~広報誌「せんたん」から~

[2018年1月号]

構造や機能を保持

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核が大きなシート状の線維芽細胞上で増殖する、明るいマウスES細胞のコロニー。3つのコロニーの中に小さな数十個のES細胞がぎっしり詰まっている。

 どんな臓器や組織にも分化し得る多能性を持ち、万能細胞と言われるES細胞(胚性幹細胞)やiPS細胞(人工多能性幹細胞)は、分化のメカニズムの解明や再生医療をはじめ、難病の原因の解析、薬剤の毒性評価など医学、医療を大きく進展させると期待されている。その中で、栗崎教授は、マウスのES細胞から試験管内で胃の機能を持つ組織全体を「ミニ胃袋」として作り出すことに世界で初めて成功した。胃は重要な消化器官でありながら、発生の初期から、臓器になるまでの詳細なメカニズムが未解明だっただけに、この幹細胞分化法は有力な研究手段になる。また、このミニ胃袋を実験モデルとして胃がんなど病気の原因や発症機構を突き止める研究も手掛けている。


 ミニ胃袋は、直径1ミリー2ミリで、中空の袋を形成する細胞群。胃酸やタンパク質分解酵素を分泌する細胞や蠕動(ぜんどう)運動する筋肉まで備えている。胃の機能がある上皮と間葉と言われる結合(間質)組織の2カ所で発現する特定の遺伝子をマーカーにして分化誘導し、さらに3次元培養して成熟させた。「胎児や新生児の胃に似ています。胃が成熟するまでの詳細な仕組みについて、発生学の立場から調べて行きたい」と意欲をみせる。


 この方法を利用して胃の粘膜が異常に肥厚するメネトリエ病(胃巨大皺壁症、いきょだいしゅうへきしょう)の発症モデルを作製することにも成功した。


 胃がんの発症機構の研究については、ミニ胃袋に、原因になるピロリ菌の毒素タンパク質を発現させて調べるなどの方法を行っている。胃の粘膜の上皮にピロリ菌が感染して慢性炎症を起こすことで、がん化しやすくなることが示唆されているが、細菌が出すタンパク質のどれが、どのように悪さをしているか、ということなどを調べている。

肺の組織の再生も

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マウスES細胞から3次元培養で分化させたミニ胃組織の切片像。赤い1層の粘膜上皮が確認できる。

 また、ES細胞やiPS細胞から、肺の細胞をつくる研究にも挑んでいる。肺は、胃と同様に、発生の初期に形成される消化管から、分化を重ねて生じるのだが、多様な細胞で構成される複雑な組織なので、試験管内で培養して一気にまるごとの肺を分化誘導するのはそう簡単なことではない。このため、肺になる大元の細胞である「肺前駆細胞(幹細胞)」や、その細胞から分化して成熟した肺の機能を持つ細胞の1つ「気管支繊毛上皮細胞」に的を絞っている。まず、肺の前駆細胞を安定につくる方法を確立することが、基礎研究や臨床に大いに役立つと考えている。


 さらに、早期発見や治療が困難なすい臓がんについても、未分化のまま増殖するがん細胞を強制的に分化させて減らす方法の開発にも取り組んでいる。がん細胞にも幹細胞があり、薬剤耐性を持つので難治性になるとされており、それに対抗する手段にしたいと考えている。

妄想せよ

 栗崎教授は、実家が牧場を経営していたこともあり、生物に親しみを抱いていた。大学時代は、理学部の化学専攻で抗がん剤の合成を行っていたが、作製した物質の生物活性の評価の方に興味が移り、生化学や分子生物学へ。「頭を柔らかくして妄想すること」が研究の信条だ。論文や総説などを勉強するのは情報として必要ですが、新たな方向は「いま何が面白いか」と思いめぐらすことから生まれる、と強調する。前職の産業技術総合研究所の上級主任研究員のときに始めたミニ胃袋の研究も、人間ドックで胃にポリープ(良性腫瘍)がみつかり「いまのうちに代替えの胃を作っておかないと間に合わないというわがままな発想」だった。平成29年4月に研究室を立ち上げたが「本学は基礎研究が自由にできる雰囲気があって素晴らしい」と評価する。旅行好きで、かつてはインドで1ヶ月間、バックパッカーとして放浪した経験がある。写真撮影でも、法隆寺の鬼瓦など独自のアングルで対象を選んでいる。

 高田助教も産総研から4月に本学に赴任し、ミニ胃袋を使い、胃の細胞が発生分化を繰り返して再生し、構造や機能を維持する過程を調べるとともに、胃がんの発症モデルづくりにも着手した。「マウスは受精から20日間で誕生しますが、その間、体内では予定調和的な変化で胃が形成されることの素晴らしさに魅せられていて、分化レベルで詳しく調べて行きたい」という。産総研では、骨や血管、心筋などの再生を促す間葉系幹細胞について、その種類や性質を調べて、足の血管が詰まる下肢虚血などの治療効果を高める研究をしていた。

 発生学には強く魅かれていただけに、「不思議と思うことを一つ一つ解決していくのは楽しい。常に疑問を持って、課題を見つけていくのが大切です」と断言する。時間が空くと旅行に出かけるが、一番気に入っているのは、東アフリカのマダガスカル。日本と異なる自然環境があり、生物の研究者としても価値観が変わった、と振り返る。

根気には自信

 着手して間もない肺組織の分化の研究には、大学院生が参加している。

 試験管内でマウスの肺前駆細胞を作製するさいの培養条件を検討しているのは、坂田優理子さん(博士前期課程1年生)。「肺の発生初期の線維芽細胞に遺伝子を導入して作製に挑戦しているものの、あとで死ぬ細胞が多い。細胞増殖因子を加えることなどを考えています」と話す。「肺は研究が始まったばかりなので、参加したいと思っていました。将来は病気を治すための研究をする職業につきたい」と抱負を語る。高校のときから、自由形とバタフライの選手で、研究を続けるための体力というより、むしろ根気には自信があると意気込む。

 細胞内に遺伝子を導入する運び屋のアデノウイルスを使い、肺前駆細胞を作る方法を研究しているのが濱田歩花さん(同)。「肺気腫を起こし、肺の組織が障害されたマウスに対し、肺前駆細胞を作るための遺伝子が入ったウイルスを感染させて分化させるのですが、実験方法を改善する必要があり、検討しています」と語る。それでも「計画していることを最後までやれれば、根本的な治療法の開発に寄与できる研究ではないかと思っています」と期待する。本学については「実験に集中できる環境があり、過ごしやすく、研究しやすい」と評価する。数字のパズル「数独」が好きで、集中力を高めるために、その問題を解いて雑念を払う、という秘訣がある。