~広報誌「せんたん」から~

[2016年5月号]

アンテナ分子が情報伝達

Gタンパク質共役受容体を介するシグナル伝達
Gタンパク質共役受容体を介するシグナル伝達

生命の維持には、人体を構成する計約60兆個もの細胞でできた組織や臓器がうまく機能分担して活動する必要がある。そのために、ホルモンや神経伝達物質、細胞増殖・分化因子など多種のタンパク質が、細胞間のシグナル(情報、信号)を的確に伝える役割をしている。しかし、その仕組みに異変が起きれば、病気になることもある。そこで、分子情報薬理学研究室では、シグナル伝達の機構を詳細に解明するとともに、医療に結びつける研究に挑んでいる。

伊東教授らが主な研究ターゲットにしているのが、シグナルを最初に感知するアンテナ分子の「Gタンパク質共役受容体(GPCR)」という細胞膜のタンパク質だ。ヒトの全ゲノム(遺伝情報)の3%を占めるほど多くあり、ホルモン、神経伝達物質、細胞増殖因子、光、匂い物質などを受け取ると、連結したGTP結合タンパク質(Gタンパク質)を活性化する。Gタンパク質は3種の小さなタンパク質のサブユニット(α、β、γ)で構成しており、そこからGDPという分子が遊離されてシグナルが細胞内に伝わる。

最近の大きな成果は、Gタンパク質に結合することにより情報の伝達を遮断する低分子化合物の立体構造と作用機構を世界で初めて明らかにしたこと。血液を固める血小板の凝集を阻害する化合物(YM-254890)が、Gタンパク質の一種Gqのシグナル伝達を邪魔することから、その結合の状態をX線結晶構造解析という手法で調べた。その結果、この化合物がGqを構成するサブユニットの間に「くさび」を打つ形で結合して動けなくすることで、GDPが遊離できなくなっていることがわかった。この成果は、過剰にホルモンが分泌されて起きる疾患や、異常増殖するがんなどに対する治療薬開発にもつながる。

もうひとつの研究では、GPCRのうち結合する物質がわからないオーファン(孤児)受容体に対し免疫反応でマウスの抗体を作製し調べた。得られた抗体の中には受容体の細胞応答を引き起こすもの、がん細胞などが遊走して転移するのを防ぐものなどさまざまな性質があった。

治療薬開発が目標

伊東教授は「それらの抗体を使って個々のオーファンGPCRの機能を解析するとともに、抗体医薬への展開を目指した研究を進めています。白血病などのがん細胞に対して、作用を抑制したり、細胞の増殖を妨げたり、細胞同士がくっつくのを防いだりする抗体も取れてきていて、がん細胞に効く抗体医薬がこの研究室から出せたら」と抱負を語る。伊東教授は、脳細胞の形成に関わるシグナル伝達の仕組みの研究を続けており、「神経幹細胞のGPCRに対し、活性を非常に高める抗体をみつけたことがきっかけになりました」と研究の出発点を解説する。

研究のテーマは幅広く、Gタンパク質についても、DNAの情報で合成された後、ユビキチンという化合物が結合(翻訳後修飾)して分解されやすくなった場合、心機能が衰え、心肥大を起こすなど新たな現象を見つけ、その機構を調べている。

伊東教授は幼少のころ、父親のもとに毎月送られてくる科学誌を覗いて、生物のサイエンスに親しんだ。大学では薬学を選び「薬の作用を明らかにすれば、ヒトの仕組みがわかる」ことに興味が深まり、研究者の道に進んだ。好きな言葉は、米国の生化学者でノーベル賞受賞者の故セベロ・オチョワ博士の科学者の信条で「胸のときめき、限りなき献身、心の暖かさ」。恩師の生化学者、故上代叔人博士から伝え聞いた。「本学は、意欲がある学生を育てようという環境があります。それが、フィードバックして本学の人材養成の基盤を築いていくことになるでしょう」と期待する。走る科学者でもあり、50歳代から体力回復のため始めたフルマラソンは東京マラソンを完走、奈良マラソンでは4時間を切る好記録を出した。

がん化の機構に迫る

一方、小林助教のテーマは、細胞外のシグナルを受け取るアンテナの一次繊毛。ほとんどの哺乳動物にあり、細胞表面から微小管といわれる細胞骨格が1本だけ飛び出した珍しい形の器官で、壊れると病気になる。しかし、形成や機能を制御する分子レベルの機構は不明な点が多い。小林助教は「繊毛が伸びるときに、成長のきっかけになるタンパク質を見つけ、機能を明らかにしました。がん細胞には一次繊毛が生えないことが多いなど疾患によって特徴があり、将来的に治療に結び付けていきたい」と意気込む。

「薬学部の出身なので真理の探究に加えて、医療や製薬への応用を念頭に置いています。それでも研究は深めれば深めるほど、わからないことが広がっていきますね」と振り返る。小学生のころからサッカーに親しみ、スポーツマンでもある。

梶助教は、器官の表面を覆う上皮組織が、発生の過程で管状や球状など複雑な形に変化する際、どのようなシグナルの伝達機構が関わっているかを調べている。とくに、その分子メカニズムが破たんしたときに起きるとされる乳腺がんに焦点をしぼった。「乳腺の非常に複雑な枝分かれ構造が作られる過程と、がん化してその構造がなくなり、がん細胞が浸潤、転移するときの分子メカニズムを調べています」と説明。「3次元培養という乳がん細胞の塊をつくる実験法で、浸潤に関わるGPCRの候補がみつかってきた」と満足そう。「研究はうまくいかないことが多いので、そんなとき、自分だけが知っている新しいことを見つけたという喜びが一番大きい」と研究者の本音を明かす。

インドネシア政府の派遣留学生、サルモコさん(博士後期課程1年生)も同じテーマで研究している。「乳がん細胞の浸潤に関わるGPCRが同定できれば、薬剤に反映できるので力が入ります」と意気込む。ガジャマダ大学薬学部の大学院を修了したあと、大学の教員を務めている。「本学は、教員も学生も高いレベルの研究力ですごくいい環境です。帰国しても医療関係の教員になりたい」と張り切る。インターネットのブログを書くのが趣味で、日本の文化や食事についてアップしたところ、「1日2000人ものアクセスがありました。日本に対する関心は髙いですね」。

堀部修平さん(博士後期課程1年生)は、細胞分裂の起点になる中心小体という細胞小器官について、シグナル伝達が狂うと異常な分裂を起こすことについての研究を行っている。「Gタンパク質のシグナルと中心小体の複製が関係していることを初めて突き止めました。がん細胞にも同じような現象があり、がん化の解明につながれば」と期待する。「研究も日常生活もメリハリをつける」が信条。朝早くきて研究をはじめ、夜は自転車やジョギングに励む生活だ。