~広報誌「せんたん」から~

[2013年10月号]
物質創成科学研究科 光物性理論研究室 稲垣剛准教授

稲垣剛准教授

一つの光子から複数のペアを得る

地球規模でエネルギー全体の供給のパターンが変わりつつある中で、クリーンで再生可能なエネルギーの代表格として期待されるのは太陽光発電だ。降り注ぐ光のエネルギーを半導体でできた太陽電池により直接、電気エ ネルギーに変換する。その変換効率が高けれ ば高いほど有用なことは言うまでもないが、 現在市場に多く出回っている太陽電池での限界は33.7%とされている。1961年に米国のノーベル物理学賞学者のウィリアム・ショックレーとハンス・クワイサーが共同で理論的に発見した法則によるものだ。

その限界を超えようと物性物理学の理論研 究に挑んでいるのが稲垣准教授だ。太陽電池の原理は、光のエネルギーを吸収して半導体の内部に電子と、それが飛び出して抜けた孔(正孔)ができる。これが電流の担 い手となる。太陽光を構成する光の粒子であ るフォトン(光子)一つに対し、電子と正孔の ペアが一つしかできないとされているのが変 換効率の限界の根拠だ。それなら、一つの光 子に対し、ペアが複数生じる多体効果が実現 できれば突破口が開けるのではないか、という発想である。

「光によって物質内に生成された励起子系の性質を理論的に明らかにするのが研究室全体の目標で、具体的には、多体効果を理論的に確かめ、太陽電池の高効率化につなげる研究などを行っています」と稲垣准教授は説明 する。

高効率化の研究のアイデアは、光電変換の際に、一つの電子と正孔のペアを作った後、 余った光のエネルギーを再利用して、もう一つペアを作るエネルギーに加えるという方法だ。原理的には一つペアが増えれば、倍の効率になる。現行の太陽電池では、余剰のエネルギーは熱エネルギーに換えて捨てられ、ロスになっていた。

ただ、多体効果を実現するには、約20ナノ(ナノは10億分の1)メートルという超微 小なサイズの半導体ナノ結晶(カドミウムセ レンなど)が必要になる。原子の10~100倍 程度で、このサイズでは、一般の物理学と異なる量子力学の分野の特異的な現象が起きる。 たとえば、「量子閉じ込め効果」という現象 は、電子と正孔のペアがナノ結晶という極端 に狭い空間に閉じ込められ、自由に動けなくなったときに生じるもので、結晶のサイズをうまく調節することで多体効果が生じやすくすることができる。

「実験でもすでに一つのフォトンに対し複 数のペアが観測されたという報告があり、研究が進んでいます。ただ、太陽電池として応 用するには、できた電子と正孔をどのようにして電気として取り出すか、というハードル があります」と稲垣准教授。

紙と鉛筆、 そしてコンピューター

稲垣准教授の研究手法は、紙と鉛筆、そしてコンピューターで理論を構築し、実験は共同研究者にゆだねる。さらに、実験データか ら明らかになった現象について、数学モデルを使い、それをうまく説明するような理論を 打ち立てる。実験データの本質を見抜き、研究全体を効率的に進めることにもなる。共同研究者から「面白い現象がみつかったのでこ れを説明する理論を」との依頼もあるという。

このほか、稲垣研究室では電子と正孔のペアが高密度に存在するとき、どのような量子力学の振る舞いをするか、マクロ(巨視的)な 量子現象を測定する研究に取り組んでいる。

絶対温度(氷点下273度)に近い極低温で強い光を当てると多くの電子と正孔のペアができ凝縮(ボース・アインシュタイン凝縮)するとされているが、実験は困難で直接の観測は 行われていない。その際に可視光でペアの密 度を精密に測るのは困難だったが、光と電波 の中間の波長を持つテラヘルツ波の吸収強度 によって測定すればよいことを理論的に突き止め、成功した。これで、光の強度やペアの 密度による特性の変化などが明らかになり、 応用研究にも役立つことになる。

また、夢の次世代コンピューターである量子コンピュー ターに関する研究にも着手した。このコンピ ューターは、離れた複数の粒子の間にも同期する関係があるという量子力学の「量子もつれ」という現象を利用し、光子を使った研究 が盛んだが、稲垣准教授らは、超電導状態の 電子にも「量子もつれ」状態があることに着 目した奈良女子大学の岩渕修一教授らとともに、この状態にある単一の電子を取り出す研究を手掛けている。

研究テーマは多岐にわたるが、「こだわるようでこだわらない」「本質を見極めて飛躍 する」というのが研究哲学。「たとえ、これしかやりたくないと思っても、広い視野でこれを見直すと、また新しいブレークスルーが得られるということがよくあります」。

学部のときに英国のノーベル物理学賞受賞 者、ポール・ディラックの著書『量子力学』 を読み、枠にとらわれない考え方に感動した。 大学院では、素粒子論を専攻し、当時、出会 った同賞の益川敏英博士、南部陽一郎博士と一緒に撮った写真が宝物だ。博士課程になって、物性物理に移り、超電導の研究を手がけた。光に関する研究は本学に着任してからだ。 「好きな言葉は一期一会。何事にも出会いを 大切にし、真心を持って接することです」。

研究三昧の中で、空いた時間があると幼少 からあこがれていたチェロを弾く。一方で中 高とサッカーの選手だったことから、大のサ ッカーファン。世界を沸かせた名選手、ディ エゴ・マラドーナのファンでアルゼンチンを応援する。

光照射によって半導体ナノ結晶中に生成された電子正孔 対密度の光子エネルギー依存性。 半導体ナノ結晶は立方体形状を仮定し、その1辺の長さ はバルク半導体の励起子半径の1.3倍としている。バン ドギャップエネルギーは100 E0 (E0はバルク半導体の 励起子束縛エネルギー)。バンドギャップエネルギーの 2.3~2.5倍以上のエネルギーを持つ光子が入射すると 1光子あたり2個以上の電子正孔対が生成されることが 分る。本学総合情報基盤センターの小規模計算サーバを 1カ月近く連続稼働させてようやく得られた結果。
光照射によって半導体ナノ結晶中に生成された電子正孔 対密度の光子エネルギー依存性。 半導体ナノ結晶は立方体形状を仮定し、その1辺の長さ はバルク半導体の励起子半径の1.3倍としている。バン ドギャップエネルギーは100 E0 (E0はバルク半導体の 励起子束縛エネルギー)。バンドギャップエネルギーの 2.3~2.5倍以上のエネルギーを持つ光子が入射すると 1光子あたり2個以上の電子正孔対が生成されることが 分る。本学総合情報基盤センターの小規模計算サーバを 1カ月近く連続稼働させてようやく得られた結果。

最先端に近づくことが楽しみ

研究室で学生たちと

稲垣研究室では、学位論文に向けた研究指 導に加え,基礎学力向上のために「電磁気学」「量子力学」「統計力学」のゼミを開いてい る。学部時代に物理学を専門に勉強してきて いない学生にも円滑に研究に取り組んでもら うためで、学部がない大学院大学としての配 慮も怠りない。

量子コンピューターにつながる量子もつれ 電流の解析を行っている博士前期課程2年生 の塩井秀侑さんは学部時代に工学部で超電導 の理論研究を行っていた。研究テーマに違和 感はなかったが「未だ稲垣先生の研究領域に 追いつくための訓練期間です。研究内容はもちろん、常に背伸びした状態を続けていますので、その最先端の研究の内容と自分のいまのレベルの間を埋めていくところにやりがい を感じて、むしろ楽しんでいます」という。 修了後は、就職の予定。研究の合間に鉄道旅 行やドライブに出かけ、すでに本州の西端から北海道まで踏破した。

博士前期課程1年生の野田裕人さんのテーマは、太陽電池の変換効率を上げること。 「学部では、有機薄膜の太陽電池の作成と電気特性の評価をメーンに行っていました。とにかく高い変換効率を実現することで頭がいっぱいです。環境面では研究設備はよく、学生にも使いやすい」と話す。趣味はサッカーだが、本学で盛んなフットサルのサークルに入って汗を流している。

博士後期課程2年生のリー・ティー・ハ イ・エンさんは、ベトナム出身。2011年に本学と大学間協定を結んでいるハノイ国家大学から本学に来て2か月間のインターンシップを経験した。翌年には、留学生となった。 高密度の励起子に関する研究がテーマで「先生がフレンドリーだし、いろいろな国の友達ができて非常にうれしい。本学でスキルアップしたあとは帰国し、大学の教官になりたい」と話していた。