~広報誌「せんたん」から~

[2017年5月号]

イヌの情動をとらえた

ヒトの脳活動や動物の行動などから得られる生体の情報を基に、学習し適応する仕組みをひとつのシステムと捉えてそれぞれの数理モデルを構築し、基本原理を解明する。そして、その数理モデルを応用して、災害救助犬の行動管理や自動運転の事故防止、医療支援など幅広い分野に役立てる。こうした「生命数理」という新たな分野の研究に池田教授らは取り組んでいる。

「多くのデータから情報を取り出す『機械学習』、生体の現象を数理モデルで明らかにする『生命数理』、そのモデルを工学的に応用する『信号処理』が3本柱の融合領域です」と池田教授は説明する。

イヌなど動物系のプロジェクトは、心拍数や動作の加速度といった生体情報から、行動そのものの数理モデルをつくり、言葉で伝えることができないイヌの心理など情動の状況を推測するもの。実験は麻布大学と共同で行い、イヌに加速度と心拍数の計測器を取り付け、得られた多くのデータから機械学習により、必要なデータを選びだし、数理モデルをつくって解析する。加速度計のデータからは、「喜んでいる」など動作による心理がわかる。さらに、心拍数は自律神経の活動と密接
に関連して変化するので「心拍変動計測(HRV)」という方法で調べれば、「心拍が速くなったので緊張している」など情動の様子が読み取れる。内閣府の「革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)」のサイバー救助犬のプロジェクトにも参加しており、研究成果が役立ちそうだ。

自動運転の事故防止

イヌの情動推定はレスキュー犬のサイボーグ化にも利用できる。そのためのイヌ用スーツの開発も東北大学等と共同で進めている。
イヌの情動推定はレスキュー犬のサイボーグ化にも利用できる。そのためのイヌ用スーツの開発も東北大学等と共同で進めている。

また、自動車の運転行動の推測の研究は、ドライバーが車線を変えようとしてハンドルを切る前に察知し、その車線に別の車が走っているなど事故の危険があればアラームで知らせるという仕組み。自動運転車に応用すれば、交通事故を大幅に減らせることになる。

企業から提供された運転行動データを元に、あらかじめ数理計算に使う関数を設定しておかなくても、データの変化に応じて的確に設定される「ノンパラメトリックベイズ法」を使い、機械学習のアルゴリズム(手順)を開発して精度を高めた。今後は運転行動をより深く理解するため、脳活動も計測する実験を行い、脳科学の知見も取り入れる予定だ。このようにさまざまな事象の解析に挑む池田教授は、「モノゴトを抽象化し数式で表すのが好きだった」という。生命現象にも興味があり、神経回路網の数理解析の研究を続けてきた。本学では情報科学とバイオの融合領域なので、生命現象にシフトしたテーマを広げた。「餅は餅屋のことわざ通り、テーマに選んだ分野の専門家との共同研究を心がけています」。イヌの研究の影響でトイプードルを自宅で飼い始めたが「なかなか思い通りにいかないことがよくわかりました」。

幅広い分野の研究者が連携

生命現象の解明をターゲットにしているだけにスタッフの分野は幅広い。

吉本准教授の分野は計算神経科学。現在のテーマの強化学習は、ある条件を実行すれば報酬が得られるので、そちらの方に行動がシフトするという条件づけの方法。それが脳の大脳基底核という生命維持に関わる領域でどのように実現しているかを調べている。「実験データの中から生物学的に意味があるルールを導き出し、どのような現象が起こるかを予測するなどの方法で研究しています」と語る。生物学など他分野の研究者との連携で新たなテーマを開拓してきただけに、学生に対しては「未知の分野の研究者にも臆さず交流を深め、さまざまな知識を吸収してほしい」と呼びかける。

久保特任准教授は神経内科の医師だったが、重度の障害者に出会い、「脳の機能をサポートするツールの技術開発に機械学習のアルゴリズムが応用できるのではないか」と研究者に転身した。てんかんの患者の脳の活動を数理学のモデルで説明する研究に取り組んでいて、脳を冷やすと発作が抑えられることから、冷却の影響を調べている。「動物実験では個々の要因は検証できても、統合されたメカニズムを解明するには複数の要因を同時に扱う必要があります。その点、数理モデルによるアプローチは有力です」という。最終的な目標は、物質でできている脳が、精神的機能を持つという神秘的な謎の解明だ。

一方、佐々木博昭助教は、機械学習の新たなアルゴリズムの構築するための理論の研究だ。何を出力するかを決めずに行い、有用な情報を抽出する「教師なし学習」がテーマ。データの構造を調べるため、関連するデータのを固まり(クラスター)として分けるときに、設定する関数(パラメータ)が非常に少なくて済む方法を開発した。理論の研究なので「自分
のアイデアを大切にする」が信条で、新たなアイデアを考え、検証する作業が日課になっている。

成果の応用を期待

運転行動のモデル化にはデータが重要である。解析を科学的に行うため、実車実験とともにドライビングシミュレータによる実験も行われる。
運転行動のモデル化にはデータが重要である。解析を科学的に行うため、実車実験とともにドライビングシミュレータによる実験も行われる。

学生らもテーマを楽しみ、研究に励んでいる。

洲崎智仁さん(博士前期課程2年生)は、自動車がカーブに差し掛かった時、運転者どれだけの角度でハンドルを切るかの研究で8割の確率で予測することに成功した。「自動運転化が進んでいますが、私の研究成果が精度向上に少しでも役立てば」と期待する。大内里菜さん(同2年生)は、ヒトとイヌのコミュニケーションの要因を探索している。「動物学や脳科学など研究に関わる分野が多岐に渡っていますが、それぞれの専門家と共同研究できるなど本学の研究環境は素晴らしい。博士課程に進んでさらに理解を深めたい」と意欲を見せる。研究室は3分の1が留学生。英語でセミナーを行い、活発な議論が交わされる。

カナダ出身のマシュー・ジェームズ・ホーランドさん(博士後期課程2年生)は、機械学習に使うアルゴリズムの開発と解析を手掛けている。「世の中のデータは多種多様で、その多くに対応するのは大変難しい」としながらも「工夫を凝らすと低コストで頑健性の高いアルゴリズムは作れます」と成果を披露する。日本には交換留学生できて、本学の先生方の積極性とレベルの高さに惹かれて入学を決めた。「学生同士で切磋琢磨しながら自由に研究に取り組める良い環境です」と評価した。