~広報誌「せんたん」から~

[2020年5月号]

生物や機械にヒントを得る

 極微小なナノ(10億分の1)メートルの世界で働く分子レベルの装置を作り出す分子機械(ナノマシン)の研究が盛んになっている。光、電気など外部の刺激を受けてロボットのように活動する分子ができれば、医療や産業の分野で、現在の技術的限界を超えるナノテクノロジーが実現する可能性があるからだ。

 分子機械のモデルとされる生体分子は、生命活動に使うエネルギーを貯蔵、放出するATP(アデノシン3リン酸)という分子を合成する酵素(ATPシンターゼ)が代表例。この酵素分子は、下半分が生体膜に埋まって固定され、膜の内部の電位差により、モーターのように高速回転して次々にATPを生み出す。

 このような動く分子の仕組みに着目したラッペン教授の究極の目標は、分子機械を使ってデバイス(装置)を構築すること。「そのために、生体内分子の優れた機能から分子構造を学ぶとともに、モーターや歯車など機械からも着想を得るという2つのアプローチを取っています」と説明する。

分子の歯車が噛み合った

 これまでラッペン教授は、走査型トンネル電子顕微鏡を用いて、一つの分子のレベルで分子機械を操作する研究を行ってきた。2013年に回転の方向が切り替え可能な分子モーターを開発。2019年には、プロペラ状の分子の歯車を、となりの歯車と噛み合わせ、回転運動を伝えることに初めて成功した。この成果は複数種の分子機械が協働する分子スケールの工場をオーダーメイドでつくれる可能性を拓いたことになる。

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図1 機会をヒントにデザインしたナノマシンたち

化学と物理の相乗効果

 ラッペン教授は、フランスのストラスブール大学で学び、分子機械の基礎研究でノーベル化学賞を受賞したJ.P.ソバージュ教授のもとで1998年に博士号を取得した。1999年にポールサバチエ大学に移って、分子機械の研究に着手し、教授に就任。2018年からは、本学教授を務めている。

「フランスでは、化学系の研究者が分子を合成し、物理系の研究者が分子の動く原理を調べる、という形の密な共同研究で相乗効果が得られました。NAISTではバイオミメティック(生物模倣)の専門家ともコラボレーションして、多角的に調べていきたい」と抱負を語る。

 本学の国際共同研究室(仏トゥールーズ)では、河合壯研究室のメンバーとともに、光で構造が変化するフォトクロミック分子を、分子モーターのスイッチに使う研究も行っている。「20年かけて分子機械の研究を続け、当初は予想もしていなかった方向に成果が出ています。そこが研究の醍醐味かもしれません」と話す。

勝利目指すナノカーレース

 実は、分子機械の研究を推進、普及するために企画された、単分子の自動車を走らせる「国際ナノカーレース」の主導者でもある。2017年の第1回は仏国立研究機関(CEMES)のチームとして参加したが、2021年春の第2回は、NAISTとCEMESが合同チームを組んで出場する。STMの探針で操作する「ブルー・バギー」というナノカーを独自設計しており、「今回はNAISTの学生が主体的に取り組み、準備万端怠りないので、勝てるのでは」と意気込む。

 教授室の扉に、漢字で「楽筆(ラッペン)」の名札が貼ってある。大の日本文化好きで、最近は村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』、夏目漱石の『坊っちゃん』を読破した。映画ファンでもあり、研究のモットーは、映画『スターウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』でマスター・ヨーダが語る"Do or do not , there is no try"(やるか、やらぬかのどちらか。やってみるだけではいけない)。

生き物に学ぶ新しい機能性分子

 一方で、分子の巧妙な連係によって成り立つ生命活動の仕組みを解析してまね、使い易い人工の有機分子に置き換えて効果を高める「バイオミメティック(生物模倣)」の研究も進めている。 安原准教授は、細胞を包んで内部の環境を維持する生体膜に着目。体内に侵入した細菌を見つけて、その細胞膜を壊して死滅させ、しかも薬剤耐性が誘導されない抗菌剤を開発した。細菌の膜に刺さって穴を開ける機能を持つ天然の抗菌ペプチド(タンパク質の断片)の分子構造をヒントにシンプルな分子を合成するなどして抗菌力を高めた。

 また、膜組織では脂質二重膜と膜タンパク質が連係してさまざまな機能を実現しており、創薬の重要なターゲットとして注目されている。これまで、膜タンパク質だけを、構造の変化なく取り出すことは困難だった。そこで、安原准教授は、膜タンパク質を含む数十ナノメートルの膜断片を丸めて「ナノディスク」という円盤状の分子集合体に仕立て、安定化する高分子を開発し、米国の試薬メーカーより市販を開始した。

 「合成の高分子も工夫によってタンパク質の優れた機能を部分的に再現できます。分子を設計し、合成したあと、機能まで調べる。"楽しいことだけやる"をモットーに、化学・物理・生物と幅広く興味を持ち、分野横断的な研究を学生さんと共に探求しています」と安原准教授。

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図2 生体膜をナノディスク化する高分子

分子メモリ

 応用面を念頭に置いた分子機械の構築を行っているのは、西野助教。分子機械それぞれが動いて、デジタル信号の「0」「1」が表現できる機能を持たせ、それらを集合させて超高密度、高速の分子メモリを実現するのがねらい。

 分子機械として、色素のポルフィリンなどの大きなπ平面を持つ大環状配位子が、希土類元素を挟んで二つの分子がサンドイッチのような構造になる「ダブルデッカー型錯体」を合成した。西野助教は「理想的には、高密度で、液体窒素の温度以上(氷点下セ氏約196度)で駆動するようなメモリができれば」と夢を膨らませる。

生体膜のような多孔性材料

 尾本特任助教は、生体膜を形づくる脂質二重膜を基礎骨格とした、これまでにない全く新しい多孔性材料の開発に取り組んでいる。活性炭・ゼオライトをはじめ硬い多孔性材料が多く開発されているなか、今回はソフトな脂質を壁面に用いることで、膜タンパク質など複雑な構造を持つ生体高分子を活性を壊さずに導入できるといった特徴をもつ。「穴の中でタンパク質を働かせられるように設計することで、触媒のほか、膜の電位差を調節するイオンポンプなどとして活用可能な、生体分子の機能を活かすための新たなプラットホームにしたい」と意欲をみせる。

 尾本特任助教は、昨年2月に赴任したが「それまで金属イオンと有機物を使った多孔性配位高分子など合成化学的な材料を扱っていたので、この研究室で生体膜の模倣など異分野のテーマに触れたことで研究テーマが拡張できました」と振り返る。

好きなテーマに出合った

 分子機械、生体模倣と新しい分野の急展開するテーマに学生も興味を深めながら取り組んでいる。

 ナノカーを合成した竹内大貴さん(博士前期課程2年)は「研究を通してナノの世界の分子の動かし方の基本的な仕組みを解明したかった」と思いを語る。望みがかなって玩具会社への就職が決まっていて「自分の好きなテーマだから、成果を出すのがつらくても頑張れた」と振り返る。

 中国から留学しているJinyu Haoさん(同)は、生体膜でつくるナノディスクを使い、体内で薬物を輸送するシステムなど応用研究を手掛ける。「新たな治療法を見つけ、社会貢献したい」との思いから、後期課程への進学も決めていて「本学は留学生の比率が高く、さまざまな国の人と交流できるのも大きなメリットです」と感想を述べた。

 ※学生の学年は2020年2月取材当時のものです。