~広報誌「せんたん」から~

[2016年1月号]
バイオサイエンス研究科 発生医科学研究室 笹井紀明准教授、西晶子助教

笹井紀明准教授、西晶子助教

誘導因子がコントロール

脳や脊髄のような中枢神経系には、さまざまな種類の神経細胞や、そのもととなる前駆細胞が含まれている。これらは胎児が成長するときに、単純で未発達な細胞(前駆細胞)が、絶妙のタイミングで多種の神経細胞に分化したうえ、整然と配置(パターン化)されていく。この精緻な神経細胞づくりのシステムをコントロールしているのが誘導因子と呼ばれるタンパク質。細胞の外側から入ってきて、前駆細胞に働きかけている。

笹井紀明准教授は「誘導因子と、それを受け取る前駆細胞がどのように協調して複雑な構造を作り上げるのかについて、ニワトリやマウスの胚をモデルに分子レベルで明らかにします。そのほか、いったん作られた神経細胞の機能を維持する仕組みも重要な研究テーマです。こういった基礎科学の知見を難病の治療に役立てたい」と抱負を語る。

脊髄に多様な神経細胞が整然と並んでいる状態は、誘導因子の中でも特にモルフォゲンと呼ばれる特殊な因子が関わり、その濃度差によってもたらされることが知られている。それでは、受け手の前駆細胞は、さまざまな濃度の誘導因子に対してどのように反応し、異なる細胞を作り出しているのだろうか。これは「コンピテンス(反応能力)」と呼ばれる現象で、ここから多様な細胞を生み出す仕組みを突き止めるのが、発生医科学研究室の目標だ。

時間差の影響を発見

(左)ニワトリ胚における神経管(脊髄のもと)の断面図。p3前駆細胞(水色)と底板細胞(赤色)が見られる。(中央、右)ソニック・ヘッジホッグという分泌因子(誘導因子)を早い時期に強制的に発現させると、神経管全体が底板細胞に変化したが、遅い時期に強制発現すると、p3細胞が多数出現した。これは、神経管の細胞がソニック・ヘッジホッグに対して、時期によって異なる反応を示したためと考えられる。
(左)ニワトリ胚における神経管(脊髄のもと)の断面図。p3前駆細胞(水色)と底板細胞(赤色)が見られる。
(中央、右)ソニック・ヘッジホッグという分泌因子(誘導因子)を早い時期に強制的に発現させると、神経管全体が底板細胞に変化したが、遅い時期に強制発現すると、p3細胞が多数出現した。これは、神経管の細胞がソニック・ヘッジホッグに対して、時期によって異なる反応を示したためと考えられる。

誘導因子の情報(シグナル)が前駆細胞に伝わるさい、その時期によって反応が変わるという現象に関する研究もある。笹井准教授が英国の国立医学研究所に研究員として勤務していたさいにソニック・ヘッジホッグ(Shh)という誘導因子を使い、多くの前駆細胞がチューブ状に並んだ神経管という組織を作るとき、発生の早い時期と遅い時期では異なる種類の細胞になることを突きとめたのが出発点。つまり、多様な細胞を作るには、これまで知られていた濃度差に加えて時間差も必要だったことになる。このほか、笹井准教授は「Shhはほかの誘導因子に比べてシグナルが伝わるスピードが遅く、このスピードのコントロールが細胞の多様性やパターン形成に関係している可能性がある。そこで、Shhのシグナルがどのようにして細胞内で挙動するのかも明らかにしたい」と説明する。

このほかに、神経細胞の機能維持の仕組みを明らかにし、神経難病などの進行を遅延するための研究も手掛ける。

「研究の中で一番大事にしているのは、いろいろな人と議論し、互いに助け合って仕事を進めていく、コラボレーション(共同作業)の精神です」と強調する。「本学でも大学院生とは互いに研究協力者としての立場でやっていこうと思っています。そして、多くの人々に興味を持ってもらえるような知見を社会に提供することが、研究者としての使命だと思っています」と話す。趣味は家族旅行で、英国で研究していたころは10ヵ国以上を訪ねた、という。

疾患の分子メカニズムに迫る

西晶子助教は、どんな細胞にもなるES(胚性幹)細胞を使い、誘導因子による神経細胞のパターン化について調べている。2015年10月に赴任したばかりなので準備段階だが、さまざまな因子を組み合わせてES細胞の反応を見たデータについて、笹井准教授らのニワトリなどの個体を材料にしたデータと比較したうえで新しい実験系を構築する。「分化しつつある細胞にさまざまな因子を異なる濃度やタイミングで加え、分化に対する反応を見るなどして詳細な仕組みを明らかにしていきたい」という。また、黄斑変性などの眼科疾患についても、原因となっている膜タンパク質の異常との関係を明らかにし、病気のメカニズムに迫る。

「これまでは主に、細胞表面に現れる、繊毛という小さな突起状の構造が発生に重要な役割を果たすことを明らかにしてきました。新しい技術やテーマには手を動かして挑戦するのが信条で、このテーマも本学で大きく発展させたい」と意気込む。「本学はバイオだけでなく、情報科学など工学系の研究科も実験装置のことで相談に乗ってくれるなど垣根が低いことが利点です」と話す。趣味は海外旅行で、自然と食事を堪能すること。これまでのベストはアイスランドのオーロラとラム(羊肉)とか。

多様なバックグラウンドを持つ人材

研究室の仲間と

2015年7月にスタートして間もない研究室だけに、所属する学生はいずれも博士前期課程1年生で意気盛ん。

市川朋さんは「ソニック・ヘッジホッグシグナルに関連する遺伝子の中には、神経細胞の発生とともに、がんに関わっているものもあるので、細胞周期や増殖と神経分化の関係を調べています」と説明する。学部では、培養細胞に薬品を加えてiPS細胞を作る研究だったが「研究の結果はすぐに出ないので、粘り強く行うのが大切。本学は授業数が多いので他分野の出身でも問題なく、さまざまの分野の人がいて、視野も広がります」。和服姿は学内の茶会に出席するためで、留学生らも参加していて楽しい、という。

八塚敦輝さんは、ソニック・ヘッジホッグのシグナルに関連した新たな因子を探索している。「誘導因子により神経管内で遺伝子の発現が盛んになるものの中で、面白い受容体が見つかりそうです。それに対応するリガンドを探して新たなシグナル系を見つけたい」。学部時代にコオロギの行動と神経の関係や鳥類の生態を研究していた経験もあって、バードウォッチングが趣味。「本学はカワセミなどたくさんの野鳥が来ていて、とてもいい環境です」

安国勇貴さんは、繊毛病に関わる膜タンパク質の機能解析を行っている。「このタンパク質を細胞で発現させると、細胞骨格に大きな変化が現れるので、この現象を定量化しようと思っています。物理学の出身なので、バイオの研究に対して異なった視点のアイデアが出せるのではないか」と意気込む。「学生の立場からすごく良かったのは、本学が研究室の決定に1ヵ月間かけること。この期間は貴重で、その間に友達や先輩との交流の輪が広がり、研究に取り組むときにとても役立ちます」と話している。