~広報誌「せんたん」から~

[2017年5月号]

葉緑体に働く力の実測に成功

動植物は多数の細胞が集まってできている。それらの細胞は構造を支えるだけでなく、個別の機能を連携することで生命の営みを維持し、環境に適応している。このような生体の複雑で精緻な仕組みを細胞レベルで解明することが大きな課題となっている。細川教授らは、強いレーザー光を瞬間的に照射し、その衝撃波により、ぜい弱な細胞を壊さないまま、細胞群をバラバラに引きはがしたり、必要な細胞を弾いて選別したり、加工できる装置を多数開発し、この課題に挑もうとしている。例えば開発した装置を用いて、生きた細胞内外に働く力の大きさを精密に測定することに成功している。こうした強力な研究手法に共同研究の申し込みが相次いでおり、様々な分野にテーマを拡大している。

最近、英科学誌「ネイチャープランツ」に大きく掲載された研究成果を紹介しよう。植物が二酸化炭素(CO2)と水から炭水化物をつくる光合成の過程で、CO2不足に陥ったとき、光呼吸というCO2を発生して補う反応を行う。その反応は葉緑体とペルオキシソームという小器官の共同作業で、光を当てると葉緑体にペルオキシソームが近づくという重要な現象は知られていたが、実態は不明だった。

細胞を振り分けるためのマイクロチップが配置された顕微鏡に、レーザーが導入される様子。青色の光線は検出用レーザーの光。
細胞を振り分けるためのマイクロチップが配置された顕微鏡に、レーザーが導入される様子。青色の光線は検出用レーザーの光。

そこで、細川教授らは、フェムト(1000兆分の1)秒と超短時間に光エネルギーを集中させたレーザーを使い、細胞よりも小さな衝撃を細胞内で発生させ、細胞内の葉緑体(直径5-10ミクロン)とペルオキシソーム(同0. 5-2ミクロン)を引き離す実験を行った。そのときに両者の間に働いていた接着力については、原子間力顕微鏡という微小な力を感知できる装置を利用して測定した。その結果、光が当たっていると、暗い場合の2.5倍の力で接着しており、葉緑体に比べて数が少ないペルオキシソームの反応の効率を高めていることがわかった。さらに、その接着力の単位は、分子1個の大きさに相当するナノ(10 億分の1)メートル平方あたり、ピコ(1兆分の1)ニュートンであることをつきとめた。この値は、生体が熱により分子の状態を変動し反応を不確実にする「熱揺らぎ」という現象の力に少しだけ勝るもので、「能動的な接着ではなく、たまたま近くに来たものが接着する」という形で運動エネルギーを最小限に節約していることが示され、反響を呼んだ。

「この実験は、ガラスや半導体加工に用いられている産業用のフェムト秒レーザーを顕微鏡に導入し、細胞に照射するという、工学と理学の独自の融合により達成されました。世界でも珍しい計測装置でによる新しい実験結果で、本学の工学と理学の両側面の評価を高めることができました」と細川教授。

毎秒10万個の細胞を選別

検出用レーザーで検出された細胞(細胞モデルとしての蛍光ポリマー粒子)が、フェムト秒レーザーの衝撃により弾き出され、振り分けられる様子。
検出用レーザーで検出された細胞(細胞モデルとしての蛍光ポリマー粒子)が、フェムト秒レーザーの衝撃により弾き出され、振り分けられる様子。

一方でレーザーを使い、研究に必要な細胞を無菌状態で瞬時に大量に選別し、取り分ける装置の技術開発にも取り組んでいる。「ImPACT(革新的研究開発推進プログラム)」という内閣府のプロジェクトで、進展する細胞レベルの研究や産業応用には欠かせない技術だ。プロジェクトでは、フェムト秒レーザーの光により、個々の細胞の膨大なデータが得られ、鮮明な細胞像が結べることに着目。細川教授らは、このデータにより選んだ細胞をレーザーの衝撃で弾き出して高速に振り分ける方法などの研究に挑んでいる。「フェムト秒レーザーを使った細胞の振り分けは、現在の最高の方法の10倍以上の1秒あたり10万個、さらに原理限界の100万個までいけそうです」と自信たっぷりだ。

細川教授は「フェムト秒レーザーと運命をともにしてきた」と振り返る。大阪大学大学院時代の1997年ごろに、日本で初めて導入された高出力チタンサファイアフェムト秒レーザーに出合い、有機材料の加工時の特性を調べる研究に使っていた。その後、バイオ研究が盛んになり、「細胞の加工に使ってみよう」と当時の常識を破る研究を始めた。間もなくレーザーの衝撃で細胞を操作するというアイデアが生まれて特許も多数取り、コンテストにも入賞した。異分野融合研究の中、他者と広く関わりつつ、自信を高められる人材育成と研究推進をめざしている細川教授は「私(他人)の言うことはよく聞き理解しなさい。ただ、私に従う必要はありません」と若い研究者や学生を指導する。

こうした研究の支えになった恩師の机を教授室で使っている。阪大工学部応用物理学科の創設者の吉永弘氏や、恩師で本学の客員教授でもある増原宏・台湾国立交通大学教授らが使ったもので、老朽化し廃棄処分寸前だったのを修理して持ち込んだ。「昭和期以前に作られたらしく、いまも励まされる思いです」。自宅では、産業技術総合研究所関西センターの主任研究員を務める妻、千絵さんと子供2人の4人暮らし。子供が喜ぶと始めたオリガミはクジャクをつくるほど本格派だ。

細胞内の変化を追跡

安國助教は昨年11月に赴任したばかりで、レーザーにより細胞を刺激し、その中で起きる分子の変化の様子を分光分析という手法で測定する研究に着手した。「例えば、ES細胞などに物理的な刺激を与えると分化する方向が変化することがあります。このような物理刺激が細胞に及ぼす機構を調べる新しい方法を築きたい」と抱負を述べる。「従来の方法とは異なる、新しい観点から病気や健康状態の診断ができるようなシステムの開発などに結び付けていきたい」。「木も森も見る」と細部だけなく全体のビジョンも合わせて考えるのが信条。フランスのエコール・ポリテクニークなどで7年間、ポスドク(博士研究員)を務めた。そのときに美しい風景に魅せられて始めた写真に凝っている。

一方、吹田啓介さん(博士前期課程2年生)のテーマは、レーザーの衝撃で細胞内に蛍光分子を導入し、それが細胞内のタンパク質と結合して光るかどうかで判定する研究だ。「自分の興味に率直になり、時間をかけても考えていくことが大切」と強調。「その点、将棋は相手の手を先読みして論理的に考える訓練になるので、スマホなどで対戦しています」。

台湾出身の洪振益(ホン・ツェンイ)さん(博士後期課程1年生)は細胞を選り分けるセルソーターの性能を上げる研究から、得られた細胞の機能を評価したり、光らせて目印をつけたりする研究に移った。「台湾でもレーザーを使い、細胞を研究してきたのでこの研究室を選びましたが、機械でシステムを組むのは慣れないことが多く難しい。でも、日本では座学でなく、実際に手を動かす実践的な研究が多いので性に合っています」。