~広報誌「せんたん」から~

[2015年5月号]
バイオサイエンス研究科 構造生物学研究室 箱嶋敏雄教授

箱嶋敏雄教授

サリドマイドががんの薬に

「サリドマイド」といえば、1960 年代に妊娠初期の女性が睡眠薬として使い、深刻な薬害をもたらした物質だ。ところが、それと基本的に同じ構造の化合物が、今度は免疫調整薬(IMiDs)として血液のがんである多発性骨髄腫などさまざまな病気に使われはじめている。いったい、この化合物は体内でどのように作用しているのだろうか。

免疫調節薬(IMiDs)が結合した状態のセレブロン-DDB1の複合体構造
図1 免疫調節薬(IMiDs)が結合した状態のセレブロン-DDB1の複合体構造
図2 ジベレリンが結合した状態のジベレリン受容体GID1とDELLAタンパク質複合体構造
図2 ジベレリンが結合した状態のジベレリン受容体GID1とDELLAタンパク質複合体構造

その謎を世界で初めて箱嶋教授ら構造生物学研究室が明らかにした。タンパク質の結晶構造を解明するX線結晶構造解析法という手法を使い、この免疫調整薬が薬理作用を発揮するために標的のタンパク質「セレブロン-DDB1」と結合した状態の複合体について、その詳細な立体構造をつきとめたのだ。この成果により、標的タンパク質のどの分子にどのような状態で結合しているかがわかった。この情報は非常に重要で、これを元に、薬理作用を強めたり、副作用を除いたり、新薬の設計が効率的に進められることになる。

このように構造生物学研究室では、多大な数の原子が結合して複雑に入り組んだ構造をしているタンパク質を結晶化し、大型放射光施設「SPring-8」の強い放射光を使ってタンパク質の構造を解析する。さらに、その構造から、生物物理学や生化学の手法により、原子、分子の間でどのような相互作用があるかを見て、機能を読み解くのだ。

箱嶋教授は「生命の営みは、ゲノム(遺伝情報)という設計図に基づき、2万~2万5000個程度の限られた数のタンパク質の機能で構成されています。だから、個々のタンパク質の働きを詳しく理解しないことには、生命体のからくりは見えません」と強調する。研究成果は、基礎生物学だけでなく、医薬、農業など幅広い応用分野で活用されている。

人生は冒険

この分野の草分けである箱嶋教授は、これまで72個ものタンパク質の構造と機能を明らかにしてきた。平成6年に本学に赴任してからは、植物の生長促進に極めて重要な植物ホルモン「ジベレリン」についても世界初の成果をあげた。ジベレリンが細胞内で機能を発揮するさいに受容体と結合する様子を分子レベルで立体的に表わし、相互作用して情報を伝える機能の仕組みを明らかにした。食糧増産のための新たな農薬や改良穀物の開発などへの応用が期待されている。

箱嶋教授は「薬がどのような仕組みで効くのか知りたくて」薬学部に入り、1980年代になって分子レベルで解明しようと構造解析の研究を始めた。ところが、当時はまだ、解析の方法論が整理されつつある段階で「構造生物学」という分野はなく、試料の結晶の作製など実験器具はほとんどが手作りだった。そこで、タンパク質より比較的小さな分子にねらいを定め、遺伝子DNAを構成する核酸塩基が結合したヌクレオチドの構造の変化などをテーマに研究を重ねた。

その後、研究は発展し、細胞の信号伝達などに重要な役割をし、発がんの抑制にも関わるタンパク質(低分子量GTP 結合タンパク質)の複合体の構造を明らかにし、活性化した状態の構造をつきとめた。

「大学院大学であることの優位性を生かし、最先端領域での研究三昧を基本に、世界へ発信できる研究を通じ、教育します。研究は一番でないと意味がないので、そうなれるように鍛え上げます」と話す箱嶋教授の研究室からは多くの優れた研究者が育っている。「NHK朝ドラの『マッサン』に出てくるように、人生はアドベンチャー(冒険)です。結果が見えなくても見切りをつけず、あと一年とがんばる必要があります。若手はもっと挑戦してほしい」と期待を込める。また、「本学は大学院だけなので、研究をベースに若手の教育などができることは非常に大きい」と強調する。好きな言葉は「因果応報」。研究していれば何か結果が出るが、その間に努力していなければ成功は望めない、という。「本学の草創期は研究者らが本当によく頑張り、活気があった。これからの第2ラウンドで新しい方向が出せれば」。

研究一途の印象があるが、オフの時には、若い頃はよくスキー、スケート、水泳に出かけた。最近では犬の散歩を兼ねたウォーキング等をしている。小さい頃から詩歌や絵画等にも興味があり、時々の「コンペ」に応募もする。昨年亡くなったイラストレーター、安西水丸さんを惜しむ。「才能があると生きていけるということを示していて憧れていました」。

忍耐力が必要

研究室の仲間と

博士後期課程2年(学年は2015年3月取材当時。以下同様)の柴原豪了さんは、細胞同士が接着したときに、受け取ったシグナルが細胞質の内部でどのように伝達され、分化につながっていくかを調べている。「2種類のタンパク質に着目して、相互作用する際につくる複合体の構造をみて、その機能を調べます。しかし、測定できるきれいな複合体の結晶ができるのは、選択した2万個の候補の中で、たった2個。以前より結晶の作成装置が便利になってきましたが、結晶をつくる方法論が確立していないので苦労しています」と話す。シグナル伝達の仕組みがわかれば、組織を自在に分化させることで、再生医療につながる可能性があり、期待は大きい。「修士のころは、初めて使う機械などがあり、他人より時間を使って早く覚えることに気をつけ、博士課程では自分でしっかり考えて、先生方と密にディスカッションすることを心がけました。成功と失敗の繰り返しなので、忍耐力も必要」という。将来はバイオ関連の企業に入り、社会貢献したい、という。趣味は、写真とF1観戦、そして酒を楽しんでストレスを解消する。

マレーシアの国費留学生で、博士後期課程1年のチェク・ミン・フェイさんのテーマは、がん細胞の増殖を抑制するヒッポシグナル伝達経路に関わる主要なタンパク質の研究だ。「マレーシアの大学の修士課程を修了したあと本学に入学しました。研究の進歩が速く、修士時代にすでに多くの成果が出ている状態」。NAISTでは「実験器具など設備も十分な上、研究者もハイレベル。研究のテーマに対する姿勢もとても能動的です」と驚く。「マレーシアで構造生物学の研究は少ないので、帰国したら研究のフロンティアになるつもりで研究しています」と張り切る。趣味はスポーツと写真。水泳は海水浴場のライフガードや指導員を務めたほどで、山登りやバドミントンも好きとバイタリティに満ちあふれている。