~広報誌「せんたん」から~

[2016年5月号]

 上久保裕生准教授、山崎洋一助教

新たな研究手法を開発

生物はさまざまな環境の中で生き抜くために、時に応じて生体内に高度な機能を発揮する分子の組み合わせを作り出す。タンパク質を中心にした多くの分子が共存していて、離合集散を繰り返しながら、互いに協奏して作用する複雑なシステムがあるからだ。分子複合科学研究室は、生命活動の中核を担うタンパク質の動向にスポットを当て、タンパク質の複合体の性質を調べるとともに、創薬や新たな材料の開発を目指している。昨年春に独立した若い研究室で、上久保准教授は「これまでは個々のタンパク質分子について、溶液中の揺らぎの解析や機能、構造などの個性を調べる研究を続けてきました。それを拡張して、いろいろな種類のタンパク質が共存したときに新たに生まれる関わり合い、性質といった理論的には解析しづらい複雑な系に対し実験科学の立場から踏み込んでいきたい」と強調する。

主な研究テーマのひとつは、研究手法の開発だ。生物に見られる機能は、10種類程度の異なる種類のタンパク質分子が共存する分子集団の中で育まれ、環境の変化に応じてそのうちのいくつかの分子が結合したり、分離したりして実現する。その仕組みを理解するためには、1つのタンパク質分子を調べるだけではなく、時々刻々生じるタンパク質の集合離散の様子をタンパク質分子同士の結合の状態や相互作用を含め観察しなくてはならない。タンパク質分子同士の相互作用は、「滴定実験」と呼ばれる方法で評価することができるが、従来法では2種類のタンパク質分子間の相互作用の評価に限られていた上、多量の試料を必要とするため多数のタンパク質分子が共在するシステムへの適用が困難であった。

そこで、上久保准教授らは、微細加工技術により基板上に微小な流路や反応スポットを刻んだ「マイクロ流路チップ」を使う手法を開発した。様々なタンパク質分子を含む溶液をチップに流入させる速度を制御することで、数十ナノ(ナノは10億分の1)リットルという超微少な空間で任意の割合で混ぜた混合液が作れる装置を開発することで、分析に必要な試料量を劇的に減らすことに成功した。さらに、混合液中に共在する複数のタンパク質分子とそれらの複合体タンパク質分子を、タンパク質分子の個性の一つである構造を指標として区別できる「X線溶液散乱」という手法を用い、それらを組み合わせた装置を作ることで、初めて多種多様なタンパク質が共存する混合溶液中の個々のタンパク質のふるまいを調べることができるようになった。

この手法は生理機能を実際に発現している様々なタンパク質分子集団への応用が可能であり、現在は、情報伝達に関わるタンパク質分子集団を始め、バイオサイエンス研究科の稲垣直之教授と共同で、神経細胞の軸索伸長などに関わるタンパク質分子集団のふるまいを調べている。「テクノロジーだけでは絵に描いた餅ですが、生理機能を細胞レベルで研究している専門家と研究科をまたいだ融合研究を展開することで初めて装置に血が通い始めます。この装置は膨大な状態から次々とデータを習得することができるのですが、次は、情報科学研究科とマテリアルビッグデータサイエンスの観点から共同研究を展開したい。」と本学で研究を進める最大のメリットである融合研究への期待に胸を膨らませている。

わからないことを楽しむ

タンパク質を素材とした材料開発

もうひとつのテーマは、シルク(絹)やクモの糸に匹敵する機械強度、しなやかさなど非常に優れた性質を持った新規タンパク質複合材料の開発だ。カイコやクモは、自然の中でフィブロインというタンパク質を秩序だった構造に組み合わせる形で糸をつくる。しかし、現在の紡糸方法では、化学繊維を作るときに一般的になされているように、原料を窮屈な細い管を通して引っ張るなどストレスをかけて秩序だった分子構造の繊維を作りだしている。「フィブロインを使っても人工的にシルクの特性がだせないのは、カイコやクモがストレスをかけずにタンパク質本来のなりたい構造を取らせ、自己組織化しているからではないか」というのがタンパク質の個性を知りつくした上久保准教授の発想だ。このため、マイクロ流路チップなどを使い、溶液の環境を変えて調べるなどして製造に最適な条件を探っている。

「常に新しい現象や概念を発見しつづけることを心がける」のが上久保准教授の信条。「答えが出ないことを不安に思う学生が増えていますが、わからないことを楽しみ、考える習慣を身に付けてほしい。どんな実験でも自分の考えが証明できれば、その感動は忘れられないものです。大学院での成功体験を基に、社会に出ても答えが見えない課題に挑戦してもらいたいです。」と激励する。修士課程の学生のころは、特別なタンパク質を除いて、ほとんど構造は変化しないと考えられていた。その節に異を唱え、タンパク質内部の水素結合の組み換えという小さな変化が全体の構造まで変える引き金になることを実験で示した喜びがいまも胸にあるという。趣味はアナログのような風景写真を撮影すること。長年使ってきた「X線溶液散乱」のデータの曲線を眺めても心安らぐそうだ。

光の刺激で分子をつくる

一方、山崎助教は光合成をする細菌などが持つ光受容タンパク質がテーマ。光の刺激により立体構造が変化することで、エネルギーを蓄えたり、生命維持のための情報伝達を行ったりする。そのさいのタンパク質間の相互作用を中心に研究を展開している。「光の刺激だけで、小さなタンパク質が集まり、大きな構造体ができることがわかってきました。自己組織化を光の波長や強さで制御することでいろいろな構造ができるので、材料という面でも非常に興味深い現象です」と説明する。

もともと機械が好きで、メカニカルな部品のイメージがあるタンパク質の分野を選んだ。「赴任当初は光受容タンパク質が相互作用する相手を見つけるという雲をつかむようなテーマでしたが、地道に取り組んで結果が出ました。諦めないという信条は大切にしたい」という。「本学は修士課程から入るので研究時間の制約はあるが、逆にスタートラインが同じなので意欲がみなぎっています」と評価する。スキューバダイビングが趣味で研究生活を離れて浮遊感を楽しむ。

夢はクモの糸を上回る線維

若い研究者の夢も育っている。

本学の博士前期課程を修了した技術補佐員の新川舞さんは、クモの糸を工場のラインで製造するための基礎研究がテーマ。「天然の強度を上回るような繊維の製造をめざしています」と意気込む。「本学は、実験装置などが1人1台使えるほど設備が充実し、非常に恵まれた環境です」と満足していて、始めたばかりのボーリングも気に入っている。

細胞内の分子の小胞輸送に関わるアダプタータンパク質(GGA)と関連タンパク質からなる分子集団で生じる集合離散現象の解析に取り組んできた篠原美帆さんは博士前期課程を修了し、4 月に就職した。「GGA それ自体安定な構造像を示さない上、さまざまなタンパク質と相互作用します。ただ、その相互作用は弱く安定な複合体ができないため、結晶化が原理的にできません。研究室で開発してきたマイクロ流体チップとX線小角散乱測定法で初めて観察することに成功しました」と振り返る。「もともと、化学を専門にしてきたのですが、今ではタンパク質を対象とした研究で成果を上げることができました。研究室でもマイクロ流体チップの開発をしていたり、他の研究室でも身近に機械系など全く分野の研究がなされていて、いろんな人との交流を通じて視野が広がりました」女性アイドルグループ「ハロー!プロジェクト」の大ファンという一面もある。

バイオサイエンス研究科の稲垣教授らとの共同研究として神経細胞の軸索の伸長に関わるタンパク質分子集団の挙動を調べている中田翔貴さん(博士前期課程1年生)は「X線溶液散乱で測定し、軸索を伸ばす駆動力を細胞に伝えるShootin1が他のタンパク質とどのように関わっているのかが少しずつわかってきました。今後、軸索の伸長に関わるタンパク質集団がどのようにして生理機能を発現しているのか分子の集合離散を解析することで明らかにしていきたい」と張り切る。大学の研究者を希望していて、オフのときは、研究以外のプログラミングやゲームに励む。