイオ研究に魅せられた。「実験結果の写真を見てきれいだなと感じ、知らないことを学ぶ方が楽しいとの思いがありました。入学して半年間の授業がしっかりしていて、分野外からでも追いつくことができます。いまは新説を提唱する、自分の行った研究が論文になって残るなどさまざ まな喜びがあり、モチベーションが高くなっています」と張り切る。サイエンスカフェなどを行う本学の団体「NASC」の設立にも参加しており、将来的に研究者のほか日本の科学技術研究の底上げにつながる仕事も手掛けたい、という。

研究室で学生たちと

また、博士後期課程3年の勝野弘子さんは、 軸索を伸ばすための細胞内タンパク質の輸送 機構を調べている。「シューティンなどのタンパク質を輸送する構造体の移動について、 新たな仕組みが解明できました」と満足そう。「学部のときは、畜産学でしたが、設備がいい本学で本格的に生物学を勉強したいという 気持ちが強かった。さまざまな分野の学生が 集まるので、刺激されます」という。「純粋にサイエンスを楽しみたい」という思いがあり、大学の研究者をめざしている。

博士前期課程2年生の渡瀬恵美子さんはシューティンの機能解析をゼブラフィッシュで行っている。「シューティンにより、どのような表現型が出るか、未だゼブラフィッシュでのデータがないので、結果が楽しみです。就職が内定していますが、さまざまな研究の先端技術が学べていて、実験に必要な考え方など生かせると思います」と意欲をみせている。