~広報誌「せんたん」から~

[2013年5月号]
バイオサイエンス研究科 遺伝子発現制御研究室 別所康全教授、松井貴輝助教、中畑泰和助教

別所康全教授、松井貴輝助教、中畑泰和助教

背骨をつくる生物時計

「ヒトなど脊椎動物の背骨は、ブロックのような『体節』を積んだ構造になり、しかも同じ大きさの繰り返しになっているのは何故だろう」。「受精卵から形づくりを始める発生のときに細胞は互いにどのようなやりとり(社会性)をして形や大きさを決めているのか」。「成体になって細胞の生物時計が刻む一日のリズム『概日リズム』は、生命の営み である代謝と深く関わっているらしい」。

このような生命現象の大きな疑問に対し、 遺伝子や細胞の動きをとらえて生命の仕組みを理解し、本質を究める研究に挑んでいるのが別所教授らのグループだ。「実験生物学から得たデータと、その動きを解析する数学のモデルとを組み合わせて、生命現象の動作原理を明らかにしています」と別所教授は研究の手法を説明する。

別所教授らがこれまで解明してきた「体節」 形成の仕組みは、実に巧妙だ。まず、細胞同 士が集まって塊(細胞群)が左右対称に並び、 ある程度の形ができたところで定期的にぎゅっと締まって1ブロックの硬い骨になる。その周期はネズミなら2時間、ヒトなら8時間と正確なので、繰り返しの構造ができるのだ。 体内で時計の役目をしているのは特定の遺伝子群で、それが「オン(機能する)」「オフ (機能しない)」を繰り返す「振動」という現象により周期が決められる。別所教授らは、その周期が、細胞外からの刺激を感知するノッチシグナルという情報伝達系の強弱によって、なんと数分単位で「オン」「オフ」が微調整されていることを突き止めた。この発見により、動物の種による脊椎骨の数の違いや、胎児の 間に環境変化が起きても一定の数が保てる理由が説明できる。

最近の成果は、多少の環境の変化が加わってもきれいな体節が作られるためのロバスト(頑丈)な仕組みを明らかにしたことだ。温度変化やストレスなど外界の変化を感知し、そ の悪影響を避けるためフィードバックして修 復する遺伝子のループ(回路)が3種類あったのだ。マウスの実験では、3種類のループがそろって正常なら、奇形を誘発する薬剤を投 与しても影響はわずかである。ところが、そ のループを一つでも壊すと、通常の生活では問題がないが、薬剤を与えると影響が顕著に表れた。動物の適正な形づくりに必須なメカ ニズムであることが証明されたことになる。

細胞の社会性が必要

一方、松井助教は、「受精卵から成体にな るまで細胞間でどのようなやりとりがあるのか」という細胞の社会性の研究に取り組んでいる。材料はモデル生物のゼブラフィッシュという魚類だ。

研究では、心臓など臓器の左右の配置を決める器官である「クッペル胞」の元になる細胞(前駆細胞)について、それらが集合してクラスター(集団)をつくることが、その後の器 官の移動、配置の引き金になることを突き止めた。細胞同士が事前にコミュニケーションをとることが必要というわけだ。

その際、細胞の増殖因子が活性化されると細胞の接着に関わる因子が分泌されて集団をつくることも明らかにした。しかし、数理モデルと組み合わせたコンピュータ解析では、集団を維持するためにもうひとつのフィード バックループが必要なことがわかり、研究を進めている。

  • ゼブラフィッシュ胚で、ノックダウン法によりある種の遺伝子の働きを抑制すると、クッペル胞前駆細胞はクラスターを形成できなくなり、ばらばらになってしまう。
    ゼブラフィッシュ胚で、ノックダウン法によりある種の遺伝子の働きを抑制すると、クッペル胞前駆細胞はクラスターを形成できなくなり、ばらばらになってしまう。
  • 妊娠マウスに抗てんかん薬であるバルプロ酸(VPA)を注射すると、胚の遺伝子発現が撹乱されることによって、脊椎に奇形が起こる。
    妊娠マウスに抗てんかん薬であるバルプロ酸(VPA)を注射すると、胚の遺伝子発現が撹乱されることによって、脊椎に奇形が起こる。

リズムの変化は生活習慣病を起こす

また、中畑助教のテーマは生物が体内に持 っている24時間の概日リズム。すでに細胞の中から時を刻む遺伝子が見つかっており、細胞内の全遺伝子の10%~30%が連動するとされる。

時計遺伝子を欠失させたマウスの実験では、臓器間でそれぞれバラバラの時間を刻むよう になり、遺伝子の働きの強弱にもメリハリがなくなった。その結果、たとえば血糖値や血液中の中性脂肪が高値になるメタボリックシンドロームの状態が現れた。

また、遺伝子DNAを収納するタンパク質ヒストンはアセチル化という修飾を受けると遺伝子の働きが変わることから、未解明だったアセチル化を外す酵素の遺伝子(SIRT1遺 伝子)を調べ、その働きも関わって24時間のリズムが刻まれていることがわかった。さらに、エネルギー代謝に不可欠なNADと いう物質の増減もSIRT1遺伝子の働きと関連していることがわかり、この遺伝子を介して、概日リズムと糖、脂質などの代謝が結びついていることを明らかにした。中畑助教は 「SIRT1遺伝子の研究によって不規則な生活習 慣と病気の関係を解明していきたい」という。

生命の本質が分かれば、 病気を理解できる

「生命の本質が分かれば、その破綻である病気のことが理解できる」。医学部出身の別所教授の信条は明快だ。「研究はすぐに役に 立つテーマではなくても、なぜ面白いかとい うことを意識して続けることが大切」と断言する。学生時代、手術を見学したときに、肝 臓は切除しても再び頃合いの大きさまで修復することを知って、人体の不思議に心を打たれた。「病気の治療は大切だが、未だ生命の不思議はたくさんある。その解明をめざしたい」との思いは基礎科学に導いた。

「研究で面白いのは、議論すると、みんな 異なる考えがあるので最初のアイデアと全く異なる答えが出る。意見が相互作用しているうちに思いもつかなかった正解が出てくるときは、本当に素敵だと思います」。学生に対しては「さんざん研究で苦労した学生が、成長して才能がぱっと花開いたときなどことの ほかうれしい」と温かい目で期待を込める。 趣味は邦画鑑賞で、アートから娯楽作品まで ジャンルを問わない。

松井助教は「仮説を立て、それを証明する実験方法を考えて、結果を得る。その積み重ねで研究が進んでいくという過程がとても好きです。学生も、自分で面白いテーマ見つけられるように成長してほしい」と話す。もともと生物学が好きだったが、大学時代に、研究室で知った分子生物学の手法に取りつかれた。 中畑助教は「理学部に入ったとき、先生か ら自己満足でとことんまでやれと言われ、そうするとたちまち研究に取りつかれてしまった。生物学を選んだのは、時代の流れを感じたからです。なるようにしかならない、というのが座右の銘です」と柔軟な姿勢だ。

続けることが大切

研究室で学生たちと

次代を担う若手も意欲的に研究に取り組ん でいる。

博士後期課程2年の二反田康秀さんは、マウスの発生の過程で、外部刺激により遺伝子の発現がどのように変化し、修復されるかを調べている。「体節がきれいにできるためには、薬剤などで遺伝子のオンオフのパターンが乱されても時間が経つと元に戻っていくことが必要だとわかりました。実験が苦手だったのが博士課程に入ってできるようになった。挫折せずに続けることは大事ですね」と振り 返る。

博士前期課程2年の住野絵理さんは、レーザーを使ってゼブラフィッシュのクッペル胞の器官の前駆細胞を除去することによって、形成に最小限必要な個数を調べている。「必要な個数を示すことはできました。実験の手法を習得する技術的な面では苦労し、昨年の9月までデータは出なかった。でもうまく行 ってからは、一気にデータが出てうれしかった」と打ち明ける。「工学部で環境ホルモンの研究をしていたので、その影響が出る器官形成の仕組みについて知りたかった。本学は 出身分野に関係なく自由に研究室が選べます。 今後の研究では、わからない要素も出ていますが、それも突き詰めたら面白い結果になると思います」と抱負を語った。

博士前期課程1年の隅澤杏介さんは、概日リズムと体内代謝の関係を調べている。「同じ環境条件で育てても体内の時計遺伝子や NADの増減などによって体重の増え方が異なるといった面白い結果が出ています。今後、遺伝子のレベルで調べるなど自分のモチベー ションが高くなっています。修了後は就職して、おいしい食品や治療薬を作るなど社会に貢献できる仕事がしたい」と張り切っている。